第406回 きょうだいと結婚 | おおさんのブログ

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日々思っていることを徒然なるままに書いています。

今日は、とても重たい話をしようと思います。
嫌だなと思う方は、今のうちに引き返してください。

それぞれの立場によって、私が今から書くことは、その人たちを傷つけることになると思います。
一方で、その逆もあるかもしれないなと思い書くことにしました。

ここでも、何度か話してますが、私には自閉症の弟がいます。こうした人たちをきょうだい といいます。

「きょうだい児」を知っていますか? いつも「やままる」をご視聴いただきありがとうございます。 キャスタ...リンクNHK山形ポータル

きょうだいの全員が必ずしも、そうではないですが、ここにある何らかのことを経験しています。


私もそうだった。いや、今もかな。

ほんとに、このしんどさは、当事者以外でなかなか話しても分かってもらえない。仕方ないけど、そこがふと嫌になることもある。


それに加えて喧嘩というか、論をたたかわせることが苦手。なんとなく、討論番組が苦手で。チャンネル変えてしまう。喧嘩せず我慢することでしか不平不満をおさめてないから、争い事をおさめることや我が儘、駄々をこねる子が苦手。


弟とは対等な立場でないから、喧嘩にならない。こちらが折れる場面が圧倒的で。そのせいか、そういう周りに迷惑かけてまで自分の我を通す人の気持ちが分からないかな。そういう子を見ると、イラっとします。たぶん、自分のそうした記憶と無縁ではないです。仕事では、割りきりますが、しんどいときもある。


先日この記事を読んで(こちら)、私の結婚に対する気持ちに近いなあと思いました。


きょうだい会というきょうだいの集まりで出てくる話のひとつが、結婚です。いつカミングアウトするかですね。後は、親亡きあと、親との見解の相違などなど。


私自身も、小さい頃から結婚願望って、びっくりするぐらいなかった。遠い世界の話でしかなくて。結婚したい人の気持ちが理解できなかったですね。今、やっと結婚のよさが少し感じられるようになってきたかな。


詰んでいる。というのは、まさにです。


真面目で優しいお姉ちゃんを演じてきました。

まあ、そうしないと誉められませんし、周りがそれを求めてた。中学くらいまでが限界でしたが。


小さい頃から、「弟のことを理解してくれる人と結婚しないとね」とか「弟のこと一人で見るの大変なんだから、結婚しないと」と言われ大きくなってきた。


「私」ではないんですよね。当時○○君のお姉ちゃんって、よく呼ばれて、すごくそれが嫌でたまりませんでした。


現実問題、弟のことを理解してもらえない人との結婚は私の中ではない。


とはいえ、弟のために結婚しないといけないという言葉は、子供の私には重かった。


しんどくなって…考えた末に出した結論が「いっそのこと、結婚しなかったらいいんじゃないか」でした。

小学校の頃のことです。


理解してもらえない、人に頼るなんてとんでもないと思い詰めるくらい、当時の弟は大変でした。先生が複数で抑え込まないとじっとできませんでしたし、大声で叫ぶし。家のものは、どんどん壊れるし。


この結論を出さないと、つぶれてしまっていたでしょうね。


後、結婚という言葉から思い浮かぶこと。

初めて話すことですが。


従兄弟の結婚式。式前に祖母から電話があり、弟をつれてこないでくれ。というものでした。親戚に障害者がいることを知られたくないからと。これを言い出したのは従兄弟の父母にあたる伯父伯母で、でも自分たちがいいたくないから、祖母に頼んだとまあ卑怯な話です。うちの父が切れて、挨拶頼まれてたけど、ボイコットするかどうかまでいきました。


当時、私が大学生のことです。私も、普段そう怒ることはありませんが、あのときははらわたが煮えくり返る思いでした。私のことはいくら悪く言われてもまだあれですが、家族の悪口はほんまに腹が立つ。あまりに腹がたちすぎて、頭痛と歯痛がでたくらい。その電話を受けたの私だったので、余計です。


結婚式は、大人の対応で出ましたよ。父も挨拶しました。弟は留守番してもらいました。元々、電話がかかってこなくても、結婚式の長丁場がきついだろうと行く予定ではなかったんです。でも、そういうことがあったので、心からおめでとうという気持ちにはなれませんでしたが。シラーっとした感じ。


そこの親戚は元々そんな感じで。障害が分かった頃、母に対して「育て方が悪いから」って言うような親戚なんで。「うちで、しつけしなおすから」って言って、半ば無理矢理預けさせられたことがあって、普段、あまり親戚の悪口言わない母でもさすがに「あれは、嫌だった」と最近打ち明けてくれて。


ほんとに、いろいろあるんですよ。

これ、一部ですからね。


やっぱり、まだ許せてないなと改めて思う。

まあ、この一言は私に火をつけて「勉強して、見返して、育て方が悪いなんて言えなくしてやる!」と心に誓い、まあ一応それは叶いました。


というか、自分が誓ったことは、叶えているわけですよね。結婚してませんから。


後、子供産むの少し怖いかな。正直なところ。


これもきょうだい会で出てくる話で、怖かったという話は聞いたことがあります。


障害がないと分かるまで、ずっと不安で仕方なかった。少しでも、標準から外れると不安だった。


たぶん、私もそうなると思う。特別支援学校に勤めて、少しましにはなりましたが、障害者には、まだまだ生きにくいです。障害=個性という考えもありますが、私は障害は障害だと思っています。生まれるなら障害ない方がいいと思ってしまう。簡単ではないというのは、仕事を通して改めて思う。


本人もですが、家族も大変だから。

私の両親は、心中を考えたらしく、それを思うと、障害=個性とか、選ばれたという考えにはならず。


ずっーと、結婚しないと決めたことは、我ながら極端だったけど、そう決めたことは後悔してない。必要だったと思う。この先、好きな人ができて、子供が欲しいと思ったらするかもしれませんが。


でも、そのときそのときで一生懸命考えて出した答えだから、やっぱり後悔はないのかな。命のバトンを繋げないかもしれないのはご先祖様には申し訳ないですが。


そう決めてから、いろんなことがあって、私自身も、周りも変わって、もういいのかと思う自分もいたりする。といって、スイッチが簡単には切り替わらないですが。今さらですが。


結婚する、しないは別として、誰かのためも大事だけど、自分の幸せを大事にしようかなと思う。


結局のところ、その人の気持ちはその人のもの。


同情して欲しいわけでも、憐れんで欲しいわけでもない。こういう気持ちを持っているかもしれない、きょうだいがいるということを知って欲しい。

どうせ、分かってもらえないと思っても、そういう

思いがあることは言わないと分かってもらえませんからね。


また、どこかで話せたらと思います。

長文、読んでいただき、ありがとうございました。