Garfieldのスポーツ・カレイドスコープ

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ブログ野球(特にMLB)、アメフト、サッカー、自転車ロードレース、ヨット等、様々なスポーツを愛する著者、Garfieldが、多様な視点から、気ままに、時に、へそ曲がりに綴る、スポーツブログ

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新国立競技場の建設計画が全面的に見直されることになった。

幻の?新国立競技場

コンペ時の予算が1300億円、2014年5月の基本設計時点で1625億円、そして、施工を行うに当たっての最終的な見積もりで2520億円。
まずもって、この予算管理は杜撰としか言いようがなく、責任の追及がされてしかるべきだという点に議論の余地はない。


仕事においては、次々と変化しいていく状況に対応し、「走りながら考える」ことも重要だが、プロジェクトの推進やシステムの設計においては、当初段階で、「じっくり立ち止まって考え、見据える」ということに重きをおかなくてはならない。
当初段階で、基本要件に合うのか、根本的に計画の推進を阻む重大な問題がないか、等の確認には、十分な時間をかけなくてはならない。
今回で言えば、最初の段階で、デザインの選考と費用見積もり等のチェックを別にしたことは、根本的に計画の推進を阻む重大な問題がないかを確認する作業を怠ったと言える。

ただ、こうした仕事の進め方も大いに問題だが、新国立競技場をめぐる問題の本質は、もっと別のところにあったのではないかと思う。

一連の事態の進行において、建設計画の続行を訴える主張がいくつか聞かれたが、それらは、「2019年のラグビー・ワールド・カップ、2020年の東京オリンピックに間に合わなくなる」、「国際的に発表してしまっている」等の、さしずめ、背理法的に、「推進するしかない」という結論を導出しようとするものばかりで、計画に込められたコンセプトや哲学等を訴え、煮詰められた施設として、積極的に推進を主張するものはなかった

このことをどう理解するか?
それは、基本要件や設計コンセプトに「魂が込められていなかった」ということではないだろうか?

旧国立競技場は約50年間使用した。
新国立競技場も50年、建設技術の進歩を考えれば、70年、80年という使用期間も見込まれる。そう考えれば、当初計画段階で、どれだけ魂込めても、魂込め過ぎということはないだろう。
健常者・障害者を問わずエリート・スポーツの大会を開催する会場としては勿論、市民レベルのスポーツの振興のための施設として、スポーツ文化を高めていくために、どういう施設であるべきか、本当に突き詰められたものであるべきであろう。

旧国立競技場の運営は、1958年に設置された特殊法人「国立競技場」が行っていた。
同組織は、1986年に日本学校健康会と統合し日本体育・学校健康センターとなり、2003年に現在の日本スポーツ振興センター(JSC)となった。

今回、新国立競技場の建設に当たって、運営者となるJSCから、そうした、魂込めた設計コンセプトの主張は聞かれなかった。
問題の本質はそこにあったのではないだろうか?

そうした熟慮の不足と考えられる例を一つ挙げれば、多くの人が指摘していることだが、陸上競技のためのサブ・トラックが常設のものではなく、仮設のもので、オリンピックが終われば、撤去される予定であったことがある。
それでは、その後、新国立競技場で、国際的な陸上競技大会の開催はおろか、国体やインターハイなどすら開けない。これが、本当に、スポーツ文化を高めるための施設として熟慮を重ねて出した設計であったと言えるだろうか?

こうしたスポーツ施設としての設計に基本的な手落ちがある一方で、運営費の獲得の観点から、コンサート等のイベント開催を視野に入れ、そのためには、天候に左右されない施設とすべく、開閉式屋根の設置が設計要件に盛り込まれた。
しかし、開閉式屋根の設置は、芝の安定的な育成を困難にすると、大分銀行ドーム、ノエビアスタジアム神戸、豊田スタジアム等の実例を挙げながら、多くの専門家が問題を指摘していた。
このように、スポーツ施設としての機能を侵食するような機能の敷設が、スポーツ文化を高めるための施設として考え抜いた結果だとは言い難い。

建設計画の全面見直しの発表を受けて、マスコミでは、日程や、コンペの方式などばかりが取りざたされている。
しかし、何よりも大切なことは、新国立競技場が、スポーツ文化を高めるための施設としてどうあるべきかを突き詰めていく体制をしっかりと整え、同じ失敗をしないようにすることではないだろうか?
そのためには、まずは、新国立競技場の運営主体となるJSCのトップに、50年を超えるであろう新国立競技場の使用期間を見据えた、しっかりとした、設計コンセプトの策定を任せられるだけの見識のある人物を据えることが必要であろう。

2012年のオリンピックが行われたロンドンでは、オリンピックのために建設されたオリンピック・スタジアムに加えて、サッカー・イングランド代表のホーム・スタジアムであるウェンブリー・スタジアム、ラグビー専用競技場であるトゥイッケナム・スタジアムがある。後者2施設は、FIFAがワールド・カップ開催の要件とする8万人レベルの収容能力を持つスタジアムである。
そうしたことも踏まえて、オリンピック・スタジアムは、オリンピック開催時は8万人の収容能力が備えるものの、その後、収容能力を6万人に縮小する計画が立てられた。

東京の場合、そうした棲み分けのできる施設はなく、より多くの要件を満たす形の施設とすることが求められそうであり、設計コンセプトの策定には、かなりの困難が伴うと思われる。

それでも、スポーツ施設としての機能に集中し、設計コンセプトを煮詰めてほしい。
単純に、費用が抑えられればそれでよいというものではない。「安かろう、悪かろう」ではダメなのだ。
魂込めた、意味のある施設が作られることを切に願う!