人間が群れる時、暗黙にしろ口頭にしろ、記述にしろ、ルールを作って守って集団と言う形を持つ、これが基本としても、人間社会は、このやり方の試行錯誤の歴史を積んできた。と見る事も出来る。国ともなれば1億人、2億人の個々の意が、纏まらなければ進む事は出来ない。まあ、世界史を見れば、それは「纏め方の展覧会」としても学べる訳で、これを自然淘汰と考えるか?イデオロギー進化と考えるか?はたまた、エゴイズムの展覧と見えるか?それも様々。でもその外面は変遷と見えても、内面は変って来ているのか?の視点に対し、「変わらない勢力図」で支えられているような、気もしないでは無い。例えば、〇〇学校の〇年〇組の生徒構成を見ると「善人数、はみ出し人数」「優等生、劣等生」「趣味人、無趣味人」色んなタイプ、才能リードする人リードされる人、引っ張る人も戻す人もいる、上昇しようとする人が居れば、下降させようとする人も出て来る。たった40人クラスの教室でさえ、あるパーセンテージで人種が群れて、それが、おおむねでは有るが、拡大した町の人々の群れでも有るし、市の群れでも有るし、県、あるいは国、あるいは東洋において、あるいは世界において、このパーセンテージは、生きて行く。その意味でも、学校教育の経験は、生涯に欠かせぬ入門である事は言える。それは教師の部分も、校長の部分も、その上の部分も含めれば、不文律さえ学べる高度なものと言えるかも知れぬ。その纏まるに関しても、先へ歩むに関しても、直面して惑うのは、「これが正しい、それが間違い」「正義だ悪だ」「賛成・否定」特に「正しい、正義」「間違い、悪」を分律に使う人が2種いて、引いてはこれが歴史を揺すったり悲劇を生んだりして来ている。「我らが正しい」と言いつつ、戦争に至って共に不幸になる。こんな事は教室内での喧嘩で何時でも見れるし、世界の様子を見ても、いつもの事として見れる。
結局、正義は悲惨を招く正義で、結果悪行、こんな事に成らないように2020、令和時代ではここに哲学を入れないと、当世の武器が武器だけに、かつての戦争を越えた悲惨を、招く事になる。タイトルのように「正しい・間違い」を頑な持つ人種は2つ。平たく言えば「優組と劣組」の2であり、正義を叫んで悪に成る、悪を正義の風当てにして逃げる、表面裏面の2、である。優の特徴は間違いや悪に至らない回避に正義の道を説く 劣の特徴は、間違いや悪を正当化するために正義に触れていないと言う逃げで「関係ない」を言う。要は、正否の主体が違っても、「判断基準の意識はとても強い。この人達を除けば、「正しいも間違いも」「正義も悪も」ケースバイケース、根幹の根幹は、「世のため人の為の正」正しい事が先でなくて、世の為、人の為が正、第二でで結構、柔軟なのだ。日本古来「和を以て貴と成す」和を齎すのが正しい事。

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