実際にマキグソ💩を見た人は居ないと思う。だが、漫画やアニメでそういう表現を見るとほとんどの人が思う。「うんこだ」と、何故なのか。
おそらく経験によるものなのだと思う昔見た漫画で💩をうんことして扱っていたから次見ても脳が💩はうんこだと認識出来た。赤ちゃんが💩をみてもうんこだとは思わないだろう。
ただ、💩を見て臭さを想像できるかと言われれば出来ないと思う。なぜなら実際とは違うから。あくまで漫画のうんこを💩と認識しているわけだから匂いの情報はない。想像は出来るかもしれないがあくまで想像。結構リアルな描写だったら匂いも想像出来てしまう。それを避けての表現なのかもしれない。
さて本題だ。人間の認知には経験から来るものと、本能から来るものがあると私は考える。詳しく話そう。経験から来るものは先程の例のようなものだ。前例に則って認識する。実家を見る▶安心する、梅干しを見る▶ヨダレが出る、好きなアニメのOPを見る▶テンションが上がる、など。犬に呼び鈴鳴らしてエサをあげる実験みたいなものかもしれない(名前はわすれた)。そしてもうひとつが本能に訴えかけるもの。3大欲求が顕著かもしれない。異性の体▶興奮、美味しそうな飯▶腹が空く、など。あとはチェンソーマンで言う根源的恐怖もそうだろう。暗闇▶怖い、死▶怖い。
チェンソーマンでは根源的恐怖しかないが、根源的歓喜、根源的悲壮なんかも考えたら面白いかもしれない。
で、私が言いたいのはデザインが与える感性もふたつにわけられるのではないかという話。
少し時間を使いすぎてしまったので続きはまたの時間に。