齧歯類[ゲッシルイ] | 五階から胃薬

齧歯類[ゲッシルイ]

私の初恋は小学校六年生の時である。


その女子は、身長が比較的高く、前歯が出ていた。


男子達は彼女を「ミッキー○ウス」と呼んで小馬鹿にしていたが、私にとってはその歯が魅力的に映った。




ウルグアイで、体重およそ1トンくらいになろうかというネズミの仲間の頭骨が展示されたという。


こういった類の話は大好きで、愛地球博では東京在住のワタクシ、はるばるマンモスを見る為だけに愛知まで行ったモノである。

後にそのマンモスはお台場で展示されることとなった、わざわざ愛知にまで行かなくてもよかったではないか。


さておき、万博、という響きにはロマンを感じる。


幼い頃つくば万博というビッグイベントがあって、私は行きたくて仕方がなかったのだが、忙しい父は私の申し出を悉く断った。
母も出不精気味だったので、自ずと友人の自慢話の聞き手に回らざるを得なくなった。

今でこそASIMOであるとかリアルドールであるとか、人間はバベルの塔を着実に築き上げているわけであるが、当時はまだ「ロボット」と言えば少年達の目が輝く時分である、ましてや「ヴァーチャル」なんて言葉を聞いたところでさっぱりわからない、そんな時代であった。

私はとにかくそんなハイテクに触れたかった。

子供なら誰しもが、つくば万博に憧れたモノだろう。


というわけで、私は愛地球博を見逃すわけにはいかなかったのである。

チケットを取って、それから下調べをした。

調べれば調べるほど、万博の何たるかが見えてきた。

どこを探しても、どこを突いても、面白みの欠片すら見出せそうになかった。


マンモスを除いては。


そして実際足を運んでみて、その予想は的中した。
何も面白くもない。感動もない。新鮮味がない。

万博というのはどうもアレであるな。


ただ、マンモスには参った。
涙が出るほど、感動した。

この世のモノとは思えない程堂々とした牙、鼻は落ちていたが皮膚は残っている。

百年以上生きた老人の話にも、マンモスは出てこない。

シーラカンスが発見されても、「生きたマンモスを捕獲したよ!」と叫ぶ人には、温かい目で見守り、幸せな老後を願うまでである。

そんなマンモスが、目の前にあるのである。


これに感動しなかったなら、人間は何に納得するだろうか。


そんな話はさておき、大きな齧歯類の話。

1トンくらいの大きさであったら、もう許す。
悪さをすれば捕獲は容易であろう。
恐ろしい。

人間様は種の一つや二つ、根絶させることなんて簡単である。


ところで、現代のネズミどもは、小さい。
一匹捕まえるのに四苦八苦している。


増え続けるネズミに悩まされている我々人間は、どうやってネズミと戦っていけばよいのだろうか。


動物愛護団体は、ネズミをも養護するのだろうか。


人間が生きていく上で、蝿は不愉快だし、蚊は不快である。
ネズミは害獣で、ゴキブリは害虫である。


そう考え、発見するや殺しにかかるという行為を、人間のエゴだと叫ぶだろうか。


動物が自分の害とみなすモノを排除しようと考えるのは道理であろう。
何も人間ばかりに「エゴ」だの何だのと言うモノでもなかろう。


そうやって考えているのなら、動物愛護団体に賛同する。


人間は考える脳髄を持っているから、知識欲というのも芽生えてしまった。

学ぶ為、動物を解剖したり、人類を守るべく動物実験で結果殺すこともする。

無駄な殺生とは思えないのだが、やはり反対する者もあるだろう。


難しい。


ただ、あまり知らない人々に、残酷なシーンばかりを集めた写真展じみた場を設けて
「動物はかわいそうな目に遭っています」
と叫ぶ行為に私は苛立ちを覚える。


それは扇動という。


知ってもらいたい、という気持ちは誰しもが備えているだろうが、現場を知らない人間に極端な例ばかりを見せるのは、端から正しい情報を伝えようとはしていない。

そういった活動家は大嫌いである。




眠いからあまりよろしくない話をしているかもわからないので、そろそろやめておこう。





先に述べた「ミッキーマウ○」女子に、街で偶然再会した。


美しくなった彼女を前に、私はとても良い心持ちになったのだが、彼女の第一声が私の恋心を見事なまでに破壊した。




「ごめん、誰だっけ」






彼女を齧歯類と思うことにした。