ガシチの独り言

ガシチの独り言

精神障害者支援や原発撤廃運動や自然エネルギー推進運動関係などを訴えていきます。

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奄美市役所国保係

昨日国保から送られてきた馬鹿高い請求書のことを、自立支援課のI担当に話したら、「そんなことはないはずですが、私が責任を持って対処します」と言うので、任せることにした。
そうしたら、午後5時半を過ぎた頃に電話があって、「国保が最初に受付をしたのを間違って送ったようです。あれは払わなくていいように取りはからいました」とのこと。ちょっと安心したが、それでは困る。役所間の横の連携がいかに希薄で、お役所仕事をしているかの見本みたいなものだ。
しかし、まだ「保護」の身にはなっていない。仮の保健証がある限り、医療機関に掛かればその時は全額を負担しなければならない。後で返ってくるとしても、保険が利かないのとそうでないのとは雲泥の差がある。
街の南東にある春日町に用があって、それの帰りに従姉妹叔父のところに寄ってきた。彼の言い分によれば、「僕らの年代はみんな課長級になっているから、用があったら窓口は通さず、直接課長に直談判した方が早い」と言う。ようは年功序列制で、何の働きもないのに年齢にさえ達したら、昇級するっていうことじゃあないか。
だから奄美の選挙は”賭博”とまで言われるのだ。誰かの味方についていないと憂き目を見る。やりたいことをすれば叩かれる。田舎根性丸出しだ。役所も民間企業同様、力の差で地位が決まるようにならなければ困る。言われてみれば、昔何にも出来なかった奴が、課長になってふんぞり返っていた。だからこの奄美市の衰退も元を正せば役所の体質にある。
市民オンブズマン制度が絶対に必要だと感じた1日だった。


奄美市全景

奄美市に引っ越して来てからちょうど1週間。まず、ガス代の請求が来た。2日から11日までの10日間で1220円。いくら日割りだと言っても、請求が早すぎるし、これでは月に4000円近く掛かることになる。ほとんどガスは使っていないのにこれだからちょっと呆気にとられた。
次にきたのは「国保年金係」の請求書。8期1期分で9600円! 健康保険証は仮の保健証で、全額自己負担しなければならず、その上に健康保険代が馬鹿高い。初めは普通の保険証が発行されたが、次の日に仮の保健証に変えられた。その意味が説明すらなかったので分からない。
おそらく縦割り行政になっていて、横の繋がりがないので、「自立支援課」に生活保護の申請をしているのが分かっていないのではないかと思われる。「自立支援課」とはまた違って、「ゆうあい課」と言う課があって障害者手帳の交付などを担当している。ここの「障害者手帳」をもらわなければ、「自立支援課」の保護の対象にならないのではないか。「自立支援課」「国保年金係」「ゆうあい課」の三者がバラバラに動いているので、どこに相談を持ちかけたらいいのか分からない。
明日、国保年金係に出向いて行って、「こんな馬鹿高い保険料は払えない」と言って来ようか。それとも、自立支援課の担当に言って、「国保年金係からこういう請求書が来たが、どうしたらいいですか」と聞いた方がいいのか。どちらがいいのか判断がつきかねる。だだをこねないと動かないのが役所の体質だから、どこか芯になる部署にがつんと一発かまさないと動かないのではないかと思う。さて、どうしたらいいものやら。


手話教室

京都に出る前4年間手話教室に通っていた。連れ合いや娘たちが通っていたので、僕も通うことにしたのだった。「手話入門」という分厚い手引書を買い、まず初めに指文字を覚えた。今でも身体が覚えている。しかし、体全体で表現するにはまだまだだ。
途中から入れないか中央公民館で聞いたら、「新年度から受け付けます」と軽くいなされた。あと1月半待たないといけない。
まだ、その当時勉強した人たちが残っているだろうか。その時は弟が手話サークル「てて」の会長をしていた。弟夫婦は、家でも手話で会話をしているぐらいだった。うるさいところでは、手話での方が意志の疎通がはかり易い。
多くの聾唖者とも親しくなったものだった。みんな元気で頑張っていることを祈る。
聾唖者のAさんが住む団地の横の家が燃えた際に、Aさんにはサイレンが聞こえないので、消化したあとに気が付いた、という話を聞いた。今は、ファックスが受信すれば自動的にランプが点くようになっているという。携帯も普通に持つことが当たり前になって、連絡も取り易くなったそうだ。
何とかまた頑張って手話をマスターして、恩返しが出来るようになりたい。実際、聾唖者の笑顔はとても素直で素敵だ。僕もそうでありたい。

九電龍郷発電所

奄美には重油を使った施設として、龍郷発電所、名瀬発電所、古仁屋発電所の3か所がある。その中でも、竜郷発電所は単機出力10,000kWの日本最大級のディーゼル発電機6台で、奄美大島の約66%の電気をまかなっているという。他に水力発電所として新住用川発電所がある。また、奄美市名瀬大熊にある奄美カントリークラブの敷地に建てられた、奄美大島風力発電所がある。1400世帯分に相当する年間約550万KW時を発電するらしい。龍郷発電所が6機で6万KWだから、数を増やせば風力発電で充分に賄えるはずだ。
"台風銀座”と呼ばれて久しいが、ここ数年は台風が来ても特段停電したりする被害は受けていないらしい。台風以上に強い北風が島を襲うが、それにも耐えているそうだ。
ネットで調べても、具体的な数値が出てこないので何とも言えないが、九州電力の”お荷物”的存在ではあるらしい。もっと風力発電が出来ないものか。施設投資額が大きい割に電力の平均的な確保が難しい、というのが九電側の言い分らしいが、この風の強い島でこれを利用する手はない。政治・経済が連携をして進行していけば出来ないはずはない。何か癒着の構造があるような気がする。役所が全く手を出さないのも裏に何かがあるからかも知れない。
引っ越して来て、その日に停電にあってビックリしたが、島の人々は別段慌てている様子でもなかった。慣れっこになっているふうでもなく、島の人の電気に対する考え方がちょっと違うような気がした。
もっと自然エネルギーを利用する手段を考えないといけない。もちろん、同時に電力の使用自粛もしなければならないが……。

停電の街

奄美に越してきたその日に停電に見舞われた。夜の7時過ぎから停電が始まり、九州電力に電話しても繋がらない。副音声で、「ただ今原因を調査中なので、暫くお待ち下さい」としか案内がない。Macのバックライトだけで過ごすには辛すぎるので、飲屋街の近くだったので時間を潰しに出掛ける。
10時半過ぎまで「串味屋」という串カツ屋で、串焼き1人前とチューハイ2杯を飲んで、そろそろ電気が点くころだろうと店を出た。外に出たら、繁華街は自前の発電機で灯りが点いていたが、家の近くに行くと写真のごとく真っ暗。
原発には大反対だが、やはり電気の確保は現実的に必要だ。ここ奄美大島では重油を使った発電機で賄っているが、自然エネルギーを使った発電を考えないといけない。家に帰っても真っ暗で、引っ越して来て直ぐなので、どこに何があるか分からない。
11時半過ぎにやっと電気が点いた。これで一安心。九電に電話をしたら、どこに原因があったのか分からず、引き続き調査中とのこと。困ったもんだ。

奄美市の国保係

奄美市に転入してきて、まず住民課に行き転入の手続きを済ませる。そのあと国保係に行って仮の保健証をもらう。
地下の「自立支援課」に行って保護申請の手続きをする。京都市右京区福祉事務所からの照会はまだ来ていないようだった。京都のM担当ケースワーカーは、直ぐに手続きをする、と言いながらまだしていないらしい。年老いた係の人が出てきて、「担当が今外出しているので、簡単な話を聞きましょう」と言いながら、書類を出してあらかたのことは聞く。もう話すことがなくなったので、「今度また来ます」と言い残して、メンタルクリニックに向かう。
昔お世話になったメンタルクリニックでは、まだカルテが残っていてそれを見ながら薬の処方をしてくれた。京都ではドクターから「睡眠導入剤は増やすと依存症を招くから、安定剤を増やして対応しましょう」と言われたが、ここの先生は、「それは昔の話で、今は依存する薬を使っていないので、眠れるようにしましょう」と言って、睡眠導入剤を3種類に増やしてくれた。ドクターによってこんなにも考えが違うのだ。
8日の午後2時半に「自立支援課」の担当が訪問する。京都での状態とここでの状態とを聞き取り調査をしただけで、「障害者手帳」を預かって帰る。どうやら奄美市では月の初めに支給がされるらしくて、それも京都の半額ぐらいらしい。家賃の補助は全額あるが、保護費が少ないと言う。心して掛からないと、直ぐにお金が無くなってしまう。
奄美市では離島ということもあり、物価が異常に高い。コンビニもあるが、そんなに安くはない。ただ、ダイソーがあってそこで日用品が安くで買えるのだけは有り難い。衣類も専門のディスカウントショップがあるらしいので、そこを利用しようと思う。15日の障害者基礎年金の支給日までは何とか食いつないでいかなければならない。

伽藍堂の部屋

今日は、テレビだけを残し、他の全部を荷造りした。ドタバタと煩い音を出したが、下の”チンピラ生活保護者”は現れなかった。
ベッドとテレビ以外は宅急便で送った。5個で、8800円もした。テレビを送るだけで、2800円もするらしい。保険は任意だと言うが、ちょっと高すぎる。予算の1万円をオーバーしてしまう。
片付けている間に末弟から連絡があった。「ここは雨で、荷物を運ぶのが大変だから、机とか運びにくいものは処分するからそのつもりで」と。いままで書き溜めていた小説類がなくなってしまう。それだけは取っておいてもらいたかったが、今更拘るわけにはいかない。仕様がないので、そうしてもらうことにした。
以前通っていた「デイケア」のK.Nさんから延期していた「新年会」をしようという電話があった。わけを話したたら「送別会」に変わった。2月1日の午後5時から河原町三条の焼き鳥屋ですることになった。次の日には飛行機に乗らないといけないので、飲み過ぎだけには注意しよう。
残った布団とか毛布類を元配偶者のアパートに今日中に運び込まなければならない。4つあるので、2往復はしなくてはならないだろう。食器類をどう片付けたらいいか分からない。夜に元配偶者が来る予定だから、任せようと思う。
  明日は9時から航空券の振込とリサイクルショップの買取と不動産と大家の立ち会いに望まなけれなならない。忙しそうだが、間に時間が空くので、Macを繋げたままにしておこう。明日アップ出来るかどうかは時間の問題だ。出来なかったら、来月8日からになる。では、それまで一旦休止ということで……。

アパートから見た光景

下の住人が何もないのに文句をつけに2階まで来て怒鳴り散らす。困った「生活保護者」だ。月末になると、パチンコで負けたのか、出るところが無くて苛々を募らせる。その矛先をこちらに向けてくる。
ベランダで煙草を吸っていたのに抗議しに来たのが初まりだ。まあ、煙草の灰が下に落ちたかも知れないということは認めよう。でも、何回もそれで怒鳴りに来るのだ。
洗濯をしていても、そのはたく音が煩い、と言って喚き散らす。「年がら年中煩いんだよぉ!」と言って凄みをつけたようだが、呆れ返ってものが言えない始末だ。
今日は部屋の掃除をしていたら、またドアを叩いて現れた。「煩いんだから掃除なんかやるな!」と言ってきた。その後、パソコンに向かっていたら、また上がって来て、今度は「足音が煩い」と怒鳴る。こちらは、座ったままでパソコンを叩いているだけだから、「そう言うわけはない。別の部屋じゃあないですか」と言っても、「他にどこがある。ここしかねえんだよぉ!」と言って開き直る。
福祉事務所のMケースワーカーにも、その話を以前したら、「名前は何て言うんだ」と聞かれた。その時は「名前までは知らない」と答えたが、今日名前を聞いたので「スナガという奴です」と直訴することにしよう。東京から来た”流れ者”らしいが、あんな奴がいるから生活保護者が変な目で見られるのだ。名前を言って保護を取り消してもらおう。いい気味だ。少しは反省するだろう。
このアパートは「生活保護者」が多すぎる。隣もその隣もそうだし、4階にも5階にもいる。生活保護者の”巣窟”みたいなアパートだ。家主はそれで儲けているのだろう。取り逸れが絶対にない、「優良賃借人」達だ。”ケチ”の由来も、あるいはその辺りから来ているのかも知れない。
今日、明日、明後日と3日間の辛抱だ。じっとして耐えていこう。

病院の待合室

今日は朝から引っ越しの片付けに追われた。
まだ安心は出来ない。右京福祉事務所がどんな動きをするのかが気になる。「移転の手続が終わり次第奄美の福祉事務所には連絡を入れる」と言ったが、本当にその通りやってくれるのかが心配だ。これまでの猫の目のような変わり様を経験して、直ぐにそうかとは納得がいかないところがある。「2月の保護費は奄美の福祉事務所が出してから、旅費を引いた額を送ればいい」とも言ったが、奄美の福祉事務所が対応してくれるかどうか確証がない。一応、領収証はいちいち取るようにしよう。
午後1時まではsiteにアップするのに時間を使った。jugemの表示の不具合で、アップしたのに読み込んでくれない。jugemはwiziwigではないから移転しようかどうか迷っている。安心してアップロード出来るblogは他にもたくさんある。サービスが悪いところは早々と切って換えた方がいい。「表示されない」と具体的にエラーの状態を書いてサポートに問い合わせたが、「おっしゃるようなエラーはありませんでした」との回答だった。信用が置けないところは利用しない方がいい。

病院は昼からの受診だったので、比較的空いていてすんなりと検査と診察が終わった。だが、薬局で1時間半も待たされて、3時過ぎに薬をもらえた。心臓の毛細血管が収斂していて、それを拡張する薬と血圧を下げる薬の2種類が処方された。紹介状ももらえたが、同じ共産党系の票院の名前が書かれていた。困ったもんだ。病院を変えるわけにはいかないだろう。
帰って来てから、引っ越しの準備をした。リサイクルショップに電話をして不要なものを引き取ってもらう予定だったが、「折り畳みベッドは扱っていません」と言われたので、その処分を考えないといけない。纏めてみたら、ギター1本と衣装ケースが2個、LLサイズの段ボールが2個とLサイズの段ボールが1個、Sサイズの段ボールが1個になった。これで1万円で済めばいいが…。後は廃棄するしかない。
来月は障害者基礎年金が出ないので、出来るだけお金を抑えたいのだが、敷金が返ってきそうにない。壁がゴキブリの跡で黒ずんでいる。それをあのケチな大家は必ず指摘するだろう。
あとは精神科の薬と紹介状をもらわないといけない。融通が利かないドクターと看護婦で、2月1日にならないと受け付けない。39日から1日の間は元配偶者のアパートに泊まるしかない。全く縁が切れているが、致し方ない。「金の見れ目が縁の切れ目」とはよく言ったもので、精神異常者の僕は配偶者不適格だそうだ。元配偶者の母が毛嫌いしている。その妹もそうだ。精神障害者のどこがいけないというのか。
何はともあれ、引っ越しにゴーサインが出たからには動かねばならぬ。元配偶者の冷たい扱いや愚息の無視や弟の蔑視に耐えながらこうと思ったところに進むしかない。結果は婆とからついてくるだろう。

精神科の病院

夕べ遅く弟から電話がきて、「家を借りるお金は出す」「本人がいないと契約が出来ないから今月中に帰って来て」「奄美の福祉事務所への移管手続を早くするように」「運送費はいらないから旅費だけは出してもらうように」との4点を挙げ、それが上手くいくようだったら帰るのを認めよう、ということになった。
朝、9時半から内科の診察だったので、出掛けて行ってドクターに理由を説明して「紹介状」を書いてもらった。
午後1時になるのを待って、右京区の福祉事務所に行った。担当のMケースワーカーに会って上記の4点を話したら、「運送費は要らないの?部屋にある荷物はどうするの」と聞くので、「身の回りのものだけを持って行きます」と言ったら、「じゃあ、来月の保護費は月末に支給されるから、全額返してもらうことになるが、領収証を付けたら差額分だけ送って来たらいい」「来月の中頃移転したら、その分保護費は支払うが、その方がいいのではないか、考えてくれ」「奄美の福祉事務所には連絡をする」という回答だった。”運送費”が浮いた分だけ儲けだと思ったのだろう。
帰りの足で、不動産屋に寄り、「急な話で申し訳ないが、今月中に引っ越すことになったので、来月分は安くならないか」と聞いたら「家主に聞いてから連絡する」と言う。家主はケチで有名だから、これはまからないな、と思っていたら、不動産屋から電話があり「来月分は全額収めてもらう」と言われた。どうせ敷金も出し渋るんだろうなあ。相殺という形になればいいが……。
一応、ガスと電気は止めた。社会保険事務所の住所移転は済んだ。あと、精神科の紹介状をもらわないといけない。区役所の転出届けも出さないといけない。何は置いても部屋の片付けと、荷物の整理をしなくてはならない。30日には立ち会いの元、ガスの閉栓と部屋の調査が入る予定だ。
問題は、やはり右京区の福祉事務所の対応だ。早く書類を移転先に移送してくれたらいいが、あの態度だと当てにならない。
まあ、ちょっとだけどまだ時間はある。ひとつずつ潰して行くだけだ。