先日急に頭の中に浮かんだ曲がありました。



尾崎豊

Forget me not



尾崎豊が10代までに出したアルバムの中で最後に書いた歌詞だと言われています。


かなり苦悩したようで、アルバムの制作時間ギリギリいっぱいでやっと書き上げたというエピソードが残っています。



尾崎豊に関しては歌詞やら人間性やら、そりゃあもうあらゆる分野で考察がなされています。

亡くなられてもう30年も経つんですね❗️

僕は中学生時代、尾崎豊がリバイバルされていた頃によく聴いていました。

(ベストアルバムだったかな)


ご存命ならもう50代後半。

アーティストを続けていたとしたらどんな曲を作っていたのかは気になるところです💡



尾崎豊といえば『15の夜』『卒業』など社会や支配に対する反抗や疑問を歌っていることが強いイメージ。


しかし個人的には尾崎豊のラブソングだけは何か少しテイストが違うと思うのです🤔


愛情っていう部分に関しては非常に純粋な想いがある。

しかしそれでいて失恋とかそういうものとは違う、もっと心とか感情の根本的な部分に潜む陰のような哀しい雰囲気も同時にある。


自分が1番望んでいつまでも満たされないというか、いくら水を飲んでも足りない渇きのような…そんな雰囲気が漂う気がするんです。

(個人的なイメージですが)


経済的に満たされて、趣味に興じて楽しい時間を過ごしたり、結婚して妻子を持つことは嬉しい。

でもその反面に伴ってくる自身への大きな責任がずっと彼を苦しめたのかなぁと。



人から認められて、ささやかでも愛情に溢れた幸せな時間にずーっと浸っていたいという希望🌱


しかし周りが自分を巻き込んで勝手にどんどんと大きく変化していく。

そして自分に求められるものが大きくなっていく。


それが心の穴を埋めるよりも穴が大きくなっていくスピードの方が早かったのかもしれません。



それって贅沢だったりわがままなことなのかもしれないけど、そういう素朴で1人の人間としての『尾崎豊』と、アーティストとして大きくなった『尾崎豊』の2つの気持ちがなかなか共存しにくかったのではないかなと推測します。


この曲にはそのアーティストの方ではなく、『素朴な1人の人間としての尾崎豊』がいるような気がします。




和名は「忘れな草」「勿忘草」


花言葉は「私を忘れないで」と「真実の愛」。


それを意図したかどうかはわかりませんが、26歳でこの世を去った尾崎豊の名曲の1つとなっております。







Forget me not


作詞:尾崎豊     作曲:尾崎豊


小さな朝の光は 疲れて眠る愛にこぼれて
流れた時の多さに うなずく様に よりそう二人
窓をたたく風に目覚めて 君に頬をよせてみた

幸せかい 昨晩のぬくもりに
そっとささやいて 強く君を抱きしめた

初めて君と出会った日 僕はビルのむこうの
空をいつまでも さがしてた
君が教えてくれた 花の名前は
街に埋もれそうな 小さなわすれな草

時々愛の終りの悲しい夢を 君は見るけど
僕の胸でおやすみよ

二人の人生 分け合い生きるんだ
愛の行く方に答はなくて 

いつでもひとりぼっちだけど

幸せかい ささやかな暮しに
時はためらいさえも ごらん愛の強さに変えた

時々僕は無理に君を 僕の形に
はめてしまいそうになるけれど
二人が育くむ 愛の名前は
街に埋もれそうな 小さなわすれな草

行くあてのない街角にたたずみ
君に口づけても

幸せかい 狂った街では
二人のこの愛さえ うつろい踏みにじられる

初めて君と出会った日 僕はビルのむこうの
空をいつまでもさがしてた
君が教えてくれた 花の名前は

街に埋もれそうな 小さなわすれな草