岩手県盛岡市
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これは岩手県盛岡市の市章です。
盛岡市の市章は,菱(ひし)形二つを直角に交差させたものです。 この紋章は,藩政時代から伝わる陣笠やかごなどにも用いられています。
菱形は南部家が甲斐源氏の一族であったことを表し,一方,折りづるを図案化したようにも見えることから,南部家の紋章である”つる”を象徴しているという説もあります。
市章としての制定時期ははっきりしませんが,1906年に定められた「市吏員用提灯其ノ他ノ徽章ノ件」という規定に,職員用のちょうちんなどにこの紋章を使うようにと定められています。市旗は1968年11月に正式に定められました。
盛岡のまちづくりは,今からおよそ400年前の慶長年間,南部家26代信直公が北上川と中津川が合流し丘陵に囲まれた不来方の地に築城したことから始まりました。
城下町は町割りを五の字にして,城を二重の外堀が巡り,商家や職人町が囲み,その外側に侍屋敷などを配置したもので,当時としては新しい考え方に基づく城下町の軍事や商業,交通などに配慮した環状市街地の道路形状が行われました。
これが現在の中心市街地の骨格となっており,城下町の情緒と風格が「盛岡らしさ」として残っています。
1871年,廃藩置県によって盛岡県,1872年には岩手県,そして1889年の市町村制施行により全国39都市のひとつとして,人口2万9,190人,面積4.47平方キロメートルの盛岡市が誕生,岩手県の県庁所在地として現在に至っています。
近年の盛岡市は,1989年に市制施行100周年を迎えるとともに,1992年4月には新しい中核都市の形成を標榜し南に隣接する都南村と,2006年1月には北に隣接する玉山村と合併を果たし,人口約30万人,面積886.47平方キロメートルの新生盛岡市が誕生しました。
また,新しい都市づくりとして現在の市街地から南西方向に向けて盛岡駅西口地区や盛岡南地区の都市開発事業が進められており,奇しくも1200年前の平安時代に政庁が置かれていた志波城の方向に向かっており,その後の安倍氏一族の拠点であった厨川柵,藩制時代の南部氏築城の盛岡城と,時計回りでまちづくりが行われてきていると言えます。
東北新幹線の八戸延伸や秋田新幹線の開通などにより,今後ますます拠点性が高まっており,県全体の発展を誘導し,北東北の交流拠点都市としてさらなる発展を目指しています。
引用: 盛岡市公式サイト
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