「FXブログ 笑えるFXトレード日記 内田塾」を2008年の最初から読んでいるのですが、ようやく2012年に入りました。最初から読み始めたのがいつだったかを自分のブログで調べてみると昨年の11月13日でした。
こういう時も自分でブログを書いておくとすぐに検索できて便利なところですね。そして、ブログをつけることで最も大切なのが、その時どんなことを考えていたかを後から回顧できることです。「ああ、このころはこんな考えでトレードしてたんだ」とか「半年前は、こんな悩みを持って苦悩してたんだよなぁ」など、自分の成長ぶりが見れることです。普通であれば成長は正に働きます。成長が止まること(スランプ)はあっても、成長が逆にいくことはまずありません(ふてくされて投げ出したり、諦めたらそうなりますが)。よって、成長した自分が過去の未熟な自分にアドバイスするかの如く自分のブログを読み返すことができるのです。勿論、誰かに読まれているという緊張感があってこそ、続けられるものだと思っていますので、読んでくださっている方には大変有り難く思っています。
内田さんのブログを最初から読み始めてもうすぐ2ヶ月が経とうとしていますが、その気になれば1週間で読み終えることができる分量です。しかし、2009年頃まで読んでいたとき、「いいこと書いてるなぁ、やはり同じ気づきもあるなぁ、でも繰り返し同じこと言ってるなぁ」という感じで、だんだん読むペースが落ち、いつしか読まなくなっていました。再び読むきっかけを作ってくれたのが、今年1月3、4日の負けトレードと1月4日のバイクでの転倒でした。このようなことを世間一般には、「人間万事塞翁が馬」とか「失敗は成功のもと」などというのでしょうが、私も「失敗は成功を生み出すiPS細胞」とか「吾輩の辞書に失敗という文字はない」など格言じみたものをつくってます。でもブログ、格言に出会うのは、意識的無意識的であれ自分が求めていなければ出会うことはなかったでしょうし、例え出会ったとしてもその意識がなければ素通りしていきます。これは、人との出会いもチャンスとの出会いも同じことが言えると思います。ただし、どんな人でもどんな言葉でもどんなチャンスでもと、みそもくそも一緒にして受け入れていれば、良くないこともあるでしょう。みそとくそを見分ける判断力も備わっていなければなりませんが、それには自分を向上させるしかないのだと今は思っています。(人間そのものにみそもくそもありませんが、それぞれの人間にはみそとくその状態はあると思ってます。)
そのきっかけでメンタルを今一度より深く考え直さないといけないと気づき、何気なく笑えるブログを読むのを再開したのですが、しばらくはやはり同じことの繰り返しでした。しかし、あるところで目がクギ付けとなります。それが、2011年9月12日からのブログ(笑えるブログ2011年9月12日)です。潜在意識についての記事がしばらく続きますが、これも衝撃的な文章でした。ただ、時間が経つとその衝撃も薄れていくので、気づいたことを身体に染み込ませる作業が本当の楽しいこと(決して苦しい修行や鍛錬や練習ではなく)であることは忘れないようにしたいと思います。
私のブログにしても内田さんのブログにしても、その人が求めていなければ素通りしていきます。いくら伝えたい人がそれが大事なんだと言ったところで、相手側に求める意識がなければ伝わりません。伝える側がどんなに伝えようとしても、逆に逆恨みされることもありますので、内田さんが言われるように、私も人を選んでこれらのことは話すようにしています。以前の私が手法ばかりを探していたとき、「ゾーン」という本を読んで意味がさっぱりわからず退屈だと感じたことと同じです。
今では手法に興味がなくなっているので、人間かわるものだなと感慨にふけっています。卑下慢と謙遜がテーマなのですが、長くなってしまいましたので、次回にします。・・・(2)につづく