本日は大阪のお話。
上方落語によく出てくる大金持ちが2人います。


1人は鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)。

もう1人が淀屋十兵衛(よどやじゅうべえ)。


今回は淀屋十兵衛が出てきますが、この「淀屋」という商家がどのくらい金持ちだったか?


大阪の地名に淀屋橋(よどやばし)というところがあります。
大阪メトロの御堂筋線で梅田から1駅下ったところ🚃

大阪市役所や中央公会堂がある、ビジネス街として有名な場所です🏢


ここの川がありまして、昔は渡し舟しかありませんでした。

ここに橋を作ったのがこの淀屋という豪商🤑
(十兵衛は架空の人物だと思われます)

商人や町の人が多く行き交うここに橋をかければさぞ役に立つだろうということで架けた。

…というお話ともう1つ。


娘が習い事に通うのに便利だから♫口笛


という理由で架けたという逸話があり、将軍よりもいい暮らしをしていたと言われるほどの大金持ちがおりました。


〜ストーリー〜
大阪で材木問屋を営む淀屋十兵衛

凄まじい大富豪、豪商として有名人です。

その材木問屋の玄関にぶら下がる『淀十』と書いた暖簾を頭でグイッと押し上げて入ってきた1人の男…。

お百姓さん風の身なりで、歳は27、8。
色黒で身の丈は大きくガッチリとしており、膝までしかない着物に身を包んでおります。
(西郷どんのような格好です。)


「ごめんなはれや」

「へぇ、おこしやす」

「十兵衛いてるか?」えー

「はい?」

「十兵衛はいてるかと聞いてるんや」プンプン

「じゅうべえ…というと、あっ、あの有名な柳生十兵衛???」

「アホ。
オマエのとこの主の十兵衛はいてるかっちゅうてるんや!」

(うわぁ…偉そうなものの言い様やなぁ…💦
季節の変わり目はちょいちょいこういうのが出る。
困ったもんじゃ…😒)
「あの…私は番頭の五兵衛です。
失礼ながらアンタぐらいの用事なら私で充分。
どんな用事か、言うてみなはれ。」

「あのなぁ…五兵衛で話がわかるんなら最初から五兵衛に話をすんねん。
五兵衛じゃわからんから十兵衛を出せと言うてるんやないか!
第一、五兵衛やったら十兵衛の半分やないかい‼️」ムキー

「そら、まぁ…半分ですけどね…😭
ご用件…」

「わからんやっちゃな…。
オレはな…十兵衛に用事があって、十兵衛のウチに来て、十兵衛に会って、十兵衛に話をしに来たんや❗️
早よ十兵衛を呼べ❗️」ムキー

「無駄に十兵衛十兵衛と…」滝汗

「?…おーい、番頭さん。
大きな声出して、どうしました?」

「あっ、旦那…ちょっとお耳を。
な〜んか変なやつが現れましてね…。
私が応対してるのに偉そうに…『五兵衛ではわからん!十兵衛出せ』って。
呼び捨てですよ?
『十兵衛に用事あって、十兵衛のウチ来て、十兵衛に話を…』

「お前さんまで十兵衛十兵衛言わんでええ😓
わかったわかった。
私が応対するから、そこちょっとどいてくれ。
え〜お客さん、お待たせしました。
当家の主、淀屋十兵衛でございます」

「おお、己が十兵衛か❗️」

(ほんに口の悪い人や…💦)
「へぇ、左様ですが…」

「オマエ…何か失ったとか、失くしたとか言うもんないか?」

「あっ、それがですね…。
先程出先から帰って参りましたが、帛紗包(ふくさつつみ)がございませんで…。
まぁお金はわずか20両足らずでしたが、商売に使う大切な印籠が入れてありましたので心配しておりましたところで。」

「オレはそんなことは知らん。
オレは木津に住んでる勘助(かんすけ)ってもんやねんけどな…」


この勘助。
母親の墓参りに難波の鉄眼寺(てつげんじ。現在の瑞龍寺のこと)へ行きました。

そこでこの淀屋邸の墓があります。


「立派な墓やなぁ〜!
さすが大金持ちの墓は違うわい」ニヤリ


するとその隣にあった小さな墓。
その墓の上に帛紗包が置いてあります。

誰かの忘れ物かと思い、寺の坊さんへそれを届けて中を開けてみると、中が『淀十』と染め抜いてある。


「ははぁ。これはさっき来てた淀屋さんの忘れ物に違いない。
勘助さん、アンタ帰るついでに届けてやってくれへんか?」口笛

「…というわけなんやけどな。
まぁ坊主の頼みやからしゃあない。
えらい遠回りして持ってきたんや。
ちゃんと中身を開けて調べてくれ!」

「これはこれは…ありがとうございます!
少々お待ちを…え〜と…あっ、はい。
確かに入っております!」

「そうか!ほなええわ。じゃあな!」

「あっ、ちょっとお待ちくださらんか。」


そう言うと10両のお金を包んだ十兵衛さん。


「あの〜これはほんのお礼でございます」☺️

「…これは何や?」😒

「いえっ、お礼の印でございます」

「…ふんっ!
これやから金持ちっちゅうのは嫌いなんや。
あのなぁ…オレもここが淀屋さん、アンタが十兵衛さんやってことは知ってるで。
でもな、こうして飛び込んでくるなり十兵衛十兵衛と呼び捨てにするからには、腹の立つこと癪に障ることがあるからや!
オマエ、それどこで失ったんや⁉️」

「は、はぁ…墓を参った時に帛紗包を隣の墓の上へ乗せたんですが、そのまま忘れてしまったものかと…」

「それが気に食わんのや!プンプン
アンタがご先祖を大事にしてるのはわかる。
でもな、その隣の小さな墓も同じように先祖を大事にしてるからこそのもんやないかい。
オマエのとこの物を置く台と違うで!
…自分さえ良けりゃ他はどうでもええという、そういう底意地の悪さが気に入らんから十兵衛十兵衛と言うてるんや!
オマエも材木問屋をやってるんなら、もうちょい周りにキを遣え、キを」ムキー

「な、なるほど…!
確かにあなたさまの仰る通りです。
誠に申し訳ございません…!」

「おっと!頭上げて頭上げて。
ふ〜む…やっぱり大したもんやなぁ。
オレみたいな貧しい身なりのもんにこれだけ言われたらプーっとふくれて奥へ逃げてしまうかと思ったが…頭を下げてくるとは恐れ入った。
こうなるとハナから偉そうに言ったこっちが恥ずかしい。
今度はオレの方から頭下げなあかんな。
淀屋はん、えらいすまんこって。
さぁっ、こうなったら五分と五分。
気持ちよく帰らせてもらおかな」口笛

「あっ、ちょっとお待ちを!
あの〜あなた様のご住まいはどちらで?」

「オレのとこか?
オレのとこは木津へ来たら米屋の六兵衛さんって人がおるんやけど、その裏や。
六畳一間で小さい家やけど傘くらいはあるから、まぁ雨でも降ったら寄ってんか」ウインク


そう言うと10両の金に見向きもせずに帰ってしまいました。
10両盗めば首が飛ぶという時代です。
『どうして9両3分2朱…!』というセリフがあるくらい。

その後ろ姿を見つめる、大阪の金満家・淀屋十兵衛。

「はぁ〜っ、番頭さん。
これっ、そんなとこへ隠れてんと出といで。
いやぁ、私はあの男に惚れました!」

「旦さん…そういうご趣味が?」真顔

「アホ滝汗
誰がそんなこと言うた…?
気性が好きになったと言うとりますのじゃ。
よしっ、明日の朝お礼に伺います。
お前さんも付いてきておくれ」


翌朝…☀️


「番頭さん。
手土産なんやけど、金目のもんなんか持っていったらまた突き返されるやろな。
饅頭ならどうかなぁ?」

「ああ、饅頭ねぇ。
いいアンかとは思いますが…甘い考えかも?」

「何をしょうもないことを😓
じゃ煎餅はどうかな?」

「あっ、煎餅!
日持ちがよろしい。それにしましょ!」


煎餅をたくさん買い込んで勘助の家を訪ねます。
大好物の煎餅をもらった勘助は大喜び!
お茶を入れてゆっくりと話をします🍵🍘

さて十兵衛さん。
この勘助と話して驚いた!びっくり
何でも知ってる!💡
(まつりごと)から遊びに至るまで知らないということがありません。

すっかり舌を巻いて帰った淀屋十兵衛
これが1つのキッカケとなって、この大金持ちと貧乏人が対等の付き合いをするようになります。

淀屋十兵衛はわからないことがあれば勘助を訪ね、そして勘助も今橋にある淀屋邸にちょいちょい出入りする仲になりました。

自然と店の者とも親しくなり、そのうちに淀屋家のお嬢さんとも口を聞くようになる。

この娘さん。
お直(なお)さんと言って、歳の頃なら17、8。
町内の今小町…小野小町の再来と言われるほどの美人です✨

このお直さんが最近床に伏せってしまいました。


「おーい、お仲。お仲さん!」

「はい、旦那様。お呼びでございますか?」

「娘の具合はどうかな?」

「それが…あんまりよろしゅうございませんので…」

「ふ〜む…医者はどう言っておられる?」

「お医者さんでも分かりませんで…」

「そうかぁ。
温泉でも連れていってはどうかな?」

「草津の湯でも治らない。
あぁ、こりゃこりゃ♫」

「何が『あぁ、こりゃこりゃ』や…😓
娘の病気は何なんじゃ?」

「旦さんに申し上げますが…お嬢さんも、『お年頃』でございます」

「😳💡
おっ、おぉそうか…そうかそうか!
こりゃ親の私が悪かった。
いつまでも子供やと思ってたが…そうか。
いやいや、この間から縁談は降るようにある。
娘の気に入った相手はどこの若旦那や?」

「それが…若旦那ではございませんので」

「…すると店のもんか???」

「いえいえ、お店のもんでもございません」

「まさか噺家と違うやろな?」😒

「とんでもございません。
旦さん、よくご存知の方ですよ」

「えっ?堀江のご隠居⁉️」

「78歳ですよ、あの人…😥
旦さんがいつも褒めてらっしゃる、勘助さんですよ!」

「勘助…?あのすっからかんの勘助?
あの男のどこが気に入ったんや?」

「お嬢さんが仰るのには

『金持ちの家で生まれ、金持ちの家に嫁ぎ、金持ちのまま一生を送るよりも、勘助さんのようなしっかりした人の女房になって、無いところから1つのものでもこしらえてみたい』

…と、こう仰られました。」

「な、なにか…?
あの娘が…それを言った…⁉️びっくり
わかりました。
この縁談…必ずまとめてみせます‼️
娘には安心するように言いなはれ‼️」🔥


急いで勘助の家へと急ぐ淀屋十兵衛💨


「あのぉ〜…かーんすーけさんっ♫」ニヤニヤ

「な、なんや気持ち悪いな…滝汗
どっかで頭でも打ったんとちゃうか…?
どないしたんです?」

「アンタ…失礼なこと聞くようやけど。
決まったお人でもおいでですかいな?」

「おい…おかしなこと言うなよ?
見ての通りこんな小さい家に住んでるんや。
そんなもんおるわけないやろ?」

「すると、許嫁ってなもんは?」

「おらへんおらへん。」

「援助交さ…」

「ないっちゅうに!ムキー
何を言うてんねん?」

「実は…アンタやないとあかんという女がおるんですが…」ニヤニヤ

「ふ〜ん…?
誰やその変わった女は???」

「ウチの娘…お直さん」デレデレ

「ワレのとこは親子揃って変わってけつかるな…真顔
こんな貧しいもんのとこへ、何で嫁に来たがるんや?」

「それがね…娘が申しますには

『金持ちの家で生まれ、金持ちの家に嫁ぎ、金持ちとして一生を送るよりも、勘助さんのようなしっかりした人の女房になって、無いところから1つのものでもこしらえてみたい』

と、こう申してます」

「偉いっ❗️
その一言気に入った‼️もらいましょ」デレデレ

「あげましょ」ちゅー

「旦さん…猫の子やないねんから」😓


早速この縁談のことを米屋の六兵衛さんに話します。
面倒見のいい六兵衛さん。

ちゃんと支度をしてくれた上に、離れの座敷まで作ってくれました。

この縁談がまとまった時に勘助が言いました。


「相手は大金持ちであるが、風呂敷包みで来てくれ❗️」ニヤリ


つまりお祝いの品なんかは風呂敷に入る程度の物でいいですよという意味です。
金持ちだろうがそんな大したもんはいらないよという勘助らしい言葉ですね♫

さてその当日。
米屋の六兵衛さんが店の表へ出て、アッと驚いた❗️ポーン

風呂敷包みの大行列‼️

今橋にある淀屋邸から1人1人風呂敷包みを持った者が何百人と、木津の勘助の家まで続いております‼️


勘助…風呂敷の数決めとけよ…!
えらいこっちゃ…。
このままやとアイツの家が風呂敷包みで埋まってしまうガーン
ひとまずウチの米蔵にでも放り込んどこか」


さて六兵衛さんがドタバタとしているうちに三々九度。
無事に祝言も終わりました✨


しかし翌朝から勘助は野良仕事をしに出かけます。
乳母日傘(おんばひがさ・過保護の意味)で育ったお直さん。

縫い針・琴・三味線・お茶・お花・日本舞踊などなど習い事はしてましたが、それ以外は何も知らない。

これを勘助が米の炊き方から炊事洗濯、鋤鍬の手入れまで1から教えます。

もともと聡明なお直さんはどんどんこれを覚えて、段々と百姓の女房らしくなっていき、最近では井戸端会議で堂々と意見するくらい。

そうこうしながらのある日。
勘助がぼんやりとした顔で帰ってきました。


「まぁ、どうなさいました?
お顔の色がお悪うございます…」

「う〜ん…オレはなぁ。
体さえ達者やったら金なんぞはいらんと思ってたが…金というのはいるもんやなぁ…」😔

「どうなさいました?」

「米屋の六兵衛さんや。
オマエと一緒になる時に離れの座敷まで作ってくれた。
あの人が米相場とかいうのに手を出して、今ここに200両という金が無いと店をたたんで夜逃げをせにゃならん。

『勘助よ…どんなことがあっても米相場にだけは手を出すなよ』

って言ってな…目から涙ボロボロとこぼして気の毒な…可哀想でなぁ。
助けてやりたい。助けてやりたいけど、先立つもんがない…!
金がないというのは…辛いもんやなぁ」えーん

「…🙄
あの〜…たったの200両でございますか?」

「何を抜かすねん!
200両って言うたら…奉公人の100年分の給金やぞ⁉️」

「実は…わたくしがこちらへお嫁に参りました時におとっつぁんが『当座の小遣いにせよ』とこれだけくださいました」

「指三本立てたな…。
へぇ〜っ!偉いもんやなぁ、金持ちは。
当座の小遣いくらいで300両とは!」

「いえ、3,000両おねがい

3,000両っ⁉️」ポーン

「天王寺屋さんに預けてあります。
書付を持っていけばすぐにくださいますから、どうぞ3,000両自由にお使いください」


こんな嫁さん欲しい気もしますが、恐ろしい気もします☠️笑


早速そのお金を取り寄せまして、200両を米屋の六兵衛さんに持っていって喜んでもらいました。

残り2,800両‼️💴💴💴

これを夜中にニタニタと枚数を数えるような勘助ではありません🤑


「こんなもの積んでおくだけなら石や瓦と同じや。
よしっ、この金。
オレがキレイに使ってみせよう」ニヤリ


当時問題になっていたのが大阪の大きな川。
淀川です。

時代は徳川と豊臣の戦が終わったばかり。
ここによく流れてくるドザエモン💀

水に浮かぶはドザエモン💀
空を飛ぶのはドラえもん🐈‍⬛

雨などで水嵩が増すと、これが木津川へ流れてくるのですが拾い上げてやる者がいない。

幕府へ掛け合い、小舟を一艘用意する。
そこへどんどんと引き上げますが、今度は葬ってやる場所がありません。


土地を借りてお寺を建立し、そこへお墓を作ってやります。


「勘助さん、墓の方ははかどってますか?」

「へぇ、ぼちぼち」口笛


とか言ったとか言わなかったとか。
そんな冗談も混ぜながら、どんどんと土地を開墾していきます。

川の中洲にできた上勘助、中勘助、下勘助という小さな島。
勘助島と呼ばれました。


寛永16年。
大阪を襲った大飢饉☠️

勘助は幕府に掛け合いますが、聞き入れられません。

そこでなんと幕府の米蔵を破って大勢の命を助けます❗️🍚

そのため勘助は罪に問われ、流罪の刑に処されます。
流罪は辺境や島に流される刑…!

現在の葦島とも姫島とも言われておりますが、そこに流罪となる勘助❗️

しかし、後に幕府の取り計らいでなんと自身が作った勘助島に流罪となる。
自分の家に流罪となったようなもんですね。


勘助は幕府の米蔵を破る前には自身の私財を民衆に分け与えておりました。
これが「あっぱれな男である」と、実質減刑された理由となりました。


今の政治家!米蔵破れ、米蔵❗️ムキー

そうすれば
「1ぴょうの重み」がわかるであろう!ニヤリ


…というわけで、
一生を大阪のために尽くしました真の侠客‼️

木津の勘助の一席でした。


〜終〜
さて、いかがでしたか?
淀屋家は後年、お取り潰しという憂き目に遭います。

一説には武家に金を貸していたのですが、その額が増え過ぎてしまい、武家の権力がすっかり落ちてしまいました💦

見兼ねた将軍家によって理不尽な気もしますが武家を助けるために財産を没収されたと言われております。


さてもう一方のこの勘助。

以前は勘助町と呼ばれておりましたのは現在の「大阪市浪速区敷津西2丁目」というところ。

こちらに大国主神社という神社があります。


そこには勘助の銅像が建ってます。




昔この話を知ってからたまたまこの神社を訪れまして、像を見て驚いた記憶があります。

商売繁盛で有名な今宮戎神社とともに参拝される方が多いようですのでご興味のある方は行ってみてください(^^)


大阪メトロ・御堂筋線または四つ橋線「大国町」という駅からすぐです。

勘助のような侠客が世の中に現れてほしいもんですねぇ。

「ええか〜、ええか〜、ええのんか〜」である世代には有名(笑)な、笑福亭鶴光師匠の演目。

木津の勘助でした。

ではまた(^^)