魂の重さ83キログラム

魂の重さ83キログラム

映画、アニメ、ラジオに関する考察を主にアップしていきたいと思います

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劇場で観た作品限定。
結果として作品の出来自体というより、劇場鑑賞体験としての順位になった。
来年は100本以上見たいところ

1位:かぐや姫の物語
圧倒的。今年この映画に出会えたことに感謝したい。そしてまだこの映画を味わう旅は終わらない。

2位:セデック・バレ
徹夜明けに小雨降りそぼる中、映画館に行って、4時間超を完走しきった、という体験自体が秀逸。もちろん内容も最高。自身の益内なる荒男性が激上がり

同率2位パシフィックリム
今でもランニングや筋トレ時はパシリムのテーマを聴いている。巨大ロボ最高。英雄譚としてもすばらしい。実写版ゼーガペイン。

3位:死霊のはらわた
これを3位にしている事に自分でも驚いているが、実際問題、映画館で映画を観ることの意義の一番はホラー映画を観ることにあるんじゃないかと実感した体験をできた。なぜ見に来たのかわからない、前の席のおばあちゃんが心臓発作でいってしまわないか終始気をもんだ。

4位:ジャンゴ 繋がれざる者
ドクターキングシュルツの男気に支えられこの一年生きてこれた。レオ様の切れ芸、サミュエルへのむかつき、全てが愛おしい。

5位:クラウドアトラス
久しぶりにいいトムハンクスが見られたし、別の世で功徳を積む壮大な話が凄く刺さった

6位:ジャッキーコーガン
あまりいい評判がないままに観に行ったが、自分的には大好きな作品。レイリオッタの殺され方は最高だし、「許されざるもの」のイングリッシュボブに匹敵する殺し屋ミッキーの「お前なにしにきたんだよ」感もたまらないものがあった。

7位:もらとりあむタマ子
ずっと前田敦子を鑑賞していたかった。はなしのすじとかどうでもよく感じるぐらい。近年の映画で一番自然に笑いが起きていて劇場が非常に盛り上がった。

8位:ライフオブパイ
この映画こそ絶対に映画館で観なければいけない代物。本当に得がたい体験をした。

9位:ゼロダークサーティ
3時間一度も緊張が途切れなることなく見せる、ビグロー姉貴の辣腕に脱帽。

10位:キャビン
本当にアイディアが素晴らしかったし、ただのオマージュにおさまらない魅力にあふれていた。
本当に楽しい時間だった。

11位:劇場版STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)不可領域のデジャヴ
内なる乙女心が雨後のたけのこのように育った作品。完全に女の目でオカリンを見ていた。

12位:シュガーラッシュ
都営新宿線を一本やり過ごす程度には泣かせてもらった。

13位:テッドTED
そんな作品じゃないはずだが、シュガーラッシュと同程度に実は感動している。何か大切なものを大切に思い続ける、という根源的なテーマがこめられるからかな?もちろん大爆笑させてもらったけど。


14位:ラストスタンド
シュワちゃん頑張ったな。最後のタイマン、クイントランペイジ式パワーボム最高。というか全てが最高だった。

15位:ふがいない僕は空を見た
まさにsexをする桐島、最高に美しい友達殺し、最高の食物摂取描写!

16位:ルーパーLOOPER
序盤の銃の音にまじで腰が抜けた・・・。JGLのブルースウイリス寄せの涙ぐましい努力にも敬意を表したい

17位:アウトロー
キーシファイティングメソッドの格闘がかっこよかった。コラテラルに匹敵するぐらいこの作品のトムは好き

18位:HK 変態仮面
ダークナイトもどきの失敗作が数多ある中、これは見事に変態世界のジョーカーとバットマンを描ききったと思う。

19位:ムーンライズキングダム
主役の二人が超可愛かった。ウェスアンダーソンはやはり外さない。

20位:聖☆おにいさん
原作の良さそのままに面白く最後に少しほろっとさせてくれた。

21位:フライト
顔芸王デンゼルワシントンが今度はアルコール芸で見せてくれた。

22位:アイアンマン3
ガイピアースの最初のへんなかつらはなんだったんだ!。「この空の花」の高嶋兄みたいだった。

23位:リンカーン
政治闘争劇として純粋に楽しめた

24位:言の葉の庭
新海誠の変態性を存分に楽しめた。


25位:ダイハードラストデイ
この作品を肯定する発言が憚られる空気をなんとなく感じるが、正直自分はものすごく楽しめた。
不謹慎「いかがなものか」問題、「こんなのダイハードじゃない」問題等、気持ちはわからないでもないが、歪ながらも嫌いになれないんだよな。

26位:ジャーニー ドントストップビリービン
アーネルピエダのシンデレラストーリーに心躍らされた。

27位:華麗なるギャッツビー
「これを3Dにしてどうするんだ?」と観る前は思ったが、意外と3Dの楽しさを感じる事ができた。

28位:DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN
あんまり覚えていないが、松井さんという子がぐいぐいきてるのはわかった。

29位:96時間リベンジ
まさかリベンジが敵側の意思だとは思わなかった。相変わらずの狂乱親父ぶりだったが、前作からパワーダウンした感は否めない。

30位:アンナ・カレーニナ
ジュードロウに心の底から同情した。

31位:ハッシュパピー
前評判高かったけど、全編衒学的な台詞で紡がれていて、あまり心には響かなかった。
32位:ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀 とにかくスタッフロールが高速なのが面白かった。あれは仕様?事故?

33位:ゴーストライダー2
とにかく悪ふざけと言うものは真面目にやって欲しいわけである。1が良かっただけに失望した。


34位:レッドライト
「デニーロ全力でやれ!」と思うことしきり。サスペンスを装っているが興味を惹かれない。ラストの展開の製作者側のドヤ顔がちらついたが「いや、そもそもどうでもいいですから」という気持ちが募った。キリアンマーフィーが主役顔じゃない。見所はシガニーウィーバーだけだが、割と早く死んでしまうのでそれ以降は0点


35位:カラカラ
主人公のじじいに対する嫌悪感しか残っていない。
今年最後の劇場鑑賞映画。

正直相当きた。

年末に「かぐや姫の物語」と合わせて、二人の姫に出会えた気分。

前作の山下敦弘監督、前田敦子コンビ「苦役列車」は原作小説が好き過ぎて
作品全体は好きだったが、前田敦子のところだけ違和感しか感じなかった。

その点本作は物語自体が前田敦子の異形性だけで紡がれているので、
前田敦子の所作と言う所作を存分に楽しむことが出来た。

「少なくとも!・・・今ではない」
「・・・透明感?」
「駄目だな・・・日本は」
「恋に部活に忙しいんだよね」
「好きなの?」
「脅されているの?」
「ああ!甲府スポーツ!」

等々、とにかく声に出したい日本語に満ちている。

あと基本的に物を食っているので超お腹がすく。
団子を死んだ魚のような目でモシャモシャしているのが可愛い。

可愛いと言えば、冨田靖子が相変わらず綺麗だったのがびっくりした。

タマ子は2013年度「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』のもこっちに匹敵する今年のベスト駄目DIVAといえる。
観てきました。

今年のNO1と言わざるを得ない・・・いや言えて嬉しい。
寒風吹きすさぶ中わざわざ映画館に出向いてこの映画に出会えた体験に感謝したい。

原作は、よくわからない理由で生まれ落ちた謎の女が無理難題を言って男を困らせてよくわからないうちに帰って行く飲み込み辛い話であり、観る前は(原作の最後に一応罪という言葉は出てくるものの)竹取物語に罪だの罰だの、なんだってそんなご大層な話が出てくるんだと首をかしげていたが合点がいった。

この話から、人間の罪と罰に着眼する高畑監督の慧眼には恐れ入るばかり。

まず前半は、本質としての生きる喜びが動きとして前半存分に堪能する事ができる

小さいミニチュア化された姫の形態から赤ん坊の姿にメタモルフォーゼしていく。
この最初の最初でまず物凄く不思議な感じにさせられる。ざわざわするのだ。
映画「ベンジャミンバトン」の数奇な一生をほんの数秒でアニメーションとして提示したことに
感動を覚える。

「姫、おいで、姫、おいで」と、拍手をして呼び寄せると赤ん坊の姫は翁の方に歩いていく。その時の翁の世転びにあふれた涙でこっちもすでいしてウル。まだ10分もたっていやしない。

そこから怒涛の
背中這いずり~カエル追っかけ
喜びのシーン、捨丸と二人して盗んだ瓜を食べるシーン
まるでブレイクダンスのような赤子姫のムーブ
雉をとって、キノコを食べて鍋にしようとするシーン
滝への飛び込み・・・

その絵的な気持ちよさを挙げていけば枚挙に暇がない。
そして成長するにつれて可愛くなっていく姫の圧倒的な説得力。求婚者の心情に完全に同期している。


ジブリ出身で、宮崎駿監督にも薫陶を受けたアニメ監督宮地昌幸さんによれば、それらの特に躍動的な場面は従来の原画と原画があって、それを中割する形で紡いで行く作り方はしていないと言う。おそらくそれらのワンシークエンスは1人の人がやっている可能性が高いとも。先のブレや線の揺らぎそれ自体が生きている呼吸のようになる、イメージボードに色を付けたようものがそのまま動きだすほうが動きとして豊かなんじゃないかという発想に端を発したものではないかとの事。
あのような形でスケッチが動き出すような形のアニメ作りというのは製作者が皆心の中で希望している形だと言う。

ジブリ内部にいた人の口から語られる話を聞くだに高畑監督の製作に対する偏執には恐れ入るしかない。

髪結いの儀式で暗闇に走り出していくシーンはホントニ驚愕モノだが、
ここは、姫が己の罪を意識する象徴的なシーンでもある。絵的に異彩を放つ。
宮地監督曰く、鉛筆で書いているものに水彩画で彩色している模様で、アニメ製作においては禁忌とのこと。



また、ラジオ「ウィークエンドシャッフル」のライムスター宇多丸さんの、精緻に整合性の取れた世界=月世界あの世だとすると、不条理な歪さに満ちた現実世界に生きるかぐや姫の物語を、従来のセルアニメのような整合性の取れた手法で描くこと自体が欺瞞であるとする指摘も、首肯できる。

序盤の山のシーンまでかぐや姫の感情を追っていた描写があるが、 5人の求婚者が現れてからはかぐや姫の心が捨て置かれたまま話が進むかぐや姫はどんどん気持ちを沈ませていくという事は分かるが実際のところどんな思いを胸に秘めているのかはわからない


あの映画の月世界にとって地球の現実世界は抜流刑地のようなものだろう。

高畑監督は明確にインタビュー等でファンタジーには興味がないと言っている。この世というものが本当に生きようと力強く言い放つほどの価値のあるものなのかという哲学がとなりの山田くんなどにも込められている。

山の生活を懐かしんで作った中庭を壊すシーン中盤のシーンなどは、はある意味高畑監督のファンタジー批判にも見えた。
またあのシーンは、在りし日のおじいさんとおばあさん当の家までの幸せな生活をそこに思い出すシーンでもあるわけだが、自然というものは人の手が加わったことををメッセージとして込めているという思いでぽろぽろのトシオが人工的な自然を語るシーンにも通底する高畑哲学が垣間見れる。

求婚者の一人が宝を求めて死んでしまうが、ここは姫が生きている事自体が罪であることの象徴的なシーンだ。石上の中納言の燕の子安貝エピは5人の求婚者の中でも最も滑稽な扱いにも受け取れるが「かぐや姫の物語」では姫に自身の罪を再自覚させる役割を所与されている。

求婚者達との御簾を隔てたその距離はたとし得ようもなく遠い。
素直に美醜でもって選択したのだということ以上に、そういった本心を装飾された言葉で取り繕って供応した上川隆也のような言葉はより人を傷つける。例えば何かの悲しみに暮れている人に対し、実感を伴わない慰めがより人を傷つける事はよくあると思う。


中盤~終盤は姫の「この世界にいたい。帰りたくない」
と言う思いと「もうこの世界にいたくない」とねがってしまった両義的な感情が交錯しながら進む。喜びと絶望の交錯、生の肯定と否定がない交ぜになって観るものに鋭い問いの刃を突きつけられる。


(夢の中で?)山に戻り、その後仲代達也演じる炭焼き職人に出会う。「すでに木々は春の準備を始めている」といいう言葉を受けて、姫も雌伏の決意をする。=希望

都でたまたま捨丸と再会して、フルボッコにされる捨て丸に駆け寄る事ができず牛車に引っ込む=(絶望、人生の否定)

花見に出向いてつかの間の喜びを味わっているところへ、貧しい親子に頭を下げられ再び死んだような目になるシーン。(希望→絶望:生きている事自体が罪を重ねていくことなのだという意識の芽生え)


月世界=死の世界から転生したかぐや姫は映画内で折に触れて走る。
止まってはいけない、走り回る事が幸せなのだとでもいうように。原作では月へ帰ることに抗おうとするが、本作では抗おうとしている。整合性の取れた月世界よりも、不完全で歪な世界に絶望しながらもそこに留まろうとする強い意志がある。生の否定のように見えて、この上ない人生賛歌だったのだと終盤で気付かされ、思う様震えざるを得ない。高畑監督自身の作品「おもひでぽろぽろ」のエンディングテーマの訳詞『死ぬのを恐れて生きる事ができない』という部分についてのアンサーにも見える。

かぐや姫が戻る極楽の世界は自分が戻る価値のない世界
姫がまだ喋っている所にぴしゃりと記憶を喪失するはごろもをかぶせる。
物語展開的に空気が読めない事この上ないわけだが、人生・人の死というのは往々にして唐突に抗えない形でやってくる。このシーンのような残酷さはそういう死の抗えない洪水のような性質を表している気がする。

大事な誰かを大切にしたい、なにかをしてあげたい、好きなように生きたい、
が、それ自体が歪さを増幅させ生きづらさを増していく。

生きる事の楽しさを描いた後に、生きる事の辛さを描いている。
姫の側に侍る女童はシェイクスピア劇における道化。主人公たちのリアル喜びや悲しみに決定的な
はせず、ただその最後を見守り行くだけ。


知らないはずの山の民の歌をなぜ姫は歌えたのか?未知のことを獲得していくのではなく、既知の事を思い出しているのだ(ゼーガペイン、あるいは今年見た映画でいえばクラウドアトラス)

帝に後ろから抱きすくめられるシーンの総毛だったような顔、神聖であるはずの帝によって決定的に穢されたという感じ、もうこの世界に留まっていられないという分岐点を象徴する事に説得力がある。その後完全に姫は心霊化する。時が止まる。


そして最後の月からの迎え一行が怖い。奏でられている音楽が楽しげなのも怖さを倍化させている
。「ガンダム0080ポケットの中の戦争」のラストと音楽の使い方が似ていると思った。異化効果で悲しみ三倍増

次「かぐや姫の物語」を見る時は水に注目して観たい。熱文字での、捨丸登場シーンにだけ出てくる水、水=月にないものの象徴=捨丸という解釈には震えた

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1974年にロバート・レッドフォード主演で映画化もされた、米作家F・スコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」を、「ロミオ+ジュリエット」のバズ・ラーマン監督&レオナルド・ディカプリオ主演コンビで再映画化。1920年代の米ニューヨーク、ロングアイランド。宮殿のような豪邸に暮らし、素性も仕事も謎めいた大富豪のジェイ・ギャツビーは、毎夜のように豪華絢爛なパーティを開いていた。そんなある日、ギャツビーは、隣人の青年ニックに自らの生い立ちを語り始めるが、あまりにできすぎた物語に、ニックはギャツビーが何か隠し事をしていると直感する。やがてギャツビーは上流階級の令嬢デイジーに心ひかれていくが……。ニック役のトビー・マグワイア、デイジー役のキャリー・マリガンらが共演。

スタッフ
監督バズ・ラーマン製作バズ・ラーマン
キャサリン・マーティン
ダグラス・ウィック
ルーシー・フィッシャー

キャスト
レオナルド・ディカプリオジェイ・ギャツビー
トビー・マグワイアニック・キャラウェイ
キャリー・マリガンデイジー・ブキャナン
ジョエル・エドガートントム・ブキャナン
アイラ・フィッシャーマートル・ウィルソン
ジェイソン・クラークジョージ・ウィルソン
エリザベス・デビッキジョーダン・ベイカー
アミターブ・バッチャンマイヤー・ウォルシャイム

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原作小説は学生時代に読んだ筈だが、映画を観終わったときに小説のなかで覚えていた事は「ギャツビーという男が隣に住んでいた。最後には死んだ」と言う事だけなのに愕然とした。

アメリカ文学の代表作であり、典型的なソフトストーリー、特にアクション要素などもないことから3Dで見る意味も薄いだろうと、2D上映で見たのだが、これでもか!と言うほど奥行きを意識した撮り方が全編にわたって貫かれており、カーチェイスシーンや屋敷での幽玄的なダンスパーティーシーンなど3Dで見たらもっと楽しいだろうな・・・と思える箇所が満載で少し後悔した。

「僕が今よりもっと多感だった頃・・・」の有名な一説で始まるニックの語り、その中に「常に人の良い面を見なさい」という父の教えがある。一見飲み込み辛いギャツビーという人物を、その教えを貫いたニックの視点からの評価があることで、ギャツビーの儚さがこちらに伝わる仕組みになっているわけだが、その重要な役割たるニックをトビーマグワイヤが好演していた。

デイジー役のキャリーマリガン、相変わらずの美しさだったでギャツビーが長年追い求める対象としての説得力を十分に持っていた。また、ジョーダンベイカー役のエリザベス・デビッキもそれに添える華としてひけをとっていない。

そしてなんとっても主人公ギャツビーを演じたレオナルドデカプリオ。
大富豪でありながら、その生業は判然としないなぞめいた空気
貧しい出でありながら、一代で財を築いた胆力と、密造酒販売や賭博行為にも躊躇なく手を染めるピカレスク性
デイジーを一途に思い続ける純情さ
そういった多面性を持つ難しい役を見事に演じきっていたように思う。

終盤、トムに迫る時の本当に殺してしまうんじゃないか?と思わせる表情はやばかった。そりゃデイジーもひくわ・・・と思わせるには十分すぎるほどの快演だった。

ギャツビーはデイジーに、「トムの事を愛していた事はないといってくれ」と迫るが、デイジーは泣きながら「過去は変えられない。トムを全く愛していなかったとはいえない」と返す。ギャツビーはそれに愕然とし、やがて死への道へ向かっていく事になるわけだが、そう考えて見ると、華麗なるギャツビーは、金と権力と激しい情愛によって世界線を変えようとした「1922年のシュタインズゲート」と言えるのかもしれない。




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「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、繊細なドラマと映像美で国内外から人気を集めるアニメーション作家・新海誠監督が、初めて現代の東京を舞台に描く恋の物語。靴職人を目指す高校生タカオは、雨が降ると学校をさぼり、公園の日本庭園で靴のスケッチを描いていた。そんなある日、タカオは謎めいた年上の女性ユキノと出会い、2人は雨の日だけの逢瀬を重ねて心を通わせていく。居場所を見失ってしまったというユキノのために、タカオはもっと歩きたくなるような靴を作ろうとするが……。

監督新海誠
原作新海誠
脚本新海誠
キャラクターデザイン土屋堅一
作画監督土屋堅一
美術監督滝口比呂志
音楽KASHIWA Daisuk
エンディングテーマ(作詞・作曲)

大江千里エンディングテーマ(歌)秦基博
キャスト
入野自由秋月孝雄(タカオ)
花澤香菜雪野百香里(ユキノ)
平野文タカオの母
前田剛タカオの兄
寺崎裕香タカオの兄の彼女
井上優松本
潘めぐみ佐藤
小松未可子相沢

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とにかく評価するしないは別として新海誠と言う人は凄いなと思った。
自身に絶対の「型」があり、それを崩す事をしない。武器一つで一点突破を狙う人なんだなということを改めて実感した。

今までの作品にも言えることだが、本作も物語的に語るべき内容はほぼないに等しい。
男女間の恋慕の押し引きにまつわる甘酸展開のみに収斂される。
だから上映時間46分というのも、十分な尺・・・というよりこれでも長いくらい。

ただ新海さんもそんなことは十分承知で、あえて精緻な物語展開を構成する事を放棄して、「つっこみシロ」を残しているのだと思う。これによって好き嫌いが人によって極端に分かれる強い作家性を発し続けているのは、ツッコミ高ボケ低の風潮が製作側の世界にも蔓延しつつある昨今においては奇特な事だ。

その尺を埋めんがするためなのか、物語の合間合間を、吟遊詩人のような新海節モノローグが駆け抜ける。この新海節が許容できるかどうかがこの作品及び一連の新海作品にはまれるかどうかの分水嶺になると思う。

私は登場人物が交わす言葉や、そこに醸される空気、前後の文脈からその心情を推し量る事が物語を共有する事の醍醐味だと考えているので、都度都度モノローグで心情説明が入る事がひどく無粋に感じる。

ただ、毎度の事ながら本当に映像は美しく、それだけでタカオとユキノ、本来結ばれない二つの魂が、たまさか結い結ぶ瞬間を切り取り提示するには十分な説得力で、観る者に哀愁や哀感を抱かせる絵力は見事なもの。これこそ実写では味わえないアニメ的快感なんじゃないかという気持ちを持たせてくれる。
バルト9でこの作品を観た後、モデルとなった新宿御苑や新宿高校脇を散歩する事ができたのは本当に幸せな事だ。

それゆえにこの作品がミュージックビデオの類だったら、もっと良かったのに・・・と不遜ながら思ってしまったことも事実。残念ながら私にとっては、登場人物達が語る事の多くが、飲み込みづらく蛇足であるように思えてしまった。

新海作品の登場人物たちには、とにかく自分の周囲に極めて狭いパーティションを巡らせその中にあるもの・人に関しては夢中になったり興味を抱くが、その外にあるものに対しては完全に交流を閉ざすという顕著な傾向があるが、本作においても、その傾向は貫かれていて、タカオとユキノにとってお互い以外の人は完全に添え物扱い、二人だけの箱庭世界として話は進む。

別にそういった構造自体はよくあるし、その手の構造の名作も数多あるため悪い事ではないと思う。また若者の世界に対する見方が狭量で周辺世界以外のものに慮らない、というのは自分の若い頃を思い返すまでもなくあることだ。

ただタカオ達の達観というか、厭世観みたいなものはそういったよくある若さゆえの狭量とも少し種類が違う気がする。世界に対する無知から、というより世界はこういうものだと(勘違いではなく)十全に解した上でそういう態度表明に至ったような、いかにも大人が作った若者像のようで違和感を感じるのだ。

とはいえ、タカオは放蕩な母親を持ち苦労させられているというバックボーンがあるから、例えば「秒速5センチメートル」の二人よりは、そういう人生哲学をもつことに不自然さは感じなかったので、割と気にせずに中盤までは見れた(というより心の中で不問にしていた。

が、ユキノの正体がタカオの通う高校の古典教師で、タカオがそのことを今まで知らなかった事が発覚するに至り、私は心の中で叫ばずにはいられなかった。
「お前、それ達観とか世を儚んでいるとかのレベルじゃなくビョーキだよ!」と

しかも学校内でユキノの存在は数多ある教師の中の一人ではなく、タカオの近しい友達までもが「ユキノちゃん」と呼ぶほどの距離感にある人間であり、しかもそのユキノにはこれ以上ないスキャンダラスなよもやまが持ち上がっている状況な訳で、その諸々をなべてスルーしてきたのは、ちょっと驚くとかのレベルではない。ユキノが抱える問題の真相の無茶さとか、その真相を知ってタカオが取った行動・それに対する相手方の対応のお寒さとかは全て目をつぶってもそこだけはスルーできなかった。

そもそもタカオが靴職人を目指したきっかけが誕生日に家族から靴をプレゼントとして送られた出来事にあるのであれば、その接足対象たる人に思いを馳せることがないのはちょっと不思議な感じがする。結局の所、タカオとユキノとの関係を行きつ戻りつさせるための添え物として物語展開が存在しているので、いろいろと飲み込めに事が多くなってくる。その辺が引っかからなければもっと楽しく見れるのに・・・と思わないでもないが、そこは新海監督の強烈に香りたつ作家性をこちらが甘受できるかできないかの問題なのだろう。

タカオがユキノの靴を作るために採寸をしている時の、なまめかしい足の撮り方はタランティーノに通じるものがある。
ユキノがやっていたチョコを肴にした飲酒は自分も一昔前はやっていた。わりといける。職場の同世代の仲間が2人も尿結石なった今となっては「明日はわが身」と自重せざるを得ないが・・・。

最後、エンドロールの後の「新宿御苑をモデルにしていますが、新宿御苑では飲酒は禁止されております」の注意書きには笑った。
最近気付いたんだけどさ、きゅうりが旨いんですよ。きゅうり再評価!びっくりした。ここ半年でサン・・・ベストスリー。韓国居酒屋に言ったとき、焼酎にきゅうりのスライスが入っていた。(プチ鹿島)

僕は知ってましたよ。何十年も前にはやりましたよ。河童サワーみたいなのを推奨していた時期があり、親父どもは「きゅうりいれてくれ」と居酒屋で注文したもんだ(マキタスポーツ)

きゅうりの青い感じがメロンみたいな感じに・・・。メロンが旨い論になっちゃいますけど・・・とにかく翌日スーパーできゅうりを買ったんです。3本100円なんですね。それでキュウリで水割りを飲んだら止まらなくて・・・。あと納豆にスライスしたきゅうりを入れたり・・・

声が小さくなるのやめてもらえます?(サンキュータツオ)

ボリボリについては後で話そうよ・・・最近午前中村上春樹みたいに原稿書いて、お昼になったらちょっとスーパーにいっていいものを食べようっていうのがあって、鰯とか味のお刺身を買って、ご飯に乗せてスライスしたキュウリを乗せて見たら生臭さが消えるんだよ!なんでもキュウリいれてる、結局。キュウリをはじめて知った男ならともかくね、ずっと存在していたけどっていう(プチ鹿島)

お教えしましょう。人はね、最初キュウリが好きなんです。ところが途中でキュウリのありがたみを忘れていくんですよ。(マキタスポーツ)

気付いていなかったらおかしい(プチ鹿島)

みんなパンチのあるものを食べていこうとするんですよ。(マキタスポーツ)

キュウリ好きだったとしても思春期には買わないよね(プチ鹿島)

キュウリと思春期の青臭さは歩みとして繋がっているんじゃないか。例えばポテトサラダでキュウリが邪魔だなって言うときがある。所が今となってはキュウリがないと困ってしまう(マキタスポーツ)

いみじくもタツオが「キュウリのボリボリがうまいんじゃない」と言いかけたよね。でも高校の頃母親がキュウリに味噌付けて食っているのを見て「鈴虫かよ!」と思ったもの。(プチ鹿島)

家庭の中の料理の1アイテムみたいなのは嫌っていこうとする。多感な時期には。外食的なものばかりをおいもとめる。社会の中でキュウリ的なものは排除しようとする(マキタスポーツ)

もしかしたらキュウリが好きだった人も、若い頃はキュウリを遠ざけていたかもしれない。(プチ鹿島)

自分は小さい頃キュウリが嫌いだった。塩もみ野菜に入っているキュウリが嫌いだった。後浅漬け。俺がキュウリに目覚めるのはぬか漬けからなんだよ。夏のキュウリのぬか漬けやばい(サンキュータツオ)

口の中でのサウンドの広がりが半端ない(マキタスポーツ)

キュウリの速報が入ってきた。キュウリは90パーセント以上が水分。そしてギネスに認定されている記録がある=「世界一栄養がない野菜」

それを聞いて鳥肌が立ったかもしれない。栄養がないものを好き好んで、美味しい美味しいと言って食べる。これって大人じゃないですか?(プチ鹿島)

ナスもそうだよね夏の彼岸の時になすとキュウリで供え物をしている時の、栄養のない野菜感(サンキュータツオ)

絵が地味だよ(マキタスポーツ)

真面目な話、なぜなすとかキュウリとか栄養のないものをせっせと食べていたんだろう?(プチ鹿島)

無駄なものを愛おしく思う、と言う事にはある種の訓練が必要じゃないですか?キュウリの栄養の有無よりきゅうりの存在感の地味さが嫌だったわけですけど、そのうちキュウリの持つサウンドの妙とか、瑞々しさとか清涼感とか、わかりやすいもんじゃないけど・・・(マキタスポーツ)

冷やし中華にもきゅうりいらねって思ってたけど旨いでしょ(プチ鹿島)

都会の5千円クラスの居酒屋の軒先にたるの中に水を入れて、ホースから流水が流れている中でキュウリやらトマトやら・・・そういうのも風景の一つになっている(サンキュータツオ)

アレは悪くない。自分が武者小路実篤的になったような・・・(マキタスポーツ)

今でこそまっすぐまっすぐなキュウリが店頭にならぶけど、なんというか不ぞろいの、コントロールされていない感じのものもいい(マキタスポーツ)

不ぞろいのきゅうり(プチ鹿島)
ちょっと反動でいやだな、と思うのが、形の悪いものをわざと買いにいく、と言う自分。なんか付加価値をつけようとする感じ。3本100円程度のものを買って美味しい美味しいいっているのがいい。ネット通販で買ったりするのは生きすぎ(プチ鹿島)

高木沙耶感(サンキュータツオ)

高木美保的なやつも駄目。W高木はくせもの(マキタスポーツ)

キュウリの美味しさに気付いた時の喜びっていい。
ガキなんかガム食っていればいいんだよ。ガムって美味しいじゃん。ガとかアイスムの即効性のある味って何?我々の下は経年変化でどんどんバカになっている。ただ、複合的に楽しんでいる。自分の中で文人になった気で、それを水彩画を描いている感じとか、むしゃむしゃ食べている感じとか。

ばきゅばきゅ感(サンキュータツオ)

歯が喜んでいる感じがある。(マキタスポーツ)

持論だが、人は年を経るにしたがって変態になるもの。女性の好みなどでもよりディテール化が始まる。食べ物に関しても汁がすきだったり、パセリ的な付け合わせ的なもののありがたみがわかってきた。かつては記号でしかなかったものに(マキタスポーツ)

生ハムメロン問題に関しても最近はOKになってきた(マキタスポーツ)

徐々に許容量・懐が広くなってきたということ。その一つがキュウリということ。山水画みたいな気がする。色も墨しかなく、若い頃はその味がわからず、もっと写実的でカラフルなものに惹かれるが、それを見て年を経て山水画に戻っていくみたいな(サンキュータツオ)

キュウリが好きになるとか、そういうのの先に俳句を読むとかになってくるんじゃないの(サンキュータツオ)

おっぱいお尻問題にしても、自分はあえてお尻がすきといっていた節がある。高木史観的に。そしていまやっぱりおっぱいが好きみたいな(プチ鹿島)

おれはキュウリを迎えに言っている状態だよ。愛でている状態(プチ鹿島)

最近花を見て、愛でて「可愛い」と思うようになった。人の家の軒先で梅を見て「可愛い」とか思っちゃった。(マキタスポーツ)

置き程度に水を汲みにいこうとすると、朝顔のつたが絡まっていた。可愛いと思い、井戸の水がくみにいけないからお隣から水をもらいに以降みたいな風情(サンキュータツオ)

今聴いた話で急に思い出したけど、朝顔の天然にときめいている。その天然っぷりがぼけているじゃないですか。これって萌えじゃないですか((マキタスポーツ)

一番正しい意味の萌えですよ。「萌芽」という方の。原点回帰している(サンキュータツオ)

今我々は正しくニッポン化してる(=正しく年を取る)のかもしれない(サンキュータツオ)

するとキュウリに興味を愛でれなかった時期と言うのはおかしかったのかな(プチ鹿島)

「あまちゃん」を見ているときの気持ちって似ているかもしれない(サンキュータツオ)

詳細「ご趣味は何ですか?」ときかれて「キュウリを食べています」と未来人が言って「えー?」みたいなことがあるかもしれない(マキタスポーツ)

あくび指南みたいな(サンキュータツオ)








$魂の重さ83キログラム

聖人イエスとブッダが東京・立川で過ごす日常を描いた中村光の人気ギャグ漫画をアニメーション映画化。世紀末も無事に超えることができたブッダとイエスは、バカンスとして下界に降臨。立川のアパートで共同生活を送っていた。素性がばれないようにと注意しながらも、事あるごとに小さな奇跡を起こしてしまう日々。それでも2人の人間味あふれる行いに、人々の間に心地よいつながりが芽生えていく。俳優の森山未來がイエス役、ミュージシャンの星野源がブッダ役で声優に初挑戦。アニメーション制作は「黒執事」「青の祓魔師」などで人気のA-1 Pictures。

スタッフ
監督高雄統子
原作中村光
脚本根津理香
キャラクターデザイン浅野直之
音楽鈴木慶一

山未來イエス
星野源ブッダ
鈴木れい子松田幸代

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面白かった。元々の原作がよくできているので、しっかり笑える作りになっているのはもちろんだけど、それだけではなく、そこに住まう土着の人達の側にただ侍り、悟性をしめやかに喚起するブッダとイエスの在り様に不覚にもウルっと来てしまった。(八百万の神性を持つ日本人にこういう話は本来的に合っている)

青春時代を過ごした立川周辺が舞台なのもノスタルジーを刺激された。
際立っていい場所とも想わないが、春の桜が綺麗な所が要所要所に散見されるなあと、感慨深かった。

うっかりうたた寝=涅槃と勘違いされる危険性
市民プールでのマダール泳法
市民プールでのモーゼの道
ジェットコースターでの般若心境
ヤクザとイエスのサウナでの会話
ナイトパレードでのブッダの後光差し
セール大根のベタな堕ち

等お気に入りのシーンに満ちている。

苦言を言うとすれば、生意気な3人組の子供のくだりが長い。長い上にそれほど面白くなく、おまけに何故か入れてきている仮面ライダーフォーゼの要素が絶妙にすべっている。子供が喋っている後ろで、イエスとブッダの会話が小さく聞こえるのだが、明らかにその会話のほうに興味が行く。クリスマスも悪くはないが、少し長くて微妙だった気がしないでもない。知名度の差もあり、野暮な事は承知しているがイエスの誕生日を祝うのであれば、ブッダの4月8日も祝って欲しかった。温泉旅行の突然の不在~戻ってきました!がラストだった方がおさまりがいい気がした。


森山未來のイエスと星野源のブッダ、声には違和感は特に無かった。ED曲の「ギャグ」も映画のまったり感の中にも、なんとなくいつかは終わる日常を予感させるような哀感もあり、メチャクチャいい歌。
$魂の重さ83キログラム

2009年に発売されたXbox 360用ゲームを皮切りに、コミック、小説などメディアミックス展開され、11年4~9月にはTVアニメ化もされた人気タイトル「STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)」の劇場版。「狂気のマッドサイエンティスト」を自称し、厨二病をひきずる大学生・岡部倫太郎は、過去へ送信できるメール「Dメール」を偶然発明してしまったことから、世界規模の大事件に巻き込まれていく。TV版のスタッフが再結集し、TVアニメ最終回のその後を描く。

スタッフ
総監督佐藤卓哉
浜崎博嗣
監督若林漢二原作志倉千代丸
MAGES.

キャスト
宮野真守岡部倫太郎
花澤香菜椎名まゆり
関智一橋田至
今井麻美牧瀬紅莉栖
後藤沙緒里桐生萌郁
小林ゆう漆原るか
桃井はるこフェイリス・ニャンニャン
田村ゆかり阿万音鈴羽
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見終わった後、自分の乙女心が雨後の筍の如く育っているを感じた。
有り体に言えば、牧瀬紅莉栖がオカリンを想うように、熱く誰かに恋焦がれてみたいという気持ちが尋常じゃないほど強くなった。

見終わって、思い出したのは「蟲師」の『天辺の糸』のエピソード。
天辺草(別名迷い星)という蟲に取り付かれたフキは、生きていく中で唯一のよすがだったセイジロウからの信を失いかけ、この世に肉体を保てなくなる。セイジロウはそんなフキを現世に取り戻すために遮二無二邁進する。

同様に、過去改変を何度も繰り返していく中で、様々な「憂き」を蓄積したオカリンはようやく獲得した理想の世界線に己を保つ事ができなくなった。
リーディングシュタイナー発露者として、これまで岡部が紅莉栖やまゆりを救うために為してきた事を想い、様々な逡巡を巡らしながらも、好きな人が自身のそばに侍る、という事が自分にとっていかに大事な事か、という根本的な事に立ち返り、再びオカリンを再獲得しようとあがく
紅莉栖が健気過ぎて見てるこっちは安楽死。

ダルやまゆりに、失われたオカリンの存在を思い出させよう(世界線を越えた記憶を移植しよう)と演じる一世一代の「狂気のマッドサイエンティスト」アクトはその滑稽さとは裏腹に大いに泣けた。

$魂の重さ83キログラム

台湾で大ヒットを記録した「海角七号 君想う、国境の南」のウェイ・ダーション監督が、日本統治下の台湾で起こった台湾先住民族セデック族による抗日暴動「霧社事件」を全2部作で描いた歴史大作の前編。ジョン・ウー、テレンス・チャンらもプロデューサーを務め、プロダクションデザインの種田陽平、日本軍人役の安藤政信、木村祐一ら、日本からもスタッフ、キャストが参加している。1895年、日清戦争で清が敗れると、台湾中部の山岳地帯に暮らす狩猟民族セデック族の集落にまで日本の統治が及び、平穏な生活が奪われていく。それから35年、父親の跡を継ぎ一族の頭目となったモーナは、村の人々とともに日々を耐え忍んで生きていたが、ひとりのセデック族が日本人警察官と衝突したことから、一族のおさえこまれていた感情が爆発する。

キャスト
リン・チンタイモーナ・ルダオ(壮年)
マー・ジーシアンタイモ・ワリス
安藤政信小島源治
河原さぶ鎌田弥彦
ビビアン・スー高山初子(オビン・タダオ)
ダーチンモーナ・ルダオ(青年)
木村祐一佐塚愛佑
春田純一江川博道
シュー・イーファン花岡一郎(ダッキス・ノービン)
スー・ダー花岡二郎(ダッキス・ナウイ)
ルオ・メイリン川野花子(ナビン・タウイ)
ランディ・ウェンマホン・モーナ
ティエン・ジュンタダオ・モーナ
リン・ユアンジエパワン・ナウイ
田中千絵小島の妻
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「アポカリプト」を呼び覚ますような興奮、今まで知らなかった霧社事件という凄惨な事件をこの映画を通して知る事ができたと言う感謝、4時間半という膨大な時間を何は無くともこなす事ができた満足感等いろいろな感情を抱く事ができた。

青年期のモーナルダオの精悍さも素晴らしいし、壮年期のモーナ役の人の顔力には終始完全にやられてしまった。


始まっていきなりのおどろおどろしい太鼓の音に乗っての出草(=首狩り)シーンでボルテージは激上がり。ラグビーでオールブラックスのハカの祈りを見ているときと似たような、自分のような人間にも雄雄しい蛮性がまだ残っていたのだ、とわかる瞬間を与えてくれた。

他に序盤で印象に残っているのは、討伐に出向いた日本軍側が小休止している時に見上げている、一面血の様に赤く咲き誇っている桜。この後の長きにわたる凄惨な抗争を予見するような妖しい美しさがそこにはあった。

「第一部太陽旗」は紛れも無く傑作。日本側の圧制に誇りを傷つけられながらも、その誇りを失わずあらゆる懊悩を乗り越えて、そして身内からさえ(遠からず日本側に掃滅されるという危惧を予見しての)反対にあいながらも発起を決意する様には心を震わされざるを得ない。

特に発起の直接の端となった父親の幻影とともに、祖先の歌を輪唱するシーンは本当に凄い。
また戦に行く前、及び敗色が濃くなっていく局面でのモーナが踊るウォークライには心を打たざるを得ない。クライマックスたる運動会襲撃は、観ている者にカタルシスを与えるシーンでもあると同時に、女性や子供に至るまで無残に殺されるのはやはり日本人として心が痛むシーンでもある。

「第二部虹の橋」になると終始戦闘と音楽のリフレインになり、それはそれで心躍る場面沈痛な気持ちになる場面も多いのだが、いかんせんすでに2時間以上を消化している身には単調に感じるようにもなり、心身に若干ダメージが蓄積してしまった。ただ、これだけの凄惨な事件を教授するに当たっては、膨大な時間を浴びることは必要な事だとも感じる。心にいい汗を書けた。

一義的に日本人を悪役とみなさず、精緻な調査によって日本側にも何分かの理があるとした描かれ方をしているのは、誠実な作り方であり、単なる日本に対する怨嗟をぶちまけた抗日映画になってはいないことは日本人としてはありがたいことなのだが、その一方でその公平であろうとする作用が物語のカタルシスを奪っている感も否めない。ラストの河原さぶの、セデック族の中に失われた大和魂を見た的は発言は完全に蛇足だし、安藤正信演じる小島巡査がタウゥツア社のタイモワリスを煽って、モーナ率いるマヘボ社を初めとする発起蕃と抗争させるくだりも小島巡査を掘り下げて理解を示しすぎたせいで、若干無理が出ているような気がする。



$魂の重さ83キログラム

サム・ライミの監督デビュー作で、一躍その名を世界に広めたスプラッターホラー「死霊のはらわた」(1981)をリメイク。薬物依存症のミアは、リハビリのため兄や友人たちと5人で山奥の小屋を訪れるが、そこで禁断の「死者の書」を見つけて死霊を甦らせてしまう。姿なき死霊にとりつかれたミアは豹変し、次々と仲間たちを襲っていく。ウルグアイ出身のフェデ・アルバレス監督がメガホンをとり、ライミとオリジナル版で主演したブルース・キャンベルがプロデューサーとして参加している。

監督フェデ・アルバレス製作ロブ・タパート
サム・ライミ
ブルース・キャンベル
製作総指揮ネイサン・カヘイン

ジェーン・レビミア
シャイロー・フェルナンデスデビッド
ルー・テイラー・プッチエリック
ジェシカ・ルーカスオリビア
エリザベス・ブラックモアナタリー

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怖過ぎて口直しに「死霊の盆踊り」が見たくなるレベル。「悪魔のいけにえ」テイストも織り交ぜながら「REC」のラスト10分の衝撃が間断なく続く感じ。古典と化しつつあったスラッシャームービーに間違いなく新たな息吹を入れた傑作と言っていい。

「この映画だけは映画館で見なきゃダメ!」みたいな物言い程余計なお世話なことはないけれど、あええて言いたい。「リメイク版死霊のはらわただけは映画館で見なきゃダメ!」

今回のリメイクにあたって、様式美化し過ぎてもはや笑いのネタになっている、冒頭のいわゆる「若者が休暇中に調子に乗る」くだりは大胆にカットし、代わりに兄妹、及びその両親の絆とその懊悩が話の推進軸になっている。「エクソシスト」におけるカラス神父の懊悩と同じで、悪魔につけ込まれる一因ともなっている。「キャビン」のようなホラー映画構造自体を(リスペクトしつつも)笑う展開にせず、改めてどストレートにホラーとして恐怖を所与させる為のいい改編だったと思う。

そのように、時代にそぐわない点はうまく変えつつも、サムライミのシェイキーカム撮影だったり、木の枝姦通などオリジナル版の十八番シーンはきっちり押さえている点も嬉しい。

木の枝姦通はいうまでも無く、その他にも
オリビアの放尿、死霊化したミアとナタリーのディープキス等恐怖の中の箸休めてきなエロの数々もよかった。

Jホラー的なカメラアングルによる驚かしや、もはや白目じゃなくなった死霊メイクなど「これはもはや死霊のはらわたじゃない!」と評する向きもあるだろうが、ういった、古今の恐怖表現を真摯に取り入れ、進化発展させたものになっていると自分は考えている。そこの時代にストレートにホラーとして真に怖がらせてくれる作品たらしめた事は意義深いことだと思う。

閉鎖空間で真綿を締め付けられるように絡め取られていく展開の仕方
母親の死に方、そしてその死に目に(意図的に)立ち会えなかった苦悩が死霊との戦いの枷になっている点など脚本も洗練させていると感じる。

スタッフロールのブルースキャンベル登場は本当に「イケるぜ!」