現代では他人とのやり取りが非常に簡単な時代です。
LINEやメールでまさに瞬く間に相手とやり取りができます📱
手紙でも翌日か2日後、国内ならば大概の場所で遅くても3日のうちには送り先へ届ける事ができます✉️
江戸時代は当然ながら車も電車も無い🚃🚚
手紙1つ届けるのも全て人間が走って届けていました🏃♂️
(大きな荷物には馬を使う飛脚もいた🐴)
実際に1人が走る距離は10kmくらい。
自分の持ち場から次の地点まで運び、それをまた次の人が…というリレー形式だったそうです(^^)
自分の家から10キロ圏内といえば確かに1日中歩いたり走れば何とかなったのかなぁという気はします。
さすがに現代のマラソン選手よりは遅かったらしいですが、しかしそれでもリレー形式で京都の六波羅〜鎌倉まで3日ほどで到達したと言うんだから大したもんです。
(約450kmなので1日150km❗️)
しかし人力ということでやはり高額になる上、遅延や紛失も少なくなかった💦
金額はともかく、日程は『おおよそこのくらい』ということになるでしょうからね😅
科学や交通の発達が進むにつれて廃れてしまう運命にはあった職業です🚚🚃🛩
しかし郵便局も無かった当時の一般人にとってはやはり大事な仕事でした(^^)
さて今回はそんな飛脚のお話です。
〜ストーリー〜
町で1番の健脚と評判の男🦵✨
早朝にある商家から今日中に明石まで手紙を届けたいが、飛脚が出払っていて誰もいない💦
あんたの脚を見込んで何とかお願いできないかと頼まれ、引き受けました🙏
「なるほど。
大阪から明石まではどれぐらいあるんです?」
「大阪から明石は昔から15里(約60km)と言われてるな」
「15里ねぇ。
まぁそれなら今日中には何とかなるかな?
とにかく行ってきますわ!」
男は早速西へ向かって走りだしました🏃♂️
(落語ではここから走るたびに三味線と太鼓の軽快な鳴り物が入ります♫)
さてしばらく走って…
町で見かけた人に聞きました。
「ふぅ、けっこう走ったな。
だいぶいいとこまでは来たかな?
ちょっと聞いてみるか。
あの〜、すんません。
ここは何ていうところです?」
「ここは西宮でっせ」
「おっ、えべっさんのあるとこか💡
大阪から明石までは何里あります?」
「大阪から明石は15里や」
「ありゃっ?まだ15里か…。
だいぶ来たつもりやったけどなぁ🙄
こりゃどうも。」
と、また走り出す🏃♂️
だいぶ走ってまた聞きました。
「あの〜、ここはどこです?」
「ここは三ノ宮ですわ」
「ああ、三ノ宮ね。
大阪から明石までは何里です?」
「大阪から明石は15里やで」
「まだ15里?🙄
商家の爺さん、何か間違ったかな?
まぁとにかく行くか。どうも!」
また走り出す。
次の町でまた聞きました。
「あの〜…ここはどこでやす?」
「ここは兵庫でやす」
(現在の兵庫区和田岬辺り)
「お、兵庫の湊(みなと)か。だいぶ来たな♫
大阪から明石までは何里あります?」
「大阪から明石は15里や言いますけど?」
「…まだ15里…?
う〜ん、だいぶ走ったつもりやけどなぁ…?
まぁいいや。どうも」
また走り出す🏃♂️
だいぶ日が傾いてきました🌄
「あの…ここはどこです?」
「ここは須磨でおます」
「ちょっとお聞きしますが…。
大阪から明石までは…何里です?」
「大阪から明石やったら15里やがな」
「ま、まだ15里…!?
走っても走っても15里やて…💦
だんだん日も暮れかけてるし、とにかく行くしかないわい❗️」
半分ヤケになりながら走り出す🏃♂️
「あ…あの、ちょっとお尋ねしますが…。
ここは何ていうとこです?」
「ここは舞子。舞子の浜です」
「おぉ、舞子ですか…!
あの〜…大阪から明石までは…15里か?」
「その通りや」
「おいおい…💦」
また走り出す🏃♂️
フラフラなりながら明石の町へ入り、人丸(ヒトマル)神社の境内にある茶店に辿り着きました。
ヘトヘトに疲れてゴロっと倒れるように寝てしまいました
「あの…お客さん?
もう店じまいなんで寝てもらったら困りますよ。ちょっと…お客さん!」
「ハッ!すっ、すいません。
つい疲れて寝てしまいました。
…ここは一体どこでやす?」
「ここは人丸さんです。」
「ヒトマルさん…というと???」
「あんた知らんのですか?
明石の人丸神社でんがな!」
「明石っ❗️💡
ここは明石ですか⁉️
ハァ…走るより寝てる方が早かったわ」
〜終〜
さて、いかがでしたか?
今回は無事に(?)辿り着けました。笑
人丸神社というのは正式には「柿本神社」といいます⛩
和歌で有名な柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が祀られています。
さてこの飛脚になった男。
帰り道にもいろんなお話があるのですが、それはまた別の機会で🍀
しかし昔の人の健脚というのは凄いもんですね✨
ではまた(^^)