美術-音楽に関しても同様だ。

ボクは絵が描けないというのではないが、下手くそだし、「絵心」その物がない。

だがその割りに、変に几帳面で、校外での写生実習の授業など、ひとたび絵筆を握れば、目に映る木々を一本一本丹念に描かないと気が済まないような性質(たち)だったので、到底限りある時間内に仕上げられなかった。

「もうソコソコでイイよ。みんなもう終わったからネ。君もイイトコロで切り上げたら?。」

と、先生に諭され促されて、やっと終結に向かうコトができるのだ。

ボクは、独りその「写生」の状況に入り込んでしまえば、周辺の状況が見えなくなるというか、全然終わりが見えないというか------完結にはほど遠いのだ。

音楽も、独り興味のある楽曲を口ずさむのは大好きだが、歌うのは上手ではない。

独り酔いしれて、悦にいってるるけど.....

そもそも、ボクは音階その物が分からないし、音符も音楽記号もそれ自体はナントカ理解するのだが、まとまった楽譜とか譜面とかなると全然意味が分からないし、ボクにとっては「異次元」の世界となるのだ。

音楽の先生に、合唱の時などに、鍵盤を「バァーン」と弾かれ、演奏を一時中断して、

「ソコを〈半音上げる〉って〈記号〉で書いてあるでショ!」

とか、

「ソコにブレス〈息継ぎ〉の〈マーク〉があるでショ!」と、スゴイ剣幕で指摘されても、全然と言ってもいいほど、ボクはお手上げだ。

ボクはそれに上手く対処出来なくて(決してボクばかり責め立てられているのではなくて、全員の連帯責任だと思われるけど)、うろたえるか、それとも中空を見上げて、目を泳がすばかりだ。

楽器では「カスタネット」とか、比較的音階的に無難なモノがあてがわれていたし、合唱の時には、音程に自信がなければ、一人ぐらい「口パク」が黙認されていて、ボクは何とか、その場しのぎというか、先ずは何となく無難-無風に生きて来たが、小学5年生の時、校長先生として、県下でも高名な先生が赴任して来た時、それはそれは危機的(ヤバイ)状況にボクは追い込まれた。

その先生は「上城 何某」とかいう、その当時の、県展-美術界の重鎮で、音楽にも造詣が深く、ピアノの演奏も、そこいらの女性の音楽教師よりもダントツに上手かった。

眼光鋭く、惣髪(今の〈ロン毛〉っちゃ、〈ロン毛〉だけど.....)揺らす芸術家然とした中高年の男性校長先生が、自ら ボクたちド田舎の小学生の個々の歌唱力の力量を査定するというので、ボクたちは出席番号順に並んで、次々に上城先生の横に立ち、彼のピアノ伴奏で、課題の唱歌を独唱させられた。

順番は次々と円滑に進み(みんなはそれなりに平然と歌って、別にどーって事は無くて)、とうとうボクの順番が回って来た。ボクはピアノの横にオドオドと立った。

少し緊張していたのは自分でも分かった。

校長先生とは初対面ではなかったが(始業式の赴任の挨拶は壇上からだが、ボクたちは整列してみんなで受けたし、廊下でスレ違う時も声掛けしてくれて、ボクたちはそのたんびに立ち止まって、丁寧に挨拶したし-------)、音楽の授業を担当するとは思いがけなくて、ボクは少し距離を取って立った。

「腰が引ける」というのはこういう状態を指すのだろう。先生は鋭い眼光でボクをにらむと、無言でボクのズボンのポケットあたりをギュッとつかみ、自分の近くへと、半ば無理やりに引き寄せた。

それが「事件」の始まりだ。