昭和33年3月31日、売春防止法の施行によりおよそ四百年余つづいた公娼制度の歴史の幕が閉じました。日活映画で当時の女郎さんたちを描いた作品があるので、興味ある人はTSUTAYAにでも行って借りて下さい。地図上に載っていた赤線と青線も消えました。

しかし、人類最古の職業がなくなるわけありません。


蒲田地区の赤線は、京急蒲田駅西側の呑川沿いにありました。青線は、街並みからの推定ですが、JR蒲田駅西口と東急池上線蓮沼駅の間、今NHK、ジャニーズが大好きならば、ケツHK(笑)、の朝ドラ、梅毒先生のモデルとなった南雲産婦人科の跡より、西側にあったと思います。

地元民は、立ち入らないディープなエリアです。新宿ゴールデン街(元青線)と同様な街並みになっています。蒲田は、サラリーマンや職人さんが自分のこずかいで遊べる街、安く遊べる街ですが、危険なところもあります。NHKで、間違った形で報道され、田舎から出てきた人が怖い目にあって、蒲田は危険な恐ろしい街だと誤解されては地元としては困ります。


京急蒲田駅から北の方に、梅屋敷、大森町、平和島、大森海岸と駅が続いています。梅屋敷には、南雲先生が、卒業された帝国女子医専、今の東邦医大があります。今のJR大森駅は大森の中心ではなく、京急線の大森海岸駅がそもそもの大森の中心でした。大森海岸駅の駅前に、ソープランド大森海岸、いうお店があります。あと、ラブホテル街もあります。


昔の赤線、青線が、ソープランド街、ラブホテル街、飲み屋街の変貌しました。新宿の赤線青線は飲み屋街に、吉原、川崎の赤線青線はソープランド街に、蒲田の赤線、青線は、飲み屋、ラブホテル街に変貌し、デリバリー風俗、ホテトル、マントルの街に変わりました。


特筆すべきは、大森海岸がソープランド発生の地だということです。ソープランドがお好きな方は是非、ソープランド大森海岸へ一度は行って下さい。昔ながらの遊郭が一瞬にしてトルコ風呂、トルコ共和国の抗議により名称をソープランドに変更、になったわけではありません。大森海岸の誰かがスペシャルなるものを考案し、それが全国に普及したのであります。人類史を画する発明といっても過言ではないと思います。


蒲田は、川渡った川崎に堀之内、南町とソープランド街がふたつもあるせいか、ソープランドは発達しませんでした。川崎には、ソープランドはいっぱいありますが、ラブホは少ししかありません。蒲田は、ピンサロが発達しました。ラブホテルはいっぱいあります。昔は、電話BOXには風俗店の案内書がいっぱい貼ってありましたが、インターネット、携帯の発達によりずっと少なくなりましたが、風俗店は健在です。