2015.7.8

お昼もそこそこにR病院へと向かった。

午後のR病院は閑散とした雰囲気で、すぐにH先生の診察室へと通された。

H先生「僕も意外だったんですけどね、PETの画像でどうも肝臓が光ってるんですよ。今からMRI撮ってもいいですか?直ぐに結果出ますので」

胸の辺りがゾワゾワとした。

待合ではいつもおしゃべりな父がこの時ばかりはずっと黙ってスマホの画面を見つめていた。

検査を終えた母が着替えを済ませて出てくると、程なく診察室に呼ばれた。

H先生「うーん、転移してますね。入院前に撮った画像には何にも映ってないのに。ここに灰色の濃い部分があるでしょう?これ、多分癌細胞ですね。」

肝臓の真ん中より少し上に、小さな影のようなものが映っていた。

私「今の母にはもう手術は無理だと思うんですけど、どうすればいいですか?」

H先生「今日、理事長とも相談したんですけどね、理事長は転移が肝臓だけなら千葉で重粒子線を受けるのがよいのではと言ってました。
ですので、いずれにしても国立大阪医療センターのS先生をご紹介します。すみませんが明日もう一回来て頂いてCTを撮らせて下さい。今日はもう予約で一杯なんです。」

この日の気持ちは忘れられない。
S胃腸科で大腸癌の告知を受けたあの日とも違う。

「遠隔転移」

癌細胞は大腸だけではなく、全身を駆け巡っていたんだ。
前日までは大腸癌ステージ2、しかも手術によって無罪放免になり、健康になってきたと思っていた母が、いきなり大腸癌ステージ4を宣告され、重病人になってしまったと言う感覚。
昨日の母とは何にも変わっていないのにね。

帰る頃にはもう辺りは暗くなり始めていたので、R病院近くのロイヤルホストで夕飯を食べて帰ろうと言う事になった。

4/13の大腸癌宣告から自分の生活はある程度返上して、仕事と母の事を両立させてきた。
これからはさらに手強い相手と闘わないといけないと分かっていても、なかなか気持ちがついてこなかった。

母にしても、わずかしか残されていなかった体力を大腸癌の外科手術で使い果たしてしまった今、途方に暮れるしかなかった。

そんな中、1人モチベーションを保っていたのは父だった。

父「病院の治療と同時に免疫療法やってみようと思う。まずはNK細胞活性化療法はどうかと思う。◯子、どこがいいか調べてくれへんか?」

すでに週に2回の高濃度ビタミンC点滴はやっていたが、ここからさらに免疫療法へとどっぷり浸かっていく事になる。

この3年間で父は免疫療法や民間療法に約4,000万円を費やす事になる。

チャレンジしたのは、高濃度ビタミンC点滴、NK細胞活性化療法、αβ療法、樹状細胞療法、秋田の玉川温泉、黒にんにく、マヌカハニー、プロポリス、シイタゲン、カバノアナタケ、紅豆杉などなど、その金額と効果、母の状態を少しずつ記録に残していきたいと思います。