じーじ(父)の三回忌法要(^人^)✨ | ころころこころ

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父が旅立ったあの日からまもなく2年になります。↓↓

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葬儀も家族葬だったので三回忌法要も

こじんまりと身内だけで行いました。

(^◇^;)

 

法要が始まる前に住職から

『これからお経をあげさせていただきます。

その間、どうか、みなさまそれぞれ、常夫さんとの

楽しかった思い出を思い出しながら

この時間を過ごしていただけたらと思います。』

という暖かいお言葉をいただいたことにより

お経の間はずっと父の姿を思い出していました。

ワ━(*゚∀゚人゚∀゚*)━ィ♪!

 

そして法要後はこんなお話をしてくださいました。

『本日の三回忌などの仏事を『追善供養』といいます。

このように特別に故人のご冥福を祈って供養することも

もちろんそのように言うのですが、

『追善』の文字があらわすように

生きている人が行う善行が、亡くなった人の善行となり、

それがまた、自分に戻ってくるという考え方なのです。

つまり『追善供養』は広い意味では毎日の供養なんです。

あまり聞きなれないかと思いますが、

『報恩感謝(ほういんかんしゃ)』という言葉があります。

恩に報いる気持ちを持ち、ありがたいと思う心です。

私たちはひとりで生きているのではなく、

先祖代々、多くの生命によって

生かされているのだということを忘れず、

日々の生活の中でも手を合わせ

ご先祖さまへの感謝の気持ちを持ったり

亡くなられた方を思い出すことだけでも

りっぱなご供養になるのです。』

 

お勤めが終わりお着替えされた住職と

もう少し雑談!僧侶への修行のお話になりました。

 

『曹洞宗の教えの根幹は坐禅にあります。

私たちは《お釈迦さまと同じことをしなさい。》

と言われてきました。

それは、お釈迦さまが坐禅の修行に精進され、

悟りを開かれたことに由来するものです。

何か他に目的があってそれを達成する手段として

坐禅をするのではなく、ただひたすらに座るのです。

坐ることによって身体を安定させ、

心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。

座禅の実践によって得る、身と心のやすらぎが

そのまま『仏の姿』であると自覚することにあります。

坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、

それが悟りの姿なのだということです。

でも、そこまではなかなかむずかしいです。

私もまだまだ修行中です(笑)!

 

修行というと日常から離れた何か特別なことのように

聞こえますが、毎日の生活の中の行い1つひとつを

坐禅と同じ心でつとめ、それを実践し続けることが

私たちにとっての修行なのです。

 

たとえば、目の前にこのお茶があります。

このお茶のことだけを

考え、見つめ、味わい、感じてみるのです。

物事の真実の姿、あり方を見極めて

対応していく心の働きを整えるのです。』

 

仏教と心理学・・座禅と瞑想に広がり・・

そしてやっぱり住職も

マインドフルネスを絶賛してました!

爽やか、かつ、控えめなお方で・・

『マインドフルネス瞑想の中の1つとして座禅が

入るのではないかと思います。』

と、おっしゃっていました。

素敵なお話ありがとうございました!

(人´∀`*).。:*+゜゜+*:.。.*:+☆

 

座禅とマインドフルネス・・

どちらも大切なのは・・今この瞬間を味わうこと!

 

ゆっくりだけどマイペースで学んできたことが、

身近に感じられるときめきと・・

どんどん繋がっていく喜びと・・

そして、3年前よりも1年前は、

半年前よりも先月は、

おとといよりも今日は・・

見えないくらい少しずつでも・・

穏やかでいられるようになったと思える幸せを

心に刻むことのできたひと時でした。

(*^◯^*)

 

 

 

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