事実の有る無しに問わず、暗にその役割を果たしてしまった事は否めない。この「靖国で逢おう、待っている」は、言わば,武士の「武士とは死ぬ事と見つけたり」に似た覚悟の表れにも思うのだが、武士は、当たり前に死に至って神社に祀られる前提では働かない。
地方の靖国神社碑を清掃させて頂きながらも思う事
全国には、戦没者を祀る慰霊碑や慰霊塔、そして靖国神社系列を明記して存在が多い。私は、そんな慰霊碑の置かれる場所を縁あって、「草刈りをし、遺族が何時でも慰霊に来られるように整備していた。そこには、もちろん負け戦の第二次大戦戦没者の名も記されていても、「靖国で逢おう」などの雰囲気はなく、純粋な慰霊塔で、やはりを言えば、「親御の為の慰霊」は雰囲気だ。しかし年々、参拝者は減る続けて、戦没者数の数の一割にも満たない。ここでは国の栄誉で、は無くて土地の栄誉で祀られて、でも放って置けば、現実の草木に覆われて、慰霊も栄誉も草場の影で朽ち果てる。感謝を忘れるべからずも、こんな有様。ある意味、英霊、栄誉を忘れて眠らせる事も鎮魂か?とも考えるし、いや、これは、今この土地で生きる我々の為の律志の碑、とも思ったりして、毎年毎年同じ気持ちでは、居られない揺れる心持ちで居る。いつも思う事は、「何が鎮魂に成るのか?」の未来に向けての心持ちだ。
明治維新は国際参入
少し話の回り道回り道をすると、明治維新は開国の準備段階、以後は本格的に国際参入と摸索の始まりである。国際ルールを知り守りながら、国際社会に飲み込まれないように富国強兵が始まる。これまでの様に、内戦の処置ではなく、異国間の外戦では、どのように対応するのかも、解らず、それ自体も摸索、注目もされ蔑まれもされつつ、このテーマの、内戦戦死者は、時の権力者同士の争いも有って戦没処遇も当の権力者が請け負った。だが維新以降は、外国との戦いも想定され、その戦没処遇は空っぽだった事から、急遽の処理で、靖国神社前身の招魂社に祀られ、社名も靖国神社に改名された。創設時は戊辰戦争の戦没者、次いで維新後、初めての外国戦、日清戦争、次いで日露戦争と、共に勝利と言う事で、ここには、責任者が居なく、太平洋戦争で、多くの戦没者を出しながら敗戦。当然、責任部所も責任者も居る訳で、ここの今まで隠れ潜んでいた問題が露わになる。その不適切さ?が有りはしないか?いえ、慰霊が問題ではなくて、成すべきは神社でなく、国家施設が適当と言う適正だ。少しの引っ掛かりを感じた時には、ある程度の歴史を積んでしまった後の気付き、には、もう如何ともし難いほど、既成事実化していた。が正直なところ。こんな経緯がどうでも、慰霊の心からは、否定には下らない、通常は、国民の慰霊が叶えられれば、後は律する事で時間が丸く収めてくれる、、それはあくまで、国民や戦没者、戦没者家族の考えだ。
戦争が有って参戦して、勝っても、負けても国の為も、残り生かされた者にとっての英雄霊は変る事が無い、にしても、残され生き続けた我らは、必ず「検証」はする。負け戦ともなれば「辛辣」にもなって来る。戦死者にではなくて、その背景にだ。だからと言って、その背景を攻めて、攻め倒す意味など持たず、例え次の戦争が有っても、自らの「護国豊穣」戦意で行くために透き通った判断がしたいだけ。嘘とか、煽りとか、唆しや、脅しで逝きたくはない。逝かせたくはない。それをこの慰霊碑で誓いたい事だ。日本人だから。日本人の戦闘は強い。これは確かだ。何故強いか?いや逆かも知れない。守るものが大きい分、強くなるのが兵士。つまり、日本が良い国だったと言う事の証明が、兵士の強さに表れただけ。何処の国でも親子の絆が国のまとまりである。どの国でもこれは同等だろう。
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