5月10日、新緑の東山、京セラ美術館に行ってきました。
地下鉄の蹴上(けあげ)で降りて、いつものねじりまんぽ。
京都の地下鉄は2路線しかありません。
烏丸線と東西線です。
電車内で東西線の路線図を見ながら、京都の地名も他に負けず劣らず難読だなあと
改めて思いました。
太秦天神川(うずまさてんじんがわ)
西大路御池(にしおおじおいけ)
二条(二条)
二条城前(にじょうじょうまえ)
烏丸御池(からすまおいけ)
京都市役所前(きょうとしやくしょまえ)
三条京阪(さんじょうけいはん)
東山(ひがしやま)
蹴上(けあげ)
御陵(みささぎ)
山科(やましな)
東野(ひがしの)
椥辻(なぎつじ)
小野(おの)
醍醐(だいご)
石田(いしだ)
六地蔵(ろくじぞう)
アザミの花咲く長閑なインクラインを歩きました。
ここは何度もブログでで取り上げてきた素敵な場所ですが、最近知った恐ろしい歴史について、真っ青な空と共にお伝えしたいと思います。
蹴上の地名の由来①
1174年、源義経(16歳)の一行は奥州平泉に向かう途中、道中の安全祈願をするため、山科の日ノ岡峠の日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)に立ち寄った後、日ノ岡峠の清水(現在の蹴上)で供の者との別れを惜しんでいた時のこと、平家の武者・関原輿市重治(せきはらよいちしげはる)と9人の従者が馬に乗って通りかかりました。
その時彼らの馬が水溜りの水を義経に蹴りかけ、義経の衣服を汚してしまいます。
平家の威光を笠に着て謝罪しようともせずに通り過ぎる一団に、首途(かどで)を汚された義経は激昂、九人全員を切り捨て、與市の耳と鼻を削ぎました。
悲劇のヒーロー源義経の闇の一面も語り継がれています。
蹴上の地名の由来②
この場所の東側、九条山には粟田口刑場という処刑場がありました。
粟田口は東海道から京の町への入り口にあたります。
往来の多い道で刑を執行するという見せしめの意味があり、江戸時代よりも前から処刑場として使われていました。
天王山の戦いに敗れて殺された明智光秀の遺体が晒されたり、キリシタンが処刑されるなど、年3回の公開処刑により約15000人もの人が処刑されたといいます。
だらだらと続く山の坂道、後ろ手に縛られた罪人たちを役人が後ろから蹴り上げて処刑場まで連れて行ったことから、蹴上という名前がついたと言われます。
源義経ついでにもう一つ京都の難読地名
天使突破
てんしつきぬけ と読みます
悲惨な歴史などどこにも感じさせない晴天の蹴上を歩きました。
暑い日でした。
一休みして疏水記念館を見学。
無料でマイボトルに冷えた飲料水を入れることができます。
酷暑の京都、近くにコンビニも無いし、有難いです。
長くなりましたので、京セラ美術館は次回に。