[ 前提を置かなくても、根拠ある結論を得られる議論ができるか?]

「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」とは、「前提を置かなくても、根拠ある結論を得られる議論ができるか?」という考察である。
ミュンヒハウゼンとは、ホラ吹き男爵のこと。
トリレンマとは、どれも好ましくない3つのうちから1つを選ばなければいけないという三者択一の窮地のこと (ジレンマは、二者択一の窮地のこと)。

[「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」の概要 ]

(前提を置かないで)
Aの根拠はBである、Bの根拠はCである、Cの根拠はDであると、無限に続けていったらどうなるか?

「循環論法」に陥る、「無限後退」に陥る、何の説明も根拠もない「ドグマ (信条)」で終わる、の3つのうちからどれかを選らばなければならない (トリレンマ)。
論理学的にはこの3つは証明に失敗しており、何の証明にもなっていないことがわかっている。
とすると、実は極めて重大な懸念がある。
つまり「この世のものは何も証明できず、何も定義できないのではないか?」というものである。

数学や経済学ではドグマ(公理)を決めて、それが正しいという前提で学問を展開していっている。

しかし、「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」では「ナマの事実」をいくつか提示して、このトリレンマと妥協するケースが多い。