頻繁に続いた。
彼両親と話し合いをしたらしいが、うまくいかなかったらしい。
両親と妹は今後彼と関わりたくないというのが総意で、認知や養育費の支払いも拒否する方向らしい。
妹も、妊娠を伝えたときの彼の態度や発言を見てそう決めたらしかった。父親も彼やその両親に呆れていて、何の悪びれもない態度に腹が立ったとも言っていた。
何度か話をしていくうちに父も含め私たちは妹の意志を汲んで、産むというならそれらのサポートを全力でしようという話でまとまった。
そのころには首に刺さった管もようやく取れ、大部屋への移動となった。まだ血球は下がったままだが点滴も薬に切り替え身軽になった。ここまでくると退院は目前だった。
12月の9日と11日に仮退院で、そこで何も問題がなければ2・3日後本当に退院できるとの説明も受けた。正直実感が湧かなかった。でもその頃には食事も取れるようになり、気づけば味覚障害や麺を食べたときに感じた、異物感も無くなっていた。
9日の採決結果をその日の朝に主治医が教えてくれた。もうそわそわが止まらなかった。目はギンギンにさえていたし、でも動じに不安もあって。父が買ってきてくれたお守りをテーブルに置き願った。
先生から出たのはオッケーサインだった。
すぐさま両親に連絡を取り喜んだ。父は休みを取って病院の近くで待機していたので、すぐに迎えに来た。
外は真っ白だった。
雪が降り積もり一面が白く染まっていて、外に踏み出すと体に突き刺すような寒さを感じる。普段なら嫌な、寒さだが、病院では四季も温度の変化も感じない。だからこそこの久々に感じる”冬の寒さ”が愛おしかった。
父の車に乗り込み、二人ともウキウキしながら帰路についた。
だが、これはまだ仮退院で何かあったら本退院がおじゃんになっては困ると、家族で慎重に過ごそうという話になった。
食事も火の通ったもののみを食べ、手洗いうがいは欠かさず、有人と遊ぶのも今回は見送った。
それらのおかげか無事2日を過ごすことができた。病院へ戻る日、初めてこんなにも心晴れやかに戻る日は無い。前日もぐっすり眠ることができた。
今までは戻ると治療で、首に管を刺したり腰に刺したりしなくてはいけなかったので、憂鬱な気分だったが今回見えているのは退院だ。あと数日、病院で過ごせば退院だ。
15日に私と両親を含めた面談があった。内容は退院後の生活の話だった。
たとえば、私の体へのリスクを考えるなら禁煙であること。納豆は納豆菌がどう体に作用するかわからないので基本避けること。生ものはしばらく禁止であること。免疫抑制剤といって新たに入れた妹の細胞が現状働き過ぎて私の体を攻撃しているので、それを押さえるための薬を使用するにあたって、グレープフルーツは飲み合わせが悪いので食べないこと。などなど感染症に十分気をつけることを中心にした内容だった。しかし、内容自体は退院を前提としたもので、私も両親も退院が近いのを確信し、喜びながらそれらを聞いていた。
その話の中で、最後に先生が「明日の採血がよければ退院です」と仰ってくれ、私たちは歓喜した。もう、心臓のドキドキが止まらなかった。
次の日の朝、私はお守りに必死に祈りながら採決結果を待った。病室に来る看護師さんにも、どうですか?結果でました?などと催促をしたり。
10時を過ぎた頃先生たちが来てその結果を教えてくれた。
「うん、血液検査大丈夫だったから、退院しても大丈夫」
それを聞いてすぐにまた両親へ報告。
父が到着してすぐに部屋のものを段ボールに詰め込みながら、やっとおさらばできるんだと喜びが隠しきれず終始ニヤニヤしていた。
13時半には会計や荷物もまとめるのも終えて、いよいよ退院。
退院するときにナースステーションから看護師さんがたくさん出てきてくれて私の退院を喜んでくれた。仲のよかった看護師さんは涙まで流してくれて、それを見て、「ああ、私はやっと退院するんだ」と思った。
12月の16日、闘病を初めて約5ヶ月。やっと退院することができたのだった。
