前も書いた気がするけど…親への感謝は一生をかけても返せないだろう…
親は必然的に自分の親に出会う。まあ…望む、望むまいを異にして…

今あなたがそこに存在してるのは…親が出会ったから…

もし親が出会ってなかったら…確実に今の自分はいない…

そんな当たり前なことに…気づける人は少ない…

もし親が別々の人生を歩んだら…自分の存在は有り得ない…

生まれる順番もすごく大切…もし自分が先に生まれていたら…
人生は全く違った様相をみせていただろう…

今の自分がそこに居るのは…親の奇跡的な出会いからはじまる…
だから縦のつながりはとても重要で…大切で…

でも…「自分は一生一人でいい」という人がいる…

縦のつながりを自分で終わらせるのは…とても覚悟のいること…

自分は親が背負った責任を放棄するのだから…

それは逃避に近い…

自分のしたいことが…子供が生まれることで不可能になる…

それは傲慢だ…そんな理由で縦のつながりを消してはいけない…
あなたの夢は…あなたが追えばいい…人に押しつけなくていい…
正義と偽善の決定的な違いはなんだろう…答えは一つ…

正義には偽りはない…純粋な力…それはきれいだけど…危険…
正義は人それぞれ…100人中99人が悪と判断しても…

自分自身が正しいと感じれば正義となる…

かつての戦争…原子爆弾を落とされた日本としては「悪」

しかしアメリカとしては「正義」…正義に正解も不正解もない…

ただ純粋な力でしかない…

「偽善」はどうだろう…字を分解してみよう…

「人の為の善」と書く…つまり人の為にする行為…

たとえ内心が伴う必要はない…自分としては筋が通ってないと思っても…

他人の要求に答える…それが「偽善」

どちらがいいかはその人次第…

「正義」を背負えば…他人の批判に耐えないといけない…

「偽善」を背負えば…自分の心の中に矛盾の存在を抱える…

どちらも辛い…だからどちらも正解でもなければ…

不正解でもない…ただの…事実ではない…
ある人は野良猫をみて「かわいい」と撫でる…

ある人は野良猫をみて「かわいそう」と嘆く…

またある人は野良猫をみて「ごめんな」と呟いてどこかに連れて行く…

人それぞれ感情は異なる…それは構わないけど…

猫は昔からそこに居たのだろうか…

その猫は誰かが捨てたのかもしれない…

…人間は自分の都合しか考えない…

犬や猫…さらには自分の子供でさえ…

捨ててしまう…それでいいのだろうか…?

人間の命すら大切にできない人間が…

他の命に責任を持てるのだろうか…

考えても無駄なのかもしれない…

人間は自分のことしか変えられないから…