はじめまして!


2年半前に始まったアメリカ南部での留学生活も、


今年で最後となりました。


それで、私を受け入れてくれた南部を


ここで紹介していきたいと思います。


たまたま読んでくれた人が南部に興味を持ってくれたら嬉しいです!




でも「南部」と言われてどこのことだか分かりますか?


きっとどこのことか分からない方がほとんどだと思います。


だから今日は「アメリカ南部とは?」ということにつて書きたいと思います。



日本でも、本州だけでも関東とか近畿とか大きく地域を分けて呼ぶように、


アメリカでも全土を東部、西部、中西部、南部の


4つの地域に分けて呼ぶことがあります。






americamaps






名前と地理的位置が微妙にずれていて分かりにくいと思いませんか?


私は思いました。


昔は今の西部に当たる部分がまだアメリカ合衆国ではなかったので、


現在の西部を抜かした領域の中で、


東部、西部、南部と地域を分けていました。


その時は今の中西部が西部と呼ばれていました。


でも西に領土を拡大して、西部よりもさらに「西部」ができてしまって、


アメリカの人は困ってしまいました。


そこでそれまでの西部を中西部と呼ぶことにして、


新たに西に獲得した領域を西部と呼ぶことにしたのだそうです。



でもアメリカの人が「南部」と言った場合、


そこには地理的に南にある地域、という以上にもっと深い意味があります。


南部とは、南北戦争時代、奴隷制を支持し、


南部連合として連邦政府と戦った12州を指します。



南北戦争というのは、19世紀の半ばにアメリカで起こった


国土を二分する内戦です。


当時、アメリカにはアフリカから人を輸入して、


アフリカ人とその子孫を奴隷として働かせる


「奴隷制」というものがありました。


色々な理由があって、連邦政府(アメリカ合衆国政府のこと)は


奴隷制廃止を主張し、


工業化が進んでいた北側の諸州はこれに同意します。


しかし、主な産業はもっぱら農業であり、


奴隷制による安い労働力に経済を頼っていた南側の諸州は


奴隷制廃止に強く反対し、アメリカ合衆国から独立して


「南部連合国」を作ろうとします。


これが南北戦争です。



南部は戦争に負けて、奴隷制は廃止されました。


そして奴隷制に頼り切っていた南部は経済が崩壊し、


没落の一途をたどることとなりました。



南部はこの戦争から、多くの負い目を背負うことになりました。


奴隷制は南部だけでなくもともと全土的なものでしたが、


南部だけが奴隷制の責任を負っているように思われているのは、


南北戦争で奴隷制を支持した、ということが


大きいのではないかと思います。



また、南部の方がはるかに大規模な奴隷使用が行われていた


ということもあります。


北部では奴隷は家の使用人や、畑の手伝いとして、


一家庭に一人か二人が使用されているだけでしたが、


南部のプランテーションと呼ばれる、綿花や米などの広大な農場では、


何十人もの奴隷が日の出から日没まで働かされていました。


よく、南部は今も貴族的雰囲気が残る、と言われ、


それは南部の魅力の一つでもありますが、


この貴族的雰囲気は、「奴隷を使用した白人特権階級の生活」


を前提としているので、手放しで賞賛するようなものではありません。



奴隷制が廃止された後も人種差別が根強く残った、


そして今でも残っている、のも南部です。


南北戦争で北部は奴隷制廃止を主張したので、


北部はずっと人種差別に対する意識が高かったのか、


と勘違いしてしまう人もいるかもしれませんが、


それとこれとは別問題です。人種差別は全土的にありました。


でも南部にいつまでも残ったのは、


北部が新しい時代の発展とともに、


あらゆる人々、あらゆる状況を受け入れなければ


やっていけなかったのに対して、


南部は経済的に後退し、過去にとらわれ、発展から取り残されて


閉鎖的な地域となったからだと思います。



このように、アメリカの人が「南部」と言った時、


地理的以上に深い意味がそこにはあります。


「南部」に対して「北部」と言ったとき、東部と中西部(西部も?)をまとめて、


「南部以外」という意味で使ったりしますが、「南部」と言ったときは、


南部連合として戦ったこの12州以外にはありえません。