現在の兵庫県の川西市🚃
ここに鼓ヶ滝という小さな滝がありました。
駅名が今も残ってます。
温泉で有名な有馬♨️
ここに「鼓ヶ滝公園」というものがあり、そこでも同名の滝があります。
(源流が同じだからかな?)
「鼓」(つつみ・つづみ)というのは和太鼓のことですが、ここでいう鼓は主に肩に持って真ん中を手でポンポンと叩くものです。
歌舞伎などでよく出るイメージです。
こういうやつ↓
六甲山から流れ落ちてきた水が滝壺に落ちる音がポンポンポンポン♫と鼓を叩くように聞こえたからという説があります。
さて、小さくても滝があればその水に打たれて滝行をしようというお坊さん。
このお話の主人公、西行法師(さいぎょうほうし)
和歌を読みながら各地を行脚していたお坊さんです。
五・七・五・七・七の和歌ですね。
和歌の面白さがこの物語を通してわかりやすく説明されます。
〜ストーリー〜
全国を行脚しながら行く先々で和歌を詠み、名が知られるようになった西行法師。
元々は北面武士という(ほくめんのぶし)という上皇の近衛の侍(平清盛も元はその1人)で、非常に立派な体格の人でしたが、ある日出家をして西行と名乗るようにしました。
突然のことに仲間もビックリです。
「おい、お前坊さんになったんやて⁉️」
「そう(僧)」
・・・
・・・
さて旅をしながら各地を回り、幾人もの歌人が歌を詠んだと言われるこの鼓ヶ滝を訪れた西行法師。
見事な景色を観ながら自分も1つ詠んでやろうと切り株にドカッと腰を下ろします。
懐から筆と短冊を取り出し「ふ〜む…」と考える🤔
しばらく考えておりましたが、
「よしっ、できた!」💡
というとサラサラっと筆を走らせる。
その歌が
『伝え聞く 鼓ヶ滝に来てみれば
沢辺に咲きし たんぽぽの花』
…と、詠んだ。
「完璧だ…!
これまで数多の歌人がここを訪れただろうが、オレに敵うものはおらん。
やっぱりオレは天才だな😏✨
ガッハッハッハ」
そう自画自賛しながら滝を見ているうちに旅の疲れもあってか、ついついうたた寝をしてしまいます😪
ふと気づけば辺りは真っ暗です。
しかも今から800年以上昔のことです。
宿どころか民家もほとんどありません。
「しまった。宿を取り損ねた。
どこか民家は無いものかな…?」😥
そう思ったところへポツンと一軒、明かりのついた民家。
近付いて中を見ると年老いた夫婦とその孫娘がいました。
「夜分遅く失礼つかまつる。
旅の僧、歌人でございます。
鼓ヶ滝の美しさに見惚れるあまり宿を取り損じました。
願わくば土間でも結構、一晩泊めてはくださらんか?」
「はいはい、今開けますよって。
おや、お坊様ですか。
こんなところで宿を取り損ねては大変でしょう。
どうぞどうぞ。お入りください」
親切な老夫婦は快く西行を迎え入れます。
夕飯は山牛蒡の味噌漬けにおかゆ🍚
お腹が空いていた西行さん。
これはありがたいとおかゆを3杯ペロッと平らげます。
食後におじいさんと話していると、
「お坊様は先程歌詠みと仰ってましたが、我らはこのような田舎で暮らすもの。
里の方の話を聞くのが何よりの楽しみじゃ。
鼓ヶ滝ではさぞ良い歌をお詠みなされたのでしょうなぁ。
ぜひお聞かせ頂けませんか?」
「いやいや、粗末な歌じゃ。
しからば一宿の礼と申してはなんじゃが、お聞かせ致そうかのう」
西行さん、口では優しく言いましたが、本心では
(ケッ、こんなド田舎の爺さんに日本一のオレの歌がわかってたまるかい)😒
と思いましたが、先程の歌を詠みました。
「一度しか申さん。
よくお聞きくだされ。
伝え聞く 鼓ヶ滝に来てみれば
沢辺に咲きし たんぽぽの花
…と、詠んだがどうじゃ」
するとお爺さんは
「なるほど!
何人もの歌人がここで歌を詠まれましたが、あなたほどの歌をお詠みなされた方はおりません。
素晴らしい!あっぱれ!
いや〜感心感心!✨
と、言いたいところじゃが…ただ1つだけ手直ししてよろしいかな?」
(このジジイ…わずか3杯の粥で図に乗りやがって💢
いてもうたろかこのアホンダラ…)
西行さんは内心はムカッ💢としましたが
(…いや、待て待て。
怒るだけならいつでもできる)
「コホン…。
では、お聞かせ願おうかな」
「お坊様は『伝え聞く』と詠まれましたが、鼓というものは音が出るものじゃで。
これを『音に聞く』とすればグッと調子が良くなりましょう」
「!…なるほど😳💡
確かに『伝え聞く』よりも『音に聞く』とした方がいい。
ふむ…しからば、ご忠告に従うといたそう」
威張っていた肩がカクンと外れそうになりながらも、西行さんは感心して言う通りにすることにしました。
そこへお婆さんが来て、
「爺どんや…」
「なんじゃ、婆どん?」
「私も1つ直してあげたいんじゃが…」
西行はまた内心ムカッ💢
(このババァ…男同士の話に割って入ってまで手直しとは生意気なババァめ…
額に青筋を立てながらですが、とにかく一度聞いてみました。
「先ほど爺どんは上の句を直しなさりましたが、私はその次の中の句で…。
お坊様は鼓ヶ滝に『来てみれば』と詠まれましたが鼓というものはこう…打つものじゃでな。
これを鼓ヶ滝を『うち見れば』とすると「鼓を打つ」と「下の方からうち見上げる」のこの2つの意味が1つとなってグッと調子が良くなります」
「う……な、なるほど…!
確かに『来てみれば』よりも『うち見れば』とする方がグッと良くなる…。
いや〜そこもとは…歌道熱心なものと承る。
ぜひとも御尊名を…」
お婆さんは笑いながら、
「いえいえ…そのような名のあるものではございません。
そうなされたらいかがでございましょうかな?」
「仰せの通り致します…」
西行は返す言葉もなく、思わず頭を下げながら言う通りにしました。
そこへ孫娘が来て
「あの〜…私も下の句のお直しを…」
「またかいな…⁉️」😭
上の句、中の句と直され、今度は下の句。
全部に直しが入ります。
西行は泣きそうになりながら
「ど、どうぞお好きなように…😭
ご勝手に…」
「先程お坊様は『沢辺に咲きしタンポポの花』と詠まれましたが、それでは日本全国どこで詠まれても同じ。
この辺りは川辺郡(かわべごおり)と呼ばれておりますので、『沢辺』よりは『川辺』。
さらに鼓ヶ滝には白百合の花が合います。
『川辺に咲きし 白百合の花』とお詠みなされれば、まことの鼓ヶ滝の歌なりますよ」
そう言いながら西行さんをグッと見る娘の眼光の鋭いこと…!✨
「伝え聞く 鼓ヶ滝に来てみれば
沢辺に咲きし たんぽぽの花」
「音に聞く 鼓ヶ滝をうち見れば
川辺に咲きし 白百合の花」
上の句・中の句・下の句。
全ての句で自身が作った歌とは雲泥の差を感じながら、上には上があるもんだと反省しました。
…すると背中に吹く一陣の風。
ハッと目が覚めた西行法師。
気が付けば最初に歌を詠む前、滝の側の切り株でうたた寝をした時に見た夢でした。
「むむっ…!
我いささか歌道に慢心を致したか…!
これは慢心している自分を和歌の三神が今の3人に姿を変えて諌めにきたに違いない。
これより決して慢心を致すまい…❗️」
そこに通りすがりの木こり。
「お坊さん。どうかしただか?」
「実は今な…」
ここでの一部始終を話しました。
「こんなことで慢心をしていたのだ。
和歌三神も見かねたのであろう。
罰(ばち)が当たっても仕方ないなぁ。」
「ああ、大丈夫だ。
この滝は鼓ヶ滝だから、バチには当たらん」
西行法師は心を改めて修行を行い、和歌の名手として名を残しました。
〜終〜
さて、いかがでしたか?
こうして見ると和歌とはいろいろと考えながら読むもんなんだなぁと思いますね😃
このオチについては木こりが出てこないバージョンもあります。
西行 鼓ヶ滝でした。
笑福亭鶴光師匠のものがYouTubeにあります。
ぜひ時間がありましたら一度聴いてみてください。
ではまた(^^)
有馬・鼓ヶ滝HP
http://www.arima-onsen.com/facility_info104.html