「おまけ人生」は生物学者によるエッセイ集。

この生物学者はかなり面白い人柄らしく、彼女も何度も笑ってしまったという。

もちろん彼女は、笑うほど面白いからこの本を取り上げたのではない。

著者が科学的世界観を絶対とせず、世界を理解するためのあくまでも道具と捉えているからであり、それを示すものとして「道元の時間」を取り上げている。

生物学の視点で『正法眼蔵』を読むというのだ。

道元の時間論として取り上げている訳文は、次の通り。

「私を並べて全世界とし、この全世界にある人々や物々をそれぞれの時間だとみなすべきである」

彼女は、上記を物理学的世界観で理解するのは不可能であるとする一方で、「悟った」人間には、時間すなわち存在とはこのようなものではないか、としている。

そして、「科学」は「世界」の理解に貢献したかもしれないが、「自分」もしくは「自分の人生」を理解するためにはほとんど無力である、と述べる。

そして、著者によれば、人間の老いの時間は生物学的には「おまけ人生」だから、だからこそ「尽力経歴」しようではないか、と彼女は結ぶ。

確かに、彼女の言う通り、物理学的世界観と生物学的世界観は随分違うのだろう。