2015.4.13

運命の日

朝からそわそわしながら父からの連絡を待った。

何時頃に父からの電話を受けたのかは記憶がない。
父からの着信があって

父「もしもし」

私「どうやった?」

父「アウト」

父はたったそれだけを言った。

私「そっかぁ、、、」

父「今から、こっちに来てくれへん?これからの事を相談したい」

私「分かった、すぐに向かうから」

家族の夕飯をどうしたのか、覚えてない。
実家には暗くなり始めた頃に着いたと思う。

実家に着いて、母に会った時、母はわざと「へっへっ」と笑ってみせた。
それが精一杯だったんだと思う。

でも、またさらに体が小さくなっていて、なんとなく消えそうに見えた。
うまく言えないけど、輪郭がぼやけていると言うか、、、影が薄いと言うか。

実家の居間で家族会議になった。

S胃腸科での診察では

S字結腸癌
恐らくステージ2

すぐにどこかの病院にかかって下さいと言われたと。

え?
S胃腸科からは紹介してもらえないの?

町の病院ってそんなシステムなん?

大腸スコープをするのにこんなに待たせておいて、結果癌を見つけるだけで後は知らんって?

それなら、結局検査に1ヶ月かかったんだから、最初から大学病院にかかっておいたら良かった。

いとこにはすでに相談していたらしい。

いとこの卒業したK大医学部付属病院へは紹介してはもらえるけど、多分手術となると1カ月は先になるとの事だった。
いとこのコネクションなんて全くなかった。
そんなに待ってられない。
もう、その頃の母はほとんど何にも食べれなくなっていた。

父は

そんな普通列車に乗ってたんじゃ、お母さん死んでしまうよ。
特急券を手に入れないと。
俺、明日のロータリーの会合でS先生に頼んでみる。

S先生と言うのは、父のロータリー仲間でO大の名誉教授。O大付属病院の救急救命センターを立ち上げられてプロジェクトXにも出演された方でした。 

ご自身でも病院を経営されているので、その病院で診てもらえないか聞いてみる。

との事だった。

父は時折涙を見せながら、とにかくなんとしてもお母さんを助けたいと言っていた。

どんな事でも協力するから頑張っていこうね

そう言って実家を後にした。