「日本の曖昧力」呉善花(オ・ソンファ) 著

 

この本は「曖昧」を日本文化だといって、その利点を書いている。

 

『「イエス」「ノー」とはっきりしないと先に進まないのは、物や機械という「科学の面」である。

しかし、人の心には分けることのできない「中間がある」ことを知っている日本の文化は、「曖昧」で「相手を認める」システムである。

 

「イエス」と「ノー」しか認めないと、「キリスト教」しか認めない、あるいは「イスラム教」しか認めない、と相手を消してしまわないと解決にならない。

そうした場合「和を持って尊し」とするなら、相手も認めることができ世界の紛争の半分以上、99%は解消される。

和を尊ぶ精神は「議論」した場合、相手との争いを好まないから相手をやり込める手段には弱い。

しかし、ディベートを最上の手段とする西洋の価値観は、武力を背景とし、議論がむちゃくちゃの場合が多い。

「イエス」と「ノー」しか認めない「西洋の思想」や「グローバルスタンダード」を尊重しすぎると、自分と違うものを排除する方向に行ってしまう。

それは、強者が繁栄するには都合がいいかもしれないが、弱者を認めない考え方である。

「和という精神」で負け側も勝ち側も一緒にともに生きていく聖徳太子の精神は、人間が滅びない知恵が含まれているのだろう。』