
何故、時々悲しい顔をするのか
まだ一度も死別の経験のない若い頃、
何度か尋ねられた事があるのですが
常に笑顔というのが
自他ともの印象だと思っていたので
驚きました。
なぜか電車の窓からの景色を
ずっと眺めていると、
いつも悲しい気持ちになったので
無意識のうちに
車窓を眺めているような
顔つきになっているのかなと
思ったりして。
今月から転勤になり、
ひさしぶりに電車通勤をしていると
そんな昔のことや、
亡くなった息子ら家族と
電車に揺られながら行った
遊園地を思い出します。
アレ、クル、
まだカタコトだった幼いヨシが
車窓を指さして
いつまでも追いかけてくると
いっていたのが
月だったのか
夕日だったのか
そもそもその想い出が
本当にあったことなのか。
なんだか
すべてがあやふやで
ヨシとともにすごした
時間までもがその輪郭を失い⋯
でも、もう車窓の風景で
悲しくなるということは
ありません。
日々の暮らしの風景
そのものがすっぽり
淡い悲しみに包まれているので。
ただ静かに
かつて車窓で感じたかのように
ずっといつまでも悲しい。
ヨシの死から六年。
嵐や爆発や沈下や
いろんな悲しみを経て
春のように穏やかな
悲しみというものが
訪れてくれようとは。
生きていれば
今月に中学校を
卒業したであろうヨシが
おぼろ雲の向こうから
あたたかい春の日へ
導いてくれているのでしょうか。