例の如く夜中起きが再発。

録画が溜まりがちな週末は気が向いたら録画消化に走りがち。

氷雨の夜は寒い。

買い溜めておいたうどんを温めて食べる。

特価で71円のうどん。

お出汁と麺と乾燥ネギとお揚げさん。

バラで買うより安い。

お出汁を温め麺投入。

食べる。

温かい。さっきまでブルブル、くしゃみまで連発していたのが嘘の様にポカポカ。

エアコンの暖房を封印して改めて痛感。

温かい食事が寒中にどれだけ貴重なのか。

大事なのか。

被災していた26年前の避難所体育館を思い出す。

寒さに震えながら床にシートだけの避難所。

いただいたパンは冷たく、コーヒーは配る間に冷たくなってた。

それでもキチンと頂けた事が嬉しかった。

今後も災害は起こるだろう。

どうかこうした被災地への手を差し伸べれる市井の一員でありたいと思う。



しかし、あまりにも美味しすぎてうどん2杯食べたのは公然の秘密という事で。

余りの温もりにお代わりしてしまった!

この温かいうどん2杯で体が温まり、暖房無しの体もあったまりました!

敢えて少しの節制をする事でみえてくる色んな感情が巡っております。

いざ!という時に被災しても日本国民という事で共同体としての支援を受ける有り難さ。

この「共同体」を「無駄」と言うコストだけで切り捨てる竹中平蔵、橋下徹、堀江貴文。

彼等でも日本国民。

共同体としての一員。

被災してガレキに埋もれていたら私でも助けます。

何故なら同じ日本国民だから。

たとえ誰であっても見殺しには出来ませんよね。

昨日、悲しい事件を聞きました。

コロナだから、と悲観して自殺された方が居られるという。

追悼の言葉として、助けられなくて申し訳ない、心から想います。

何故自死しないとならなかったのか?

日本に広がる「自己責任論」に他ならないと思う。

「必死に努力しても稼ぎが少ないのは自己責任」

「地方交付税が減らされてその分ふるさと納税で補え、募れないなら自己責任」

数えたらキリがない。

こうした「自己責任論」が蔓延すると最初に述べた、被災しても「自己責任」が当たり前になってくるし。

今回の悲しい事件もまたこうした間違えた自己責任論が彼女を苦しめたと容易に想像できます。

被災しても助けてもらえない。

被災しても誰も声を掛けてくれない。

こうした悲しい出来事は阻止したい。

例え竹中平蔵、橋下徹、堀江貴文等の人でも助けないといけない理由は「同じ国民」だから。

彼等が率先して進めたこの自己責任論は憎むべき事であり、日本の分断を生む間違えた「国家観」であるのは間違いない。

人間1人では絶対生きていけない。

誰かの生産物を享受し、誰かのサービスを利用し、会話して行動する事で生業が成り立つ。

だから国民同士で非常時に助け合う。

当たり前の国家観です。

温かいうどん2杯からも色んな事を想像し、いままでの己の考えの浅さを思い知るのでした。

もし、彼女が誰かのヒトコトに救われたならどれだけの人達が悲しまないで済んだか。

なぜたった1人孤独にし、自分を追い詰めるまで誰も声を掛けたり受けるべき医療につながらなかったのか。

真剣に受け止めたい。

そして、こうした人達を1人でも出さない為に、何も手を打たない政権とその周囲は今一度考え直し、もし考えが変わらないのであれば隠遁生活をオススメする。

もっと実効的、効果的に生きた政治ができる人達の進出を輩出できる様にしたい。

暖房をやめて夜中に熱いうどんを2杯食べる間に頭をよぎった事。

唐突に上げてみました。