最近のにゃんこ(そら)
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仕事の話
先日の「高齢者住宅新聞 Online」の記事で、特養の建築費が定員1人あたり1612万円超というものがありました
もう10年くらい前の話ですが、前職の時に特養を建て替えた場合の建築費用を試算したことがあって、その時も1500万円ぐらいの数字を計上したことがあります
当時の市の担当者(財政)は、「そんなバカなことがあるか、一人当たりの金額で家が建つぞ」と、軽くあしらわれたことがあったのですが、介護施設を建てるということは、お金がかかることなんです
人件費や資材の高騰もあり、今後は更に高くなってくるでしょう
そして、これが家賃価格に跳ね返ってきます
読書の話
会読を続けていきます
同じ書物を読む人は遠くにいるそうです
前回は『太宰治全集5』(太宰治)でした
この中の「正義と微笑」という作品を読みたかったのです
SNSで、勉強する意味について、この「正義と微笑」から部分的に引用されたものが投稿されていたので、作品自体を全部読んでみたいと思いました
内容としては主人公の進路について書かれた日記のようなもので、SNSで投稿されている場面は、面白くない授業を受けていたときに、その先生とは違う昔の先生が言った別れの言葉を思いだしたものです
引用始め
もう君たちとは逢えないかもしれないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もいるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間の許す限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいのだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事ではなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知ることだ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが尊いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。
引用終わり
長文ですね
自分なりに144文字以内(Twitterみたいに)でまとめてみると、こんな感じです
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、君たちの人格を完成させる。勉強して忘れてもいい。覚えるということではなく大事なのは、カルチベート(洗練)されるということ。全部忘れても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っている。これが尊いのだ。
真にカルチベートされた人間になれ!
この144文字以内でまとめる作業って好きです
何を残すのか、何を削るか?という訓練になります
あなたなら、どうまとめるでしょうか?
次はこれを読んでいます
『変半身』(村田沙耶香)
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さいごにレースの話
地元たきかわのコスモスマラソン(ハーフ)にエントリーしました
位置づけとしては、別海への調整目的であり、PBは狙いません
4′10あたりで走り、終盤に上げることができれば合格です
北海道ロードレース(ハーフ)は検討中
それと、今年は作マラ(フル)がありますね
相性が良いレースです
しかし、開催日が遅め設定で11/12とのこと
PR資料に書かれているとおり、過酷な気象条件になりそう
エントリーを迷います・・
おわり