最近よく友人同士で、「いま現在と、小学生の頃では時間の経ち方が
違う」という話をします。これは結構皆が感じている感覚みたいで、
実に不思議です。例えば「1週間」という長さは明らかに同じであり、
別に地球の自転・公転が早くなっているはずはないのだけれど、
明らかに自分自身の「時間に対する感じ方」が違うのです。
僕は「幼少期は見るもの接するものが目新しいゆえに、物事に対する
"感動”や"新鮮さ”が多く、学校のテストなどの嫌な事・イベントが
あるために、“その時”までが長く感じられ、自分で色々と考える
機会が多く自由な時間が多いため。」と考えてみました。つまるところ、
社会人になったりすると日々の仕事に忙殺され、自分で考えるたり行動する
ことが少なくなってきて繰り返しの毎日になっているんじゃないか・・・と。
「時間の経ち方が早く感じる=感動が少ない+思い出が少ない」という図式?
もっと中身の濃い日々を暮らさなくては・・・と思う次第( ・д・)/--=≡(((卍
また、同じことを感じている友人は「時間に対する耐性ができたのだ」
とも言っております。これは、実に面白い考え方だと思います。
皆さんも「昔」の方が時間の経ち方の感じは遅かったですか?
違う」という話をします。これは結構皆が感じている感覚みたいで、
実に不思議です。例えば「1週間」という長さは明らかに同じであり、
別に地球の自転・公転が早くなっているはずはないのだけれど、
明らかに自分自身の「時間に対する感じ方」が違うのです。
僕は「幼少期は見るもの接するものが目新しいゆえに、物事に対する
"感動”や"新鮮さ”が多く、学校のテストなどの嫌な事・イベントが
あるために、“その時”までが長く感じられ、自分で色々と考える
機会が多く自由な時間が多いため。」と考えてみました。つまるところ、
社会人になったりすると日々の仕事に忙殺され、自分で考えるたり行動する
ことが少なくなってきて繰り返しの毎日になっているんじゃないか・・・と。
「時間の経ち方が早く感じる=感動が少ない+思い出が少ない」という図式?
もっと中身の濃い日々を暮らさなくては・・・と思う次第( ・д・)/--=≡(((卍
また、同じことを感じている友人は「時間に対する耐性ができたのだ」
とも言っております。これは、実に面白い考え方だと思います。
皆さんも「昔」の方が時間の経ち方の感じは遅かったですか?