30年間の色々、思ってることを書きます。
私のことを少しお話します。
今年30の会社員。まだ若い頃の気分が抜けないで
年甲斐もなくクラブに行ったり、ギャル系メイクをしている。
サブカルチャー、アンダーグラウンドを好むちょっと根暗なヤツです。
私の幼少期は、日本はバブル全盛期。
街中は金持ちで溢れ返ってるなんて知る由もなく。
しかしながら、「日本はきっと今、何事にも華やかなんだ」という事だけはどこか幼心に感じていた。
バブル期だという事なんか知ってるはずも無いが、そんないい時代だった事だけは確かだった。
通学時、ボディコンのお姉さんが通るだけでびびって道を変えて、違うルートで通っていた。
そんな時代。そんな世代。
そしてそんな私はかなりのびびり。
びびりで小心者の私の家庭環境はというと
団塊世代の両親と、バブル期にいい汁を吸ってた9個年の離れたあまったれた兄の家庭で育ちました。
あの頃、クレヨンしんちゃんや、大事マンブラザーズバンド、KAN、山田かつて無いテレビなど
テレビ番組や音楽も充実してていい時代だった。
あの頃の自分がまさかこんな風な大人になるなんて考えていただろうか。
いや、ちょっとにわかに感じていたのかもしれない。
いや、どうだろう。
まぁ、そんな事はどうでもいいのだけど。
私は三歳くらいからの幼少期の記憶がハッキリ残っている。
それはなぜか。
その頃から、あまりに私の身の回りで起こる事が強烈なものばかりだったからだとだけは言える。
強烈なものと言っても人に話せばなんだそんな事かと思う人もいるかもしれない。
多分、きっと面白い話ではないかもしれない。
まぁざっくり言ってしまえば
両親の夫婦喧嘩、酒乱の母親、暴力をふるう父親、妹の体を触るのが趣味な兄、
そして私は幼稚園で先生にいじめをうけて転園。そんなところだろうか。
この私の幼少期の記憶を明確に詳細に話せるのは三歳あたりからである。
三歳まではきっとバブバブとハイハイをして、たっちができて、やっと喋れたただのクソガキだったのであろう。
今でも、私をいじめてた先生の台詞が記憶にハッキリ残っている。
三歳の頃の行動や出来事をハッキリ覚えている事が当たり前なのか、そうじゃないのかは解らないが
少なからず、私の脳裏にはびっちりと焼きこませたのは間違いないようだ。
私は周りの仲間達より、少し言語に遅れがあったのかもしれない。
たしかにカツゼツは今もあまりいい方とは言えないけれど。
何が理由で三歳の私の脳みそをこんなにしてしまったのか、このカツゼツが発端だった。と思う。
そもそも、私の初期に通っていた幼稚園の担任のババアは頭が狂っていた。
もうそんな風にしか記憶してない。ヒステリックで彼氏も居なさそうな陰険なババアだった。
その幼稚園ではにっちょくさんは朝、各クラスを周って「わたしらが当番なんだ」という事を報告して練り歩かなくてはならなかった。と思う。
その日、私はそのにっちょくさんになった為、クラスの男子と二人で各クラス、年中、年長問わず周っていた。
その時、一人のメガネをかけた、私の担任では無いババアが、私の「失礼します」というドアを開ける際はなった言葉に
「ちょっと、あんた、しつれいしますの「つ」言えてないじゃない。どういうこと??「ちゅ」になってるわよ。やりなおし!」
と言ってきた。
確かに、私は「た行」そして「き」という言葉を「ち」と言ってしまう癖があった。癖というか、先も言ったとおりカツゼツの問題でだ。
当然私は「失礼します」と言いなおした。
しかし、そのメガネババアは「まだ直ってない。なにこの子」と嘲笑したのであった。
一緒に居た男子は自分のクラスに戻され、その代わり、自分の担任のキ○ガイババアが呼ばれた。
「あなたのところのガスマスクちゃん、ちゃんと言葉話せないんですか」とメガネババアはキチババアに言った。
キチババアは「「ごめんなさい。申し訳ないです」という感じで謝っていたようだった。(そこまでは正直覚えてないが)
その後、キチババアにこっぴどく説教され、三歳児ながら「ちゃんと言っていました」と強気な態度に出ていた自分に腹を立てたのか、部屋から出され、部屋に鍵をかけられて廊下に放置されてしまった。
私は「つかちゃんと言ってたじゃねぇか!」と言わんばかり「あけてーー!!なんで信じてくれないの!ねぇえ!あけて!!」と泣き喚きながらドアをバンバンと叩いていた。
しかしキチババアは揺るぎもしなく終始シカトを貫いていた。園長が通りかかったので泣きながら「あけてぇええ」と言っても、目をそらし箒でささっと掃除していた。
その日の記憶はそこで終了。
別の日、お昼ご飯に母が作ってくれたお弁当を食べていた時、飾りに入っていたパセリを残した。
その日の朝、母親が「これは飾り。食べなくていいからね」と言ってパセリを入れてる所を見て「わかったー」と返事をした。
そのパセリを残しているのに、キチババアが気づき
「なんで食べないの?」と言ってきた。
「ママが食べなくていいって・・・」と言ったのも束の間、「食べ物なんだから食べなさいよ。食べるまでお昼休みなしだから」
といって、部屋から出て行ってしまった。
つかよ、パセリってめっちゃ不味いじゃん。今でも食えないっつの。
そんなパセリをずっと食べられないまま、昼休みが終わってしまった。どうしたかと言うとあとでこっそり捨てようとパンツの中に入れて、食べたフリをしたのだった。
こんな感じでキチババアは私を目の敵にしてはいじる行為を長い間していた。
というか、自分だけなぜ、ここまでされなくちゃいけないのだろうか、と本気で悩んだ。
しかし、家に帰っても言えなかったのである。びびりだ。
そんなある日、母親が「幼稚園かえようね」と言って、区域が少し遠いものの、バスのある割と設立して新しい幼稚園に転入する事になった。
本気で心からうれしくてたまらなかった。
そして、そのキチババアどもの居る悪夢から逃れられる事となった。
しかし、なぜ急に転入する事になったのか。
私が成人するくらいに母親とキチババアの居た幼稚園の話になった。
理由を聞いたら
「○○○ちゃん居るでしょ、(この子は小学校も同じだった)
私が何かの用事でたまたま迎えじゃなかったんだけど、あんたの幼稚園に行ったのよ。
そしたら○○○ちゃんがね、あんたの担任の先生にものすごく泣かされてたわけ。
怒られてたっていうか。それを見て、こんな所だったの?この幼稚園。って思って、転入させようと思ったの」
と言ったのだ。
それにはびっくりして、自分だけじゃなかったのか!という思いと、おかんGJ!という気持ちでいっぱいになったのであった。
今では酒乱で折り合いのあまりいい関係じゃない母親だが、その時ばかりは「ああ、母親だな。この人は」と関心した。
幼稚園の思い出はこれだけじゃないですが、今日はここまで。