子供の頃は懐かしみの「明治は遠くに成りにけり!」の言葉を良く聞いたものだ。が昭和の子供に明治は元々遠くで、成りにけり、では無くて、もう史実でしか無かった。体験的に生きたが一番の証言としても、確かに月日が流れて遠くなると心に響くものも無感に成って行く心中も乾燥して、ある意味のリフレッシュされる気がする。良くも悪くも前に進むのも、余りの過去執着では、未来も美的目標地からは外れてしまう事だろう。けれども、描く未来は、過去を、それこそ俯瞰した公
平、平等、平和感性で見つめた結果で無いと、道を誤るものと思っている。幸いにして日本は、比較的こうした眼で歴史を綴って来て、勝者の改ざんも少ない国と思っている。この点に於いても、日本の歴史、天皇制が大きな功を果たしてきたと評価するものだ。昔から公と権力覇者はここで保たれて信頼できる日本歴史を綴って来たと言えよう。外国に信用される日本の前に国民の正直さから逸脱はしていなかったと思っている。けど日本が民主の歴史を積んで来て、2000年を超えた、この時節は、この保って来た事も崩れそうで年々懸念も深くしつつある。歴史が好きな人と言うのは、こうした小さな汚れを見せず大きくて奇麗な大河に見える所を好む、そんな気もするのだが。そんなロマンのベールを掛けつつも歴史をロマンにしたい、それが魅力、自分の立ち位置も魅力。ってところだろう。さてと、天皇制の継続で大々変革期と言えば何と言っても「明治」これ以後からは、これまで経験の無い世界と先進国との付き合いが始まった訳だ。明治大帝の事は、当時から不足のない名声は絶えないし、グンと尊き高座にしたのは、取巻いた家臣軍団が武勇漢の極みだった事が、その名声を揺るがないものにしていた。まあ、神宮守に成った訳だからもう固着と言って良い。我とて異議も無し。ただ、余りに偉大だとその後を継ぐ者にとっての環境を過酷なものにしてしてしまい兼ねないが、その後と言うもの、柱の取り換えが如くの不安定日本に成ってしまった。が、時勢としても世界中が不安定波に泳がされていた。それはその後の太平洋戦争後の身にしみじみとと感じ取る、判明に皆々、良き教訓を得た国、何も教訓されなかった国、新しい出直しくらいの教訓にした国、様々で言外に至る。我、昭和時代人、と言っても、戦後派だ。そして初めて観るに至った天候陛下こそ「昭和天皇」その人だった。けれども戦後に流れて来る天皇風聞は、頑なな尊厳を有したものではなくて、「昔(戦前、戦中)は顔も見てはいけなかった」と言う過去形で、世間話の登場でも「天ちゃん」などと、茶化した言い方をする人も多かった。経緯を知らない私及び同年代子供も、暫くの間は「天ちゃん」等とも言って来たが、普及したテレビで見る数が多くなって「次第に天皇陛下と言う呼び名に戻って行ったこと覚えている。日本人はどうも、考える基準付きで生れて来る様で、空気の察し仕方が鋭くて、何処かの段階で「天ちゃん」は相応しくない、と感じ取ったのだろう。理由?陛下の放つ雰囲気だけだ。当時は異風を言う人間も少なからず居て、そう言う人達の言葉は「天皇制反対」「同じ人間、ただの我らと同等の人間」と言う解説付きの異風聞だ。
だが、日本人は、天邪鬼では無いけど、いや、先ほどの基準を持って生まれているので、こうした揶揄には流されない。後々、大人年齢になって考えて見た事だが、日本人の言われ方で。一番、嫌なレッテル評価、「卑怯者」が有ると思う。多分日本人の大多数では無いだろうか?この基準からすると、陛下と言う反論しない出来ない立場を貫いて尚、整然とされている姿を神々しく感じてしまった。当然に、その反論しない姿を目掛けて、投げかける反対と平等の矢面には、「こっちの彼らが、卑怯者」を幼子に思わせたと言う事だ。やはり人は声も有れば、顏も有るもの、そして雰囲気も持つ、それを比較しても、下品かつ卑怯者は彼ら、と思った訳だ。
現代皇室は、国民と共に。などと近しい事を言われるが、それは我らが言う事ではない。皇室方全員が国民に寄り添おうしてくれている姿勢の事。民主の世に特異となる天皇存在は理解しても、日本の事実は、この制度で2600余年、日本人が大きく離れ離れにもならずに纏まりを崩さずに生き永らえた尊大が事実なのだから、そして先ほどの、基準持ちで生れて悔いる日本の子供は今も続いている事を思えば、民主世界も続き、「我らが天皇陛下を任命している」ような錯覚はしない事だ。それこそ尊大知らずの「卑怯者の極み」と私は思う。。
現代日本の礎、尊敬に尊敬の2乗ほど崇めている昭和天皇。色んな言い方で言われるのも不満では有るものの、ご自身はその上におられて、意に返さない正に天に届きそうな人格には遠く偲ぶしか方法が無い。そのようにみられる昭和天皇もある意味では、あの第二大戦が有って、あのあくまで優しき高貴に成られたもの思う。実際、と言うのか?予見と言うのか?明治天皇が、孫皇太子、迪宮様の教育係に乃木希典氏を遣わせた事が戦後の処理の好転傾向に向けたか?思えば細い綱を渡っての本人族を纏め救い上げた。色んな言い方、表現も有ろうが、思えば思う程に通常の言葉で表したくない、特別語を考えたい思いが湧く。このように、振り返れば振り返る毎に、奇跡で、奇跡的な危機の掻い潜りを成した昭和天皇について私説で語ろうと思う。先に本題の「靖国神社と昭和天皇について」「避けられ風」に語り、軍国日本の揶揄材料にする人も居たりするが、これは全く違う。もっともっと深く知れば、逆に単純な事が理由だ。その理由を察して上げないと、高貴な人格を汚れた眼で見るが如し、話が下衆の極み。理由は神道の唯一教義「八紘一宇・・大御宝」と相反するからだ。これを、戦後の戦犯裁判の折に「はっと気づかれた」と思う。この推察が正しいか?この事、明治、大正時代の騒がしさで誰もが気付かなかったが、「国民が他国によって処分される」事態と思いの中、間違いに気付かれた。(どこまで述べても昭和が終わった今、想像範疇ですが、)Ⅾ・マッカーサーの前で、御身を差し出して、国民に食糧を乞うた。その行動とは「間逆」に気付かれた訳だ。真相の流れで言えば、善意、慰霊、哀悼の思い、思いが深さが、靖国神社を作り、魂を慰め、讃えようとした場上では有るが、だが天皇家、神道としては「国の為に命を捧げ、靖国で会おう」と言う言葉を是認してはいけない事なのである。
神武天皇以来の継承、八紘一宇は「世界を争いのない家族のような和世界にする事」大御宝は「日本人一人一人を宝のように守る事」天皇家の中ではもっと守るべくは有るのだろうけど、天皇家の民への表しはこの二つ。歴代の天皇に科せられた意は、民を身をもって守って、家族和を、大きく育てて世界を平和にする、と言える。言葉や書き文字にすると、拡大解釈や、反面解釈、暗・悪解釈もされそうなので、勝手ながら自分の解釈を自分の言葉で成した。靖国神社が日本国のために戦闘に散った人々を英霊として祀るようになったのは、開国から日本が対外国戦争を余儀なくされたからで、「英霊、靖国」が定着して、西南戦争の戦没者も祀られるようになって、増々、戦争から辿り着く栄誉・靖国神社が、人々の思いに成ってしまった。戦争に勝ち続けた頃には、気付かないで第二大戦の戦士が「靖国で会おう」と戦いを鼓舞するようになったのが天皇家配下の神社。と言うのが、実は筋が通らない存在。
民を守る盾に成る存在が、天皇の為に命を落として神社で祀る。「国家の、天皇の為に」の戦死は拡大してはいけない事。
元々、明治に成って対外戦争をするようになって、戦没者を祀る所が無い、事で臨時的に指名が掛かった靖国神社。第二大戦後、他の箇所に祀り処を作っても、時すでに遅し、全てが善意の繋がりで、既成事実に成った靖国神社にも責はないし、祀り処を作ろうとした人の心にももちろん責は無い。「靖国で会おう」と言った戦士にも責は無い。本来的に国が作った祀り処なら天皇陛下も天皇家の人々も行けたのだろうけれど、「国の為に戦う」は容認できても「皇国の為に戦いに出て靖国で会おう」は天皇の立場で容認でき兼ねる。これが昭和天皇が靖国神社に行かなくなった訳と解釈する。結局、間違いも見当たらないし、誰も悪くは無いのだけれど、ただ「行かない理由を戦犯の人達せいにする邪推やら悪意推に翻弄される事だけに悔しさが湧く。気付くのが遅かった、も有るが、気付いた時の情勢は、世界の一員、日本。日本の「死んだら皆、仏様」で弔う、考え方は善と悪を分けたがる諸外国には理解されないし、遅れた時間でこうなった事は時間の経過で解決して行くしかない。それも承知で昭和天皇は、何も言わず、何を言われ様とも、ただ行かないの行動を選んだ。他の皇族様も行かないのは、意思が通っても事だろう。残念ながら我ら国民が、この喉の引っ掛かり事態をスッキリ通り良くしては差し上げられない。出来る事は日本価値観の公表と容認だけかな?皆それぞれが意思から皆、立派なのだから。
理由を私説ながら解説し改めて思う事。まず、この時代への適合を天皇家自身が成す事。通常の宗教は権威権力でごり通して、こうした不合理を解釈で整合したりするけど神道、天皇家は違う、と言う事。歴史をざっと眺めても、大和朝廷時代は、豪族政治と対峙整合して、そこから公家政治と対峙整合して、次には武士政治と対峙整合して、それが終わって帝国主義と対峙整合して、今は民主政治と対峙整合している。時代に柔軟の中でも「八紘一宇」も「大御宝」も揺らぎなく継いでこられた。これ、一見、弱そうな、柔軟姿勢だから出来た事ではないか、と感服する。時代の変化であっても戦えば、言う事に矛盾が生じるし、話の筋も強引の補強骨でもはや骨にあらずの処を骨子として保ってこられた。これ正に真髄なのだろう。時代の変化は「良いもの探し」と思えば、逆らう事、由ばかりでは無いのだ、と悟る。こうしてみると、武士の時代も長期のモノなのだが、結局、平安、鎌倉、室町は、武家が高みに居ようとする争い意を表立たせて、自分達、武家が安定する事が天下安寧と時に合力し、時の反目しの繰り返しただけ。この流れを切ったのは、やはり織田信長、子分、豊臣秀吉、子分、徳川家康の3点セットだろう。何が違って居たか?誰のために戦いに挑んだか?ここで、「庶民の暮らし」が出でて来てそれが「未来日本の姿」の礎。礎を築くために「天下布武」で成す。と解釈するとますます以て信長氏の視界と言うのは考えられない境地に居たと言う事になる。そしてこれを均して考えると、「八紘一宇、大御宝」が浮かんで来る。(自分だけ、と思うけど)現代に於いてもその当時に於いても信長氏の視点視野と言うのは、段階を三、四、五段階も跳ねている。
そして現代、世界的に誇れる「安全国日本」も信長の産物と考えている。先ず信長の戦い方だが、、案外に於いて、裏切りを炙り出すような裏切りに無防備の形を取っていた。ただ、裏切りや嘘の行動する者は、根絶やしくらいの非道を行ってこれからの範を示した。その中に、家康の息子の切腹指令も有り、その事例だ。最も有名な比叡山焼き討ちも、その一つだろうし、最も世の安全に貢献したのは、楽市楽座だろう。教科書では庶民経済の活性位にしか述べられないが、これの実現には、何が必要か?庶民の女子供でも安全に走破出来る街道の整備と山賊野党の撲滅。これが成されないと流通網も不完、庶民経済活性も不完なのである。これを前提に考えると、秀吉も家康も同じ意思を持つ弟子であって、、、弟子で無かった者、弟子で有って欲しかった人物が光秀と想像してしまう。自分は時折、信長は自分以降の政を、織田家単独では無くて、合議制を考えていたのでは、思う事がある。何故かと言えば、平安も鎌倉も室町もそれで失敗もし、悲惨な崩壊戦火を招いている、それを教訓としたら、信長は同じ轍は踏まないとの性格が推察できる。信長が自分が天皇に取って代わると言う野心説は、脳が足りない。その意志なら自分神社など作らないだろうし、自分宗教を作る事だろう。何にせよ、日本に未来感で成した数々の事、誰のため?「庶民の暮らし」視点は正に「大御宝」の心の発布でだと、考え過ぎとも思うが、ともかくこの三人で、山賊野党を根絶やしにして、人の交流を物流を良くし、盗人嘘や傲慢詭弁も焼き払いの見せしめで改革した。大きく回り道して、明治大帝も昭和天皇もこの武士の気概をお持ちになられた帝と考える。明治大帝は西郷隆盛を好きだったと聞くし、昭和天皇は、乃木希典の言う事、絶対と言う育ちも残されている。大きく旅をして来た「八紘一宇、大御宝」が明治、昭和に息づいて第二大戦敗北から日本を救った。本来、帝ともなれば、周りが存命を画策するところ、「自らが、、」八紘一宇が武士道の元、としても大きな旅路の果てに昭和の帝が武士道に身を預けて、御身も日本も断ちを逃れた。やはり、奇跡とも言いたし、神がかりとしか言いようがない。そして対する相手が一度、父上と訪日して明治の大将歴々と謁見していたマッカーサーだった事も日本の運命の一つを成した。昭和天皇が「卑怯」を嫌う武士魂を通した事、マッカーサーもどことなく武士魂が端々に見えた方だったのが、本当に幸いしていた。言わぬと決めた、言わないでの約束。まるで武士の一言。の頑なさは、乃木大将の影響と思うしかない。そこがまた、戦後に成って、あの寡黙さでも、好かれた一因か?誰かが言った。「歴代の天皇の中でも一番に辛苦された天皇」と、天皇歴代でも生死にかかわる事件は多々あったものの、国内で事情で、天皇継が無くなる事が有っても日本国が無く成る事は有り得なかったので、その部に於いては、昭和天皇の心を潰される思いだったであろうを察して共有したい処だ。慰めにも成らないけどね。この事を文で残してくれる事態はこの先に起こるのだろうか?そんな記念館を創って慰霊したい人も多いと思う。明治の帝は、神宮を得て、これに異論はないものの、昭和の帝も、日本山河を残してくれた大大恩の尊皇だから、武蔵野だけでない神宮を、と考えるのは、自身だけかな?
余りに讃えると、天皇戦犯説で向かって来る輩も居るけれど、「どう思われ様とも、たった一人、当時の日本人口4000万人と日本山河と文化を救った、これだけで十分だろう」何より歴代天皇がきっと「ねぎらいの言葉を誇与してくれたと思う」ここで明かせば、今風に「我、昭和天皇ファン」で憚らない。まあこれを言い過ぎると、「やれ、天皇戦犯説」で出向く輩も多くいるだろう。一般に、歴史過去を言う人は「右翼」歴史過去を言わない者は「左翼」これは個人でも団体でも一緒。歴史過去から未来を歩む人は、自由社会な国民。歴史過去も言わず未来も言わず、敵がいる敵がいる、を言うのは、独裁国と独裁者と配下。この判定の解る人には、少し戦争始を語って見よう。
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