くだらないことだが、こんなエピソードをはっきり記憶している。


私には弟が1人いるが、弟は生まれたばかりのころは病弱で、入退院を繰り返すような子供だった。

私は親戚の家や保育所に預けられて過ごす事も多かった。


保育所に預けられた時のこと、夜ご飯に「カレー丼」が出た。

おいしくておかわりしたかったのだけれど、『おかわり』と言えなかった。

なぜだかは判らない。


親戚の家に預けられた時も、伯父さん伯母さんが気を遣ってくれて、すき焼きなど子供が好きそうな豪勢な食事を用意してくれたけれど、ほとんど食べられなかった。

本当は食べたかったのに。


やがて弟も元気になり、普通の子供と同じように生活が出来るようになったけれど、私は幼稚園制ぐらいの時にすでに欲しい物を欲しい、と言えない自分に気づいた。


おねだりして説得されて手に入らないならば、物欲は残るけれど納得はできるかもしれない。


私はおねだりそれ自体ができない子供だった。

周りが気づいてくれるのを待ってしまう自分がいた。

母親を知らずに育った私の母、しかも流行り物などにはとんと疎い母には、言わなければ分かるはずがないのに。


私が小学生の時はリカちゃん人形やシルバニアファミリーが流行ったけれど、これらも手に入れることはできなかった。

決して家が貧乏していたということはなく、むしろ裕福な家庭だったと思う。

必要なお金を出してもらえなかったり、お金のことで恥ずかしい思いをしたことはない。


どうして、言えなくなってしまったのかな。


本に書いてあったことを鵜呑みにするわけではないけれど、このあたりに摂食障害の原因も潜んでいるような気がする。


だからといって、親の教育が間違っていたとか愛情が足りなかったとか、そんな風には思いたくない。思えない。

両親には感謝している。