そして、今日目が覚めた時、潜在意識下での思考が始まります。やはり出てきます、潜在意識で意識していることが。胸の感覚の確認をすると確かにモヤモヤ感がありました。30分くらいの時間がかかったでしょうか。あれやこれやの考えが頭の中を駆け巡りますが、覚醒しているときよりもそのスピードが格段に速いのです。最後はジャンヌ・ダルクまで出てきました。
潜在意識下での思考は常に正しい。しかし、そこにたどり着くには、感情という顕在意識を解放していく作業が必要になるのですが、顕在意識が弱いため、割と簡単に潜在意識と直接対話することができます。
「あなたは常に正しいんですよね?」しかし、何も答えません。「人間だれしも正しい意識が根底にあるはずなのに、なぜ苦しみ、正しく理解ができないのですか?」やはり、なにも答えてくれません。
と・・・・・・・・・その時、扉が開き光が指すかの如く答えてれました。(イメージです) 答えは「寛容」でした。それに気づいたとき、いじめの問題も内田さんのことも消えると同時に胸にあったモヤモヤも消え、晴れ晴れとした気分になれたのです。
全ての生命に宿りし御心は寛容であり、豊かな愛と勇気に満ち溢れ、幸せそのものです。その時、瞬間的また直感的に「常にそれに目を向けることが重要だ」と感じました。
我々はついつい悪い感情を消すために、それが発生したのはどこかを探ろうとして、それを突き詰め解放しようとします。それも重要な方法ではあると思うのですが、それよりも積極的によい感情がうまれた体験を探して、なぜその状態に自分の心がなったのかを探ったほうがいいのではないかと思うのです。実はこれがなかなか難しいのです。なぜなら、そのような体験が負の体験よりも圧倒的に少ないからです。ただし、認識している負の体験は、実は真逆のことも多くあります。また、負の体験と思っていたことは、実は正の体験の前触れや準備段階であると思います。よって、負の体験というものは本当は空想上のもので実在しないと認識していたほうがいいのかもしれません。
そして、いいことは反省しないので、よかったで終わってしまうため、その気持ちに同化することがなかなかできないのだと思います。
本質はシンプルなのですが、そこまでたどり着くには人それぞれの道があり、同じ道を使ってもたどり着けない人がいますが、必ずたどり着ける道はあるはずです。それは自分で見つけるしかないのだと思います。幸いなことに多くの賢人がそのヒントを思想、哲学、宗教、具体的な方法論や体験談、小説、逸話、格言にして残してくれていますし、柔道、剣道、合気道や様々なスポーツも仕事もそしてトレード(相場道)もそれに当たると思います。潜在意識が欲しているのならいつしかそれらに巡り会えることでしょうが、それには時機もあるのだと思います。
遠藤周作の「王国への道」をずいぶん前に夢中で読んだ記憶があります。あとがきで、江戸初期、山田長政と共に平戸?からキリスト教を深く知るために異国へ旅立ち、のちに布教のため日本に帰国するも捕らわれ、十字架にはりつけにされて処刑された青年(名前は忘れましたが実在したようです)が、最後に「お前らにわかってたまるか!」と叫んで絶命したと書かれています。当時、そこを読んだ時、全身の鳥肌が立ったことを思い出します。
ジャンヌ・ダルクは「イエス様、イエス様、イエス様」「全てを委ねます」と絶命の前に叫んだと言われています。青年とは対照的に、神に向かって話しかけています。
言わば、理不尽な扱いをされた、その青年とジャンヌは、神とどんな対話をして、心の底ではなんと叫んでいたのでしょうか・・・・・・?(終)