【何者かになりたい】若者なぜ人生に迷う?天職ってある?自分の才能って気づける? アベプラ AbemaPrime を観て
私は、「人は毎日違う人になっている」と思っています。
10年前の私と、今日の私は、全く違う意見を持っています。
顔だけでなく、服や音楽の好み、食べるものも変わっています。
価値観が大きく違っています。
これは、10年とまでいかなくても、1日でも起こります。
昨日と今日では、意見が変わっているということ、ありませんか?
それに加えて、時間によっても変わります。
朝起きた時、家の中での自分。
電車に乗っている時の自分。
学校や職場での自分。
レストランで食事をしている自分。
お母さんなのか、娘なのか、社会人なのか、学生なのか、友人なのか、先生なのか、お客なのか、、、
一日の中でも、場面によって話し方、振る舞い方、取るべき行動、発言が変わります。
1人の人は、何面も持っています。1人の人が、「この人は、何者」と固定されることはありません。
これでは、「何者かになりたい」の、「何者」は、なかなか成り立たないですね。
私は昔、「自分はこの世に存在している意味がない。役に立っていない。地に足がついていない。生きている価値がない」と思い、重いうつ病になっていました。
その時に、「何者」という肩書が、欲しいと思っていました。
だけど今は、「何者」なんて実際は存在しないのだと気が付きました。
現在の私は、フランス在住で7人の子育てをしています。
これだけで、個性的で、特徴のある人、しっかり「何者」のステッカーが貼られていると思いますか?
確かに、フランス在住7人の母という響きは個性的です。
しかしこの肩書を得た今も、実際は、「何者」にもなっていません。
何者かになったという感覚も、特典も、何もないのです。
昔の、「何者かになりたい」と思って、苦しんでいた頃の感覚を覚えています。
今思い返して感じるのは、
私は、存在しないものを追い求めていた
ということです。
今なら、わかります。
追うべきは、存在しない未来、存在しない理想の自分ではなく、今目の前にある人と事。
その場、その場に向き合うこと。
結局生きるということは、そうやってしかできないのだと気が付きました。
今、何を飲むか。何を食べるか。
それを決めるだけでも、大きな決断。結構なエネルギーを消費します。
何者かになることは、この繰り返し以上の人生を得ることではありません。
あなたが「何者」かに見えているあの人たちも、結局は、
今、何を飲むか、何を食べるか
を、決めているだけ。特に、違わないです。
存在しないものを追い求めるのをやめて、目の前のことに集中。
昔の私に会えるなら、言いたいなぁ。
「あ、今日着る服選べたの?良かったじゃん。じゃぁ次は、靴を選びな。」
これができていたら、周りからはあなたも「何者」になれている人だと見られていますよ。
昔の私なら、こうはできなかったなぁ~
と、動画で語りながら思います。