「名将には名軍師がいる」
という言葉があります。
頭の回転が速い人というのは羨ましいですねぇ✨
戦国時代を代表する武将の1人といえば豊臣秀吉です。
秀吉自身も大変頭の切れる人だったと言いますが、天下を獲るまでにそれを支えたのが黒田官兵衛❗️
この方は秀吉が必死で三日三晩寝ずに考えたものを即座に答えたと言いますが、この方に負けない軍師・猛将がたくさん家来におりました。
さて戦以外でも秀吉を支えた人物がこれもまたたくさんいます。
その中の1人
曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)。
『秀吉の知恵袋』とまで言われた方です。
今回はこの曽呂利新左衛門がメインのお話。
〜ストーリー〜
士農工商の時代。
戦乱の時代でしたが、この時に大出世をしたのが豊臣秀吉。
農民から太閤となり、日本一出世をしたといっても過言ではありません。
その秀吉公には『御伽衆』(おとぎしゅう)という、読み書き専門の者の他、千利休などの茶人や歌人、芸能など多くの分野で秀吉の相談役として活躍する人達がいました。
伝説によればその数おおよそ800人‼️
その中で特に気に入られたのが今回の主人公。
曽呂利新左衛門です。
秀吉からは『新左(しんざ)』という愛称で呼ばれています。
いろんな面白いお話で秀吉を笑わせたり、物事の相談役として活躍しましたが、非常に無欲な人であったそうです。
ある日のこと。
「殿下。お願いがございます」
「ん?どうした新左。
そちから願い事とは珍しいのう。
どのような願いじゃ?」
「はい。
お米を少々頂きとうございます」
「なに、米だと?
どのくらい必要じゃ?」
「袋一杯でよろしゅうございます。」
「袋一杯?それだけで良いのか?
ふむ、構わん。許して遣わすぞ。」
「ありがとうございます」
数日経って米蔵を管理している蔵奉行が血相を変えて飛んできました💨
「でで、で、殿下❗️
たっ、大変でございます‼️」
「なんじゃ?いかが致した?」
「恐れながら殿下。
新左に『袋一杯の米をつかわす』とお約束になりましたか⁉️」
「ああ、何日か前にそんな話があったな。
許してやったが…それがなんじゃ?」
「そ、それが新左衛門のやつめが、それは大きな袋をこしらえまして…!」
「どのくらいの袋じゃ?」
「7つの米蔵がすっぽりと収まる大きな袋です❗️
「殿下からお許しを得ているのだ」
…と申しまして、7つの蔵から米を全て運び出し、貧しい人々、哀れな人達、恵まれない噺家どもにくれてやりましてございます❗️」
秀吉も苦笑いですが、約束は約束です。
この年には大飢饉が起こっており、それを見かねた新左衛門がトンチを働かせたのでした。
これとはまた別のある時、新左の功績に対して秀吉が褒美は何が良いか聞くと、
「ならば殿下。米を頂きたいのです。
今日は1粒。明日は2粒。明後日は4粒というように倍々として、それを30日間くださいませんか?」
「何、そんなものでよいのか?よしよし。
ならばそちの言う通り今日は1粒だな。
明日は2粒やるぞ」
「ありがとうございます」
するとまた数日経って蔵奉行が一層顔色を悪くして飛んできました💨
「殿下‼️
また新左と約束をしたでしょう⁉️」
「なんじゃ?いかが致した?
約束と申しても初日が1粒で翌日は2粒、また翌日は4粒、次でもたった8粒じゃろ?
大した数ではないではないか」
「そ…それが大変な事なんでございます‼️
それを30日間続けるととんでもない数になるのですよ⁉️」
米は10日で512粒。
20日経つと524,288粒。
30日目には536,870,912粒。
ちなみに米1キロは50,000粒。
米俵1つ60キロと言われています。
なので最終日にはなんと10トン以上‼️
「こ、このままでは米蔵の米が全て無くなってしまいます…」😱
これにはさすがに驚いた秀吉。
慌てて新左を呼び、別の褒美に変えてもらいました
しかしこの時も新左衛門は私利私欲のためではなく、世の困窮した人達にこれを分け与えたのでした
さて、そんな頭の切れる新左には毎朝の大事な仕事があります。
秀吉のためにお茶を入れるという仕事🍵
武家の間では『朝に邪を払う』という意味で「朝茶」(あさちゃ)という、起きた時にお茶を飲む文化・習慣がありました。
しかし相手は気難しい秀吉です。
いろんな人達がこの役目を任されましたが
「ぬるい❗️」「熱すぎる❗️」
「薄い❗️」「濃すぎる❗️」
とにかく文句が多い。
ところがこの役に新左が就いてからその文句がピタッと止まりました。
毎日自分の気に入った味や温度で出てくるんですから当然です🍵✨
「ふ〜む、どのようにすればこのように入れることが出来るのかのぅ?
あの新左のことじゃ。
きっと何か工夫があるに違いない」
物好きな秀吉。
新左がどうやってお茶を入れているのか気になって、早朝から起きて隣の部屋からその様子を覗いてみることにしました🫣
そんなこととは知らない新左衛門
さて今日もお茶を入れるかとおもむろに茶壷にガッと手を突っ込むとガサッと茶葉を掴みます。
手掴みの茶葉をそのまま急須にバサッ❗️
そこにお湯を豪快にジャバ〜っと入れる♨️
急須にパンっと蓋をします。
お茶が出るのを少し待って、秀吉が愛用している湯呑みに注ぎました。
「どれどれ…ふ〜っ、ふ〜…ズズッ。
う〜ん、ちょっと熱いな。」
水を入れます。
「あ、入れ過ぎたっ。ぬるくなったな」
お湯を足してまた一口。
「ちょっと薄いな」
お茶の葉を足し、また一口…。
こうして散々味見を繰り返してから
「まっ、こんなもんかな♫」
とやっと湯呑みをお盆に乗せました🍵
それを見ていた太閤・秀吉が怒ったの何の‼️
「おのれ…今まで余に飲み残しを飲ませておったのか‼️
むむ〜っ…今に見ておれ‼️」💢
額に青筋を立てて新左衛門を待つ秀吉。
そこへ澄ました顔でやってくる新左衛門。
「殿下。お茶が入りましてございます」
「こりゃっ、新左❗️
世の中で1番卑怯なこと、これを一体何とする⁉️」
秀吉がそう質問すると
新左衛門はニコッと笑って
「はい!のぞきでございましょう!」
〜終〜
さて、いかがでしたか?
秀吉も頭の回転が速い人でしたが、新左衛門も負けてはいません💡
先に言われてしまって秀吉も面食らったことでしょうね( ̄∀ ̄)笑
この曽呂利新左衛門ですが、同一人物ではないかという説のある人がおります。
安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)
という京都誓願寺のお坊さんです💡
さすがに新左とは別人の可能性の方が高いような気がしますが、しかしこの策伝という人が凄いのです✨
策伝はお寺で説法を行っていましたが、いかんせん説法・説教というのはお堅〜い、真面目〜な話が多い❗️
堅苦しいお話というのは眠くなるじゃありませんか😪😴🥱笑
ところがこの方の話していた説法はとても面白おかしいと評判になります。
それをまとめた本が眠りを醒ます笑いという意味で「醒睡笑」(せいすいしょう)と言います。
これが後の世に落語へとつながったのではないかと言われております。
1つの説ではありますが、なんと落語がもともとは説法だったというのは面白いですね♫
(⚠️落語という芸能の発祥はまた別にあります)
落語はたくさんの人間の失敗が基になるお話しが多いです。
そのたくさんの人が起こす数々の失敗。
これを笑って受け入れようというスタンス。
これこそが立川談志の言った
「落語は業の肯定」
となるわけですが、その辺りも基は説法の考えから来てるのかもしれませんね。
皆様、人生大いに笑っていきましょう✨
ではまた(^^)