源氏物語の和歌
みそひと文字
(三十一文字)

平安時代の歌と近代短歌(明治期)
平安貴族の歌の贈答には
今の世の携帯、ネット、郵便と
いった文化的な伝達の手段も無く
ましてや、Cafeとかレストランの類は
皆無であったろうと思われる

伝達手段はもっぱら和歌(短歌)
しかしながら近代に至って(明治期)は
その三十一文字も
和歌短歌その歌風は大きく異なる
限られた字数の中に込められた思(想)い
心と心の交流こそが唯一求められた

和歌の心は
「もののあはれ」
忍ぶる恋を歌う

和歌~短歌へ三十一文字の心と
その時折の詩(ポエム)
古代の恋愛と近代の恋愛の接し方
詠が歌になるを追い求めたい


*夕影   夕日・夕焼け
*屋戸   宿・家
     <解釈>

以前にも書いたように
男女の触れ合いが困難な時代の恋歌は
和歌>は
贈答者との交わり、調和を重んじている
一首一首に様々な余韻を残し
返歌、唱和
また付け合いを期待する
コミュニケーション重視の文芸と言える

短歌>は
近代のように多種な触れ合いの場が
男女の言葉の掛け合いをスムーズにしている
自分の内面を追求し、ともすれば
自分語りに終始しがちな
閉鎖的な文芸です

このように時代が変われば
アピールの内容もかなり違う
一文字の紡ぎが無限大に広がる








紫式部と夫・藤原宣孝の出会いと思われる
シーンの和歌。
*方違え(かたたがえ)
陰陽道で、天一神の移動に
伴う方角上の災厄忌避をいう
他所に就くことは男女の出会いの機会
(源氏物語 帚木巻)

この贈答場面も、
紫式部の父・藤原為時邸に
方違えにやってきた男性が、
為時の娘(姉妹)の
住む部屋に忍んできて
「なまおぼおぼしきこと」をしでかし、
事を遂げずに帰っていった。
紫式部には年の近い姉がある。
方違えの客に部屋を取られ同部屋に
寝ていたのでしょう。
姉妹の部屋に忍びこんできた男性は
二人いた女にたじろいで
「なまおぼおぼしき」振舞いのまま
そしらぬ顔で部屋を出て行ってしまう。
この時の男性こそ、後の紫式部の夫
藤原宣孝であったとされる。

源氏物語・空蝉巻に生かされた
エピソード





確かなこと
毎日が確かに動いている
ということ

確かなこと
時が刻むように
人生も刻まれている
ということ

確かなこと
それは生きているということ
空を見て、風を感じて
大地を歩く
自然に触れ
花を愛で物に触れる
こよなく人を愛せることが
確かなこと

箸をにぎり
ペンをにぎり
スプーンやフォークをにぎる
お米やパンを食し
旬の食材をいただく
温かい味噌汁やスープを飲み干し
火傷したり
確かなことだ

生きとし生けるもの
生あるかぎり
母親の血が母乳に変わるように
奇跡で生かされ

確かなことは今、呼吸をしていること
わがままをたくさん言えること
あなたと繋がっているということ
だから君の命が愛おしい

壱や。


耳に入った音楽は
脳の様々な領域で処理される

楽しい
悲しい
嬉しい
それまで無表情の顔の印象が変わる


そこには気づき(反応)を示す
理解する
実際に体験する
この二種の感情があるということ
そこに確かなことがある
さあ。情緒を磨こう