人間、限られた命やし
過去も未来も現在有ればこそ
精一杯その日を生き抜いて
後悔せんようにとは思うけどなあ




     <解説>





今回、幕末の志士。
坂本龍馬楢崎龍の絆。
そして、夫婦になり傷ついた
龍馬、とお龍のエピソードに
焦点を当ててみた。

時は大政奉還の慶応。
徳川慶喜の時代。

龍馬暗殺前の龍馬とお龍。
三十代前半の坂本龍馬と二十代の
楢崎龍の恋物語そして結婚。

晩年
坂本龍馬  が旅に出る際。
妻・お龍に贈ったとされる短歌。

お龍、俺は又、旅に出る
お前と逢える日を楽しみに
それを目標(頼りに)に困難な
道なき道を歩んで行うと思う


並々ならぬ龍馬の覚悟が伺われる
自ら苦難、困難な国事の道を
を切り拓いて
日本の明るい未来を願いつつ

その中には、お龍という最愛の
妻の存在が龍馬の支えになっていた
のだろう


龍馬お龍(楢崎龍)

京都・伏見寺田屋の事件の後
手負いの龍馬お龍は鹿児島周辺の
温泉に新婚旅行を兼ねて
薩摩が用意した船で鹿児島へ向かった。
その船上で交わした言葉。


日本で最初に新婚旅行に行ったとされる
坂本龍馬とお龍。

龍馬にとって暫し国事を忘れて
お龍と過ごす旅路(新婚旅行)
それは至福の時であったであろう。

人並みの結婚生活が出来ない
お龍にとっても生涯忘れえぬ
思い出となったのではなかろうか。

この旅行から戻った龍馬は
京にもどり、お龍は下関の知人の家に
預けられます。

しかし、龍馬は大政奉還の実現に向け
京都で奔走する。
その合間にお龍宛に手紙を送るのでした。

その中に、京から長崎に向かう際には
必ず必ず下関にちょっとだけでも帰ります、
とあった。



慶応3(1867)10月
徳川慶喜は大政奉還し
龍馬の目指す新しい日本の姿は
目前に迫っていた


必ず下関に少しでもと
言い残し旅に出たその2カ月後、
お龍の元に、龍馬の護衛であった
三吉慎蔵が尋ねてきた。

慎蔵は、「申し訳ない、」と謝りながら
龍馬が暗殺された事を告げます。

黙って聞いていたお龍は、
聞き終わると仏壇の前に座り、
しばらく合掌した後、自分の髪を切り
白紙に包んで仏壇に供えた。

すると、突然、
わっと大泣きし始めたのでした。

今まで我慢に我慢して
泣いては女々しいと
耐えていたものが
龍馬生存中のいろいろが胸に浮かんできて
我慢がしきれなくなって
思わず泣き倒れたままでした。

時は流れ再婚したお龍は西村ツルと
名を変えて暮らしていた。




時は流れ海援隊の元隊士の息子が
お龍を探しあてて、談話した際の言葉。




龍馬亡き後、再婚したお龍。
最期は、龍馬の妻として墓に眠る。



皆さん。
どうかウィルス感染に
負けないでください。

いつも
あ、り、が、と、