自由という鳥籠(中二病タイトルでさーせんwwwww) | あるニコ生主のつぶやき

あるニコ生主のつぶやき

気づけば書きます

僕は放送でしばしば「自由」という言葉を使うことがある
それは僕にとって放送が自由な場所で
リスナーさんにとっても自由に発言が出来る場所であって欲しいと思ってのことである


でも僕の放送はホントに自由なのだろうか


僕が放送していて気付いたことは
「自由なものはいつの間にか暗黙のルールに縛られる」
ということだ。


僕の放送のリスナーは空気が読める人達が多い
あえて空気を読まない人達もいるがそれも空気が読めてこその芸当だろう。

ということは、空気が読めない奴は放送にはふさわしくないということだ。

いや別に空気読めない奴は放送に来てはいけないなんてルールはない。

しかしいつのまにか、暗黙のルールとして放送の中に埋め込まれているのだ。


もうひとつ別の話をすれば

僕は10月後半の放送で初めて一人の人のスカイプをブロックをした。

それは、放送内で決められたルールを彼が破ったからだった。

これは自由な放送を目指していると言ってる僕にとって正しいことなのだろうか。
間違ってるとは思わない。ただ正しいことないのかもわからない。



こういう風に放送の中で自由と言っていても
実際は暗黙の了解、いつの間にか決められたルールに従わなければならない。


それがいいとは思わない
でもそれが悪いとも思わない。

まぁでも
僕もリスナーも楽しければそれでいいんじゃないかなって思ってます。