なんで花火をやった?
それについてガンガン今日は書きます!!
2015年に挑んだ花火とのシンクロ共演
音彩スタジアム2015
たくさんの理解と協力者のみなさんのお陰で実現できました。
2014年に発声すら出来なくなった8カ月。
手話を勉強しに行く準備をしていた中、
1年前に建てたばかりの夢のスタジオを売ろうとした中、
心の中に沸々と音楽への思いが込み上げてきました。
あれだけ好きだった音楽が大嫌いになってから数カ月
本当は嫌いになろうと、離れようと
ごまかしていた自分に気付いた瞬間
歌唱は出来なくても作曲は出来る!
それから自分にしか出来ない、自分がやりたいビジョンが広がりました。
即効書いた事もない企画書を見よう見まねで徹知的に営業マンの企画書をぱくりにぱくって、
TTP(徹底的にぱくる)
想いと構想を文字に綴って、ワクワクする企画書を完成
それを持って人に会いまくりました。
あの頃の電話代半端なかった。
歌手はフロントマン
そのTEAMにはバンドMAN、DJ、DANCER、エンジニア、メーカー、イベント会社、協賛クライアントなどなどたくさんいるわけで、
その中で今の自分はどのポジションなのか?
作曲で演出家?プロデューサー?
いろいろ悩みながら進行。
実際開催当日までその疑問は消えませんでした。
裏方に回ろうとしても、PRには表に出てほしいと要望されたり。
これは出るべきではないんだよな~と思っても出る決断をしたり。
なぜかというと。
先程話したフロントマンの話。
今回は作曲をして、そしてプログラマーと演出家と花火師と照明さんと舞台監督さんと構成して、主役は花火や光りなわけです。
私は作曲と演出(90分秒単位で音と花火と光の世界作りを担当)をする人
人が感動と驚きを感じるのは、フロントMANは花火と光なんです。
そしてその120メートルのロングステージでコラボ生演奏する和太鼓奏者やバイオリニスト、アーティストやダンサー達なんです。
とにかくこの2015年9月5日に開催した音彩スタジアム
さまざまな事を勉強でき、さまざまな反響が起きました。
命をかけて本気で挑んだ時間の中で、これからの人生共に歩んでいきたい人間、
切らないといけない人の繋がりなど。
華やかな世界の裏では本気で挑む以上、
規模がでかくなればでかくなるほど、
人の本質と器が見えてきました。
2000年くらいに地元岐阜の同じ場所で、世界的なデザイナー山本カンサイさんが大規模なイベントを開催していました。
その外には小さなサブステージを準備してくれていたんです。
そこでRYUREXはRYU Zという名前で歌っていました。
あれから15年、バトンタッチの使命感。
MEGARYUとしてファンのみんなや、いろんな人に約束していた、長良川球場でのライブ。
被災地、岩手釜石の子供たちを岐阜に呼ぶという約束!
歌えなくなり実現できなかった。
それはしたくなかった思いも強かった。
作曲14曲に挑み、花火と光とエンタメとの共演実現。
釜石の中学校生徒招待
出来ました。やりたかった。
伝えたかった。
関係者のみなさん。
あれからちょこちょこ連絡をとり伝えているように。
2回目開催に向けRYUREXは狙っている事をお忘れなく!!
スタイルはまた新たなモノで。
という事で、今回の結論は最後になりましたが、
約束を守りたかった
花火光という多くの人が好きな世界とのコラボを作曲で創作者として挑戦したかった
なによりも人に感動と喜びを最大限贈りたかった。
感謝と愛と共に
PS:音彩スタジアムのサブステージで、そして関わった若手パフォーマーの中で15年後にこんな独自の企画を実施してくれる人が生まれる事が、RYUREXの新しい楽しみの一つかも。笑
ばーい!!