私たちが神の御言葉を読み終わった時、ピーター兄弟はこう言って交流を続けました、「神の御言葉から、各時代において神がお使いになる御名には、それぞれ独自の意味があるということが理解できます。律法の時代に、神はヤ―ウェという御名をお使いになりました。それには、神がその時代に権威、怒り、呪い、そして憐みの性質を表されたということを象徴していました。神はヤ―ウェという御名で律法の時代に働きを開始されました。神は律法と戒めを発布され、新しく創造された人類に地上での生活の仕方を教えられました。ヤ―ウェの律法に従った者たちは神の祝福と恵みを受け、律法に違反した者たちは石で撃ち殺される、もしくは火で焼き殺されてしまいました。律法の下で、イスラエルの民は、ヤ―ウェ神の性質が不可侵であることを知り、彼らは律法を厳守してヤ―ウェの御名を聖なるものとみなしました。ヤ―ウェ神の導きの下で、人々は数千年にも渡って普通の規則正しい生活を送りました。律法の時代末期になると、人類はサタンによって極めて深刻に堕落させられてしまい、神の律法と戒めを守ることができなくなっていました。そして、彼らは自分たちの罪を償うに十分な罪の捧げものを持っていなかったため、律法によって有罪とされて処刑にされてしまう危険に直面していました。これ故に、神は人類を救うためにイエスという御名を使って贖いの働きをされたのです。神は愛と慈しみの性質を表されました。神は人間に無限の恵みをお与えくださり、最終的には人間をサタンから救うために十字架に磔にされました。それ以降、主を信仰した人々は主の御名によって祈りを捧げ始め、神の許しと無限の恵みを受けるようになったのです。’イエス’ という御名は恵みの時代の人々が生まれ変わり、救われることを可能とするために存在したのです。’イエス’ という御名は、神の贖いの働きと、神の愛と慈しみの性質を象徴しています。私たちは主イエス様によって救われたものの、私たちが持つサタンのような性質は依然として私たちの内に深く根を張ったままであり、いつでも私たちが罪を犯し、神に抵抗するよう私たちを操っているのです。神は私たちを罪から完全に救い出すために、全能神という御名で裁きと刑罰の働きをなされました。神は心から神を信仰し、真理を切望する人たちを完全に変え、清め、そして罪から救い出し、彼らが最初神に創造された時のような人間らしさを取り戻せるようにしてくださるのです。同時に、神は真理を嫌い軽蔑して神に抵抗する人たち全員を明らかにし、人類をそれぞれの種類によって分別し、善良な人たちを報い、邪悪な人たちを罰し、そして人類を救う六千年の経営計画の働きを完結されるのです。これ故に、神は終わりの日に義、威厳、怒り、そして不可侵の性質をもってその御姿を人間にお見せになります。神は人間に神が元々お持ちの性質、そして神が有する全てと神そのものをお見せになります。すると、神は万物を創造されただけでなく、万物を支配されてもいるということを私たちは知るのです。神は人間のために罪の捧げものになるだけでなく、人間を完全にし、変え、そして清めることもおできになります。神は最初であり、最後なのです。神の不思議さや御業を完全に理解できる人はいません。神が終わりの日に ‘全能神’ という御名をお使いになることには、こういった意味合いがあるのです。人類を救うための経営計画の実施中、神は新しい御名で新しい時代を始め、その時代を完結されます。主イエス様が再臨される時も依然としてイエスと呼ばれるのであれば、人類を救う神の経営計画は恵みの時代に留まることになり、前進することができなくなります。そして、私たちは永遠と罪の中に生き、清めることも、天国に入ることも出来なくなってしまうでしょう。」

ピーター兄弟は論理的に話し、その根拠を証拠で裏付けました。神は異なる時代に異なる御名で異なる働きをされ、神の御名はそれぞれがその時代における神の働きと、神がその時代にお見せになる性質を象徴しているのです。これこそが、神が各時代において異なる御名をお使いになる理由です。この時、私は少しながらこの真理に目覚め、「わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」 、という節は、神の贖いの働きを受け入れて、主の御名を呼びさえすれば、私たちは救われるということを意味していることに気が付いたのです。しかし、救われるというのは人の罪が許されるということだけを意味するため、イエスという御名にいつまでもこだわっていたら、私たちは永遠に恵みの時代に居留まることになり、私たちの堕落した性質が変えられなければ、神に清められ、救われることもないのです。結局、私たちは天国に入ることができません。
私はすかさず応えました。「その通りです!アーメン!兄弟、あなたの交流のおかげで、私はこれを理解することができました。これでもう、神の御名が変わる理由について困惑することはありません。私は何十年も主を信仰してきましたが、このような真理を聞いたことは一度もありませんでした。私の牧師たちは主の御名を掲げるようにとは言いますが、神の御名がどこからきて、それにどういった意味合いがあるかを理解させてくれる牧師はいませんでした。全能神の御言葉は神の御名に関する奥義を明らかにしてくださりました。神は元々御名を持っておられず、神の働きの必要性に応じて異なる時代に異なる御名で呼ばれていたのです。各御名はその時代における神の働きと、その時代に神がお見せになる性質を象徴しているのです。これは有意義なことで、人々が定められることではないのです。これで、私は主イエス様が本当に再臨されており、主が全能神であることを確信しました!だから、私は終わりの日の全能神の働きを受け入れます!」
私たちは神の新たな御名によって祈る場合に限り、聖霊の働きを得ることができます
ある集会が終わった後、ピーター兄弟は、全能神の御名によって祈るべきだと私に言いました。しかし、私は何十年にも渡って主イエス様の御名によって祈りを捧げていたので、神の新たな御名によって祈ることに気まずさを感じていました。なので、私は自分の本当の状態をピーター兄弟に打ち明けました。
ピーター兄弟は言いました。「姉妹、私も全能神の御名で祈り始めた時は同じことを考えていました。でも、神の御言葉のある節を見つけて、考えが変わったんですよ。その節をあなたに読んで差し上げますよ。全能神はこう仰りました。『聖霊の働きは日毎に変化し、段階毎に高まっている。明日の啓示は今日よりも高く、段階が進むにつれてさらに高まる。これが神が人間を完全にする働きである。人がこれに付いて行けないのであれば、いつでも取り残されうる。人間が従順な心でいなければ、最後まで従うことはできない。これまでの時代は過ぎ去った。今は新しい時代である。新しい時代には新しい働きがされなければならない。とりわけ、人間が完全にされる最後の時代になると、神はそれまでになく素早く新しい働きをする。それゆえ、人が従順な心を持たないならば、神の足跡を辿ることを困難と感じる。』神の御言葉から、真の心をもって神と神の最新の働きに従う人たちのみが聖霊の働きを得て、神に完全にしていただくことができ、心から神に従わず、保守的でいる人たちは聖霊の働きと導きを得ることができず、まして神に完全にしていただくのはなおさらのことだと、私は理解しました。今、神は恵みの時代を完結され、全能神の御名をもって神の国の時代を迎え入れられます。聖霊の働きも終わりの日の神の働きを支えるために移行されました。全能神の働きを受け入れて、それに従い、そして全能神の御名によって心から祈る人たちは聖霊の働きと導きを授かり、聖霊の働きの喜びを得ることができます。しかし、全能神の働きを受け入れない、または全能神の御名で祈りを捧げない人たちは聖霊の働きと導きを受けることができません。神がイエスという御名で働きをするために受肉された時も同じで、聖霊の働きは恵みの時代の働きを支えるために移行されました。主イエス様の御名に祈り、その御名を呼んでさえいれば、私たちは聖霊の働きを受けて、主がお与えくださる恵み、平安、幸福を受けることができたのです。同時に、律法を守り続けて主の御名を受け入れなかった人たちは聖霊の働きを失い、闇の中に生きて、神から捨てられてしまいました。私はこれに気が付いた後、神の新たな御名、全能神によって祈りを捧げました。私は真理を理解できない時は、全能神の御名に祈り、全能神の御心を求めます。そして、神の御言葉を読んでいると、私の心は全てが突然明確になったような感じを受け、私は神の御旨を理解し、平安と幸せを感じます。なので、聖霊の働きを受けたいのであれば、私たちは心から神の新たな働きを受け入れ、それに従い、神の新たな御名によって祈りを捧げなければならないのです。こうすることでのみ、私たちは神の働きの歩みについて行き、神の救いを受けることができるのです。」
神の御言葉とピーター兄弟の交流を聞いた後、私はこのように理解しました。「一旦神の新たな働きが始まると、主イエス様が新たな働きをしに来臨された時と同じように、聖霊の働きも新たな働きに移行されます。これ故に、主イエス様の働きを受け入れて、主の御名を呼んだ人たちは聖霊から個別の導きと備えを受けることができたのです。主の御名を受け入れなかった人たちは聖霊の新たな働きについて行けず、聖霊によって排斥され、排除されてしまいました。これと同様に、神は今、新たな時代を開始されて、新たな御名をお持ちになられたので、私は躊躇せずにそれを受け入れ、それに従う必要があるのです。私たちは神の新たな御名によって祈りを捧げてのみ、聖霊の働きを受けることができます。私は神の御言葉に従って振る舞い、保守的になってはならないのです。」
神に感謝です。私は自分の観点を変えて、全能神の御名によって祈りを捧げた時、心の中が落ち着き、安心感を得て、祈りを捧げれば捧げるほど、私の神との関係は増々親密になっていきました。同時に、宗教界が荒廃し、信者たちが集会で何の喜びも得られないのは、彼らが神の新たな働きに従わずに、神の過去の御名、御言葉、働きに固執しているがために、彼らの魂が闇の中にあり、彼らが歩む道を失っていることが理由であると、私は理解しました。私はこれに気が付いた後、私が神の御声を聞いて、神の御前に立ち返れるようにしてくださった神の救いを更にありがたく思いました。
今日、終わりの日の全能神の働きを受け入れてから半年以上が経ちましたが、私は教会生活を送り、神の御言葉を読み、自分の個人的な認識と体験を兄弟姉妹たちと共有しました。そして、私はこの半年間で、過去数十年に渡る主への信仰の中で得たものよりも多くを得ることができました。そして、私は神のいのちの水の流れと備えの恵みを心から喜びました。神に感謝です!
【編集者メモ】兄弟姉妹の皆さん、時代が変わった今、神の働きが神の御名と共に変わりました。スエラン姉妹は神の新たな働きを受け入れ、神の新たな御名によって祈りを捧げています。彼女は神の歩みに従い、新たな時代に進み、聖霊の働きと導きを授かりました。彼女は心の麗しさを楽しみ、彼女の霊的状態は変化を遂げました。あなたもこのような体験をしたいと思いませんか?