そうやって逃げる…いつも言葉だけ…

そろそろやめたい…言葉に出す必要はない…

やりたいなら…言う前にやってるはずだから…

つまり…言葉で言ってることは…大抵あてにならない…

例えば「いつか一人で海外旅行したい」って言ってる人は…

おそらく一生日本にいるだろう…

本当にしたい人は…他人に言うまでもなく…計画をたてるだろうし…

言葉に不安なら…英語なりなんらかの言葉を学ぶだろう…

ここまでいうと…人の言葉は信用しちゃいけない…そう勘違いされるだろう…

でも…行動で示すように変えればいいだけなんだから…

別に他人に宣言するまでもなく…動けばいい…

宣言をすることで…自分に責任をつくる…そういう方法もかつてはあった…

今は…政治家のマニフェストもそうだけど…

「マニュフェストでは言ってましたが無理でした」という…

単なる保険に成り下がっている…

言葉に出すなら責任をもとう…たとえどんなに小さいことでも…
だって「信じる」の「信」って「『人』の『言葉』」って書くんだし…
そうやって様々な人たちに言われてきた…まわりに居る人達に…
確かに自分の周りには勉強のできる人がたくさんいた…

早稲田に行った人も居れば、一橋に行ったひともいた…

でも…俺は三流私立…馬鹿にされても当然だった…

でも…高学歴保持者の彼らは偉いのだろうか…?

たとえば東大にいった人間は偉いのか?他人の可能性を判断出来るほど…偉いのだろうか?

俺は違う…たとえ一流の世界にいる人間が、三流にいるという理由だけで…可能性を否定できるわけがない…

他人の可能性は他人にしか表現できない…

高校時代の成績が…大学のレベルが…その人の可能性とイコールになるわけがない…

俺は…やれると信じている…自分の夢を実現できると信じている…

だって…俺のことをわかってやれるのは…俺だけだし…
そうやってテレビ番組で話てた…しかし…人間本意だと思った…
人間は生きるために沢山の命を必要とする…

一人が生きるために、沢山の命がいる…

今までどれだけ焼き肉を食べた?焼き魚は?

ご飯は?野菜は?…それらだって生きていた命…

人間は死を恐れ生にしがみつく…しがみついて見えなくなる…
見えなくなって…考えるのをやめる…

あなたの命は…たくさんの命がつまっている…

だから死について考えなくていい…

我々が生きるのは…なくなった多くの命に感謝するため…

大丈夫…死はあなたの背後に常にある…

ただそれだけ…生き抜こう…

俺たちのために消えていった多くの命に…感謝するため…

まあ…使命感に駆られる必要はないんだけどね…

みんな違って…みんな同じ…

そんな矛盾が…ただあるだけ…