自分の周りの出来事やあらゆる犯罪(事件)などのニュースを耳(目)にする度に、つくづく考えさせられることがあるんです。
それは性善説と性悪説について。
哲学的な話になっちゃうけど、人間の本来の性質は生まれもっての善か悪かということ。
Wikipediaからの文を引用するなら、
『性善説・・・・・人の本質(性)は基本的に善であるとする説。
性が善でも放っておけば、悪を行ってしまうようになる為、「聖人の教え」や「礼」を教える必要性がある。(孟子)
性悪説・・・・・人間の本性は欲望的存在にすぎないが、後天的努力(学問を修めること)により、公共善を知り、礼儀を正すことができる。(筍子)
性無記説・・・・性には善も悪もない。(告子)
その他の説・・・・性が善である人もいれば、悪である人もいる。
人の中で善悪が入り交じっている。』
こういった風に、昔の中国の哲学者の方たちが色々な説を唱えてるよう人それぞれ色々な考え方があると思います。
俺の考え方は、「人の心の中には善悪が入り交じっている」かな。
人間には良い心と悪い心があって、それが葛藤している。
俺自身、自分には良い心と醜い(汚い)心が同居してると思います。
それによって、苦しんでしまうことが今までにもよくありました。
でも、今はそんな自分と向き合って、その悪い心も良い心も受け入れることにしてる。
そうすることによって、自分が見えてくる。
自分が悪いと思うところは、治せばいい(これがなかなか難しいことだけど)
それを受け止めた上で、強い自分になれれば、自分自身の弱い心にも負けない。
他人(心ない人)から何を言われても気にしなくなる。
他人の言動から悪い影響を受けないで済む。
自分の弱さで人を傷つけなくて済む。
あと、人の弱さや痛みを知った人は、きっと他人にも優しくなれると思う。
今まで、人に裏切られたり傷つけられて人間不信になったり、自分も人を裏切ったり傷つけたり、人を憎んだり、自分を憎んだり、そんなことも色々とあった。
今でも自分のこと嫌いだし、苦手な人もいるけど、結局、俺自身も人間なわけだから、決して人間嫌いにはなれないです。
自分自身を否定すべきではないと思ってるから(自分を否定するのは自らの命を絶つときだと思ってる)
今でも独りでいるのが好きだし、他人に合わせるのが苦手。
だけど、その反面、淋しがりでたまに孤独を感じる。
自分に自信が持てない。
自己顕示欲が強い。
人からよく見られたい。
損得でしか人間関係を築けない。
とてもネガティブな性格である。
だけど、そんな弱い自分も情けない自分も醜い自分も受け止めて、そういうところを改め良くしていかないと。
また話が逸れたし、うまくまとまらないし、自分のこと語ってばかりだけど、
今回、俺が一番言いたいのは、
「どんな人にも良いところと悪いところがあると思うから、悪いところばかり見ようとしないで、その人の良いところを見つけてあげよう」
と言うことです。
今までずっと自分が嫌い(苦手)だった人が優しいところもある人だとわかったときに、特にこのことの大切さがわかりました。
結局、今まで俺はその人の悪い面しか見ようとしてなかったことになるんですよね。
前の記事にも書いたように、変な先入観をもって人や物事の悪いところしか見ないということは、愚かなことだと思う(その逆もまた言えるかも知れない)
俺の言ってることは奇麗事に聞こえるかも知れないし、自分の意見を押し付けるつもりはありません。
あと、性善説も性悪説も否定しません。
人それぞれ色んな意見や考え方があると思います。
ただ、俺は自分の考え方や意見を述べただけです。
ただ、これらについてあまり考えすぎてしまうと、本当に答えが出ないので、俺自身あまり考えすぎないようにしてます。