一年で一番忙しい4月が終わって、ゴールデンウィークが終わって、5月ももう10日を過ぎました。

ブログはまだ4月5日から進んでいませんが、さらに寄り道をして2023年3月12日の堀川沿いの写真です。

 

 

この日は二条城から歩いて、丸太町通から川底に降りました。

 

 

 

 

殺風景な景色ですが

 

 

こぶしの花がたくさん咲いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の向こう、鮮やかなピンクの花は河津桜です。

 

 

 

 

 

 

 

 

一条戻橋に2本の河津桜が植えられていて、そこだけ春爛漫

 

 

 

 

戻橋は平安京造営の際に堀川に架けられ、長い歴史の中で様々な伝説が残されているミステリースポットです。
仏教説話集「撰集抄」によると、平安時代中期(918)三善清行が亡くなった際に子の浄蔵がこの橋の上を通っていた棺にすがって悲しみ、神仏に祈願したところ、父清行が蘇生したという伝説から「戻橋」と名付けられたそうです。

 

 

「平家物語」では、源頼光(よりみつ)の部下で安倍晴明と同時期に活躍した平安中期の武将、渡辺綱(わたなべのつな)が夜中に戻橋のたもとを通りかかったところ、うずくまっていた美女に家まで送り届けるよう求められ、女が都の外に誘い出そうとして綱が応じたところ、女は鬼に姿を変えました。綱は頼光から拝領した名刀「髭切」で腕を切り落としました。

 

しかし、送る途中に女性は恐ろしい鬼へと姿を変え、渡辺綱の髻(もとどり:頭上で束ねた髪)を掴み上空へと連れ去ってしまいます。「北野天満宮」(京都市上京区)の上空に差し掛かったときに、渡辺綱は佩いていた髭切の太刀で鬼の腕を斬り落し、逃げることに成功。

鬼は斬られた腕もそのままに、住処にしている愛宕山に逃げ帰ってしまいます。残ったのは白い毛が隙間なく生い茂った、毛むくじゃらの腕だけでした。

 

腕を取り戻しに来た鬼

 

 

戦国時代になると橋のたもとは罪人をさらす場所となり、豊臣秀吉に切腹を命じられた千利休の首がさらされたのも戻橋とされる。さらに先の大戦では多くの出征兵と家族が、無事の帰還を願って戻橋を渡ったといい、近代になってもその神秘は変わらない。

 

 

戻橋

「あの世」と「この世」をつなぐ橋

 

 

 

 

地元の人たちによって美しく保たれている堀川。

でもビニール袋が引っかかっていますね。

 

 

今年ももうすぐ蛍の季節ですね。

 

 

現在の一条戻橋は1995年に架け替えられたもので、大正11年から平成7年まで実際に使われていた橋の欄干は、晴明神社に保存されています。

この後、晴明神社に行ったのですが、それはまた次の機会に。