原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、長崎県民の皆様とともに、原爆犠牲者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。
「私たち被爆者は命ある限り被爆体験を語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていきます。」
これは、2年前の今日、被爆者代表として「平和への誓い」を述べられた 岡(おか)信子(のぶこ) さんの言葉です。
岡さんは、その思いを伝え続けながら、一昨年の11月、93年の生涯を閉じられました。
原爆投下から78年。高齢化が進み、毎年多くの被爆者が世界の平和を願いながら亡くなられる中、その切なる思いを忘れることなく、次の世代へ引き継いでいくことが私たちに課せられた使命であります。
一方、核を取り巻く世界情勢は、ウクライナ侵攻の長期化などを背景に緊迫感が増しており、国際社会における核軍縮の動きは停滞しています。
そのような中、被爆地で初めて開催されたG7広島サミットにおいて、参加国首脳の皆様に被爆の実相に触れていただくと共に、核兵器のない世界の実現に向けたメッセージが世界に向けて発信されました。
また、G7長崎保健大臣会合では、参加閣僚が揃って、平和公園において献花と黙祷を捧げ、「長崎を最後の被爆地に」という私達の思いを受け止めていただきました。
核なき世界の実現には、核兵器の非人道性を全ての国が共有し、対話と行動を重ねていくことが必要であります。世界各国の指導者にお願いします。自ら被爆地を訪れ、被爆の実相に触れて下さい。そして、人類が作り出した核兵器は、人類自らの意志によって、なくすことができるという信念を我々と共有して下さい。
また、核兵器の問題は、環境汚染や気候変動と同じく、持続可能な未来の実現に直結することを同じ地球上に共に暮らす私たち一人ひとりが認識し、核兵器廃絶に向けて行動することが必要であります。
日本政府におかれては、唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の実現に向け、立場の異なる国々の橋渡しとしての役割を果たしていただくことを強く願います。
そして、どうか、広島で黒い雨に遭った方々と同じ事情にあった長崎の被爆体験者についても、救済の道を開いていただきますようお願いいたします。
8月9日は、長崎県民にとって永遠に忘れることのできない「祈りの日」であり、三たび核兵器による惨禍を起こさせない「誓いの日」であります。
ここに、原爆の犠牲となられた多くの御霊の安らかならんことをお祈りし、被爆者や被爆体験者のご健康を願い、核兵器のない世界の実現のため一層の努力を重ねることをお誓い申し上げ、慰霊のことばといたします。
令和5年8月9日
長崎県知事 大石 賢吾
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「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。」
これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄(すみてる)さんが語った体験です。
1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。
谷口さんは6年前にこの世を去りましたが、生前、まさに今の世界を予見したかのような次の言葉を遺しました。
「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」
長期化するウクライナ侵攻の中で、ロシアは核兵器による威嚇を続けています。他の核保有国でも核兵器への依存を強める動きや、核戦力を増強する動きが加速し、核戦争の危機が一段と高まっています。
今、私たちに何が必要なのでしょうか。
「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべきです。
今年5月のG7広島サミットでは、参加各国リーダーがそろって広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と面会し、被爆の実相を知ることの重要性を自らの行動で世界に示しました。また、このサミットの成果文書である「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」では、「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」ということが再確認されました。
しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという「核抑止」を前提としています。核抑止の危うさはロシアだけではありません。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。
私たちの安全を本当に守るためには、地球上から核兵器をなくすしかないのです。
核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。
今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきです。
人間を中心に据えた安全保障の考えのもと、
対決ではなく 対話によって
核兵器廃絶への道を着実に歩むよう求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
唯一の戦争被爆国の行動を世界が見つめています。核兵器廃絶への決意を明確に示すために、核兵器禁止条約の第2回締約国会議にオブザーバー参加し、一日も早く条約に署名・批准してください。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、朝鮮半島の非核化、北東アジア非核兵器地帯構想など、この地域の軍縮と緊張緩和に向けた外交努力を求めます。 地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。
被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。
この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。
その被爆者の平均年齢は、今年85歳を超えました。被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている中、
この本当の意味での「抑止力」をこれからも持ち続けられるか、
そして核兵器を廃絶できるかは、
私たち一人ひとりの行動にかかっています。
被爆地を訪れ、核兵器による結末を自分の目で見て、感じてください。そして、
世界中で語り継ぐべき人類共通の遺産ともいえる
被爆者の体験に耳を傾けてください。
被爆の実相を知ることが、核兵器のない世界への出発点であり、
世界を変えていく原動力にもなり得るのです。
私は、両親ともに被爆者である被爆二世です。「長崎を最後の被爆地に」するため、私を含めた次の世代が被爆者の思いをしっかりと受け継ぎ、平和のバトンを未来につないでいきます。
日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と一日も早い被爆体験者の救済を強く求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、長崎は、広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島をはじめ、平和を希求するすべての人々と連帯し、「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2023年(令和5年)8月9日 長崎市長 鈴木史朗
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6日の広島平和祈念式典で 🈁前回🆙した内容に💫沿うように💫💫💫。
ご高齢となり、とても少なくなってきている被爆者の 『 体験談 』こそ が❗。
「本当の意味での 『抑止力』」
であること 。。
、
核抑止力 ではなく❗❗。
核兵器廃絶 、 全撤廃 こそ が❗、
世界中🗺の人類の安全を護ること。
対決 ではなく 対話 を ✨✨。
…
私🌟には 特に 、、
こちらの 鈴木史朗 長崎市長 の
トテモ真剣な眼差しで
力強く訴える。
その姿✨と ⇧の、的を射た言葉の数々が
とても、印象に残りました。
また 、 皆さん一様に仰っている
「 現地を是非とも訪れて、肌で触れて感じてみて。」。、という

岸田首相や 被爆者の女性のスピーチも
どれも素晴らしかったです。 ‥ 、が。
前回も 記しましたが…
コレが。
一過性のパフォーマンスとなるのか
それとも、新たなる出発点
となるのか
、、、やはり 。
私たち🌟 、ひとりひとり、 個々人 の。
心掛け次第 、であり。💫🕊💫
ソ ノ 、心掛け 、 って。
トドのつまりは 。
いつもいつも いつも 何時も、。
ズーーーーー 、ット 。、。
🈁にワタシ🌟が シツ、ッッッ コク、記してきているコト 、を。
トニカ〜ク 、実践する🌟、コト。
🈁神の国⛩💫🏯日本🗾。、が。
世界的🗺にも 唯一の、被爆国である こと。
則ち。。 これも‥やはり。💫💫💫
定められた宿命💫に沿っている💫ことで。
この件をはじめ 、 あらゆる場での。
真のリーダーシップ✨をとるべき💫🏯💫国
。。 、という💫示唆💫 なんですョ
ヒトリでも 、 多〜くの 皆様に。 、、
どうか。 。。真っ直ぐに 伝わり、
そして
沢山の人々が 早く💫目醒めますように💫🎀🎀🎀