◎自己肯定感とは




こんにちは🍍

今回は、自己肯定感について書きたいと思います。


ふと友人に自己肯定感高いってなんだと思う?と聞かれたのでその答えを。





○自己肯定感(wikipedia参照)

自分自身を肯定的に認める感覚。

自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉である。しかし、定まった定義はなく、他の類似概念との弁別も充分とは言えない。

自尊心や自己受容とも違いがある。





私は自己肯定感が高いと周りに言われますが、もともと高かったわけではありません。

元々は地面を突き抜けて地底とマントルを通り越してブラジルぐらいも通過してもはや太陽に突き刺さって燃えるぐらいに低かったのです。🇯🇵→🌏→🇧🇷→☀️→🔥

科学的には様々間違ってます笑



〜幼稚園、小学校低学年頃まで、母が他の子を『○○ちゃんかわいいね〜!』と言おうもんなら、『私は可愛くないのね!怒』というタイプでした。

もう何でもかんでも、母が別の子のお洋服や髪型を褒めたり自分が失敗したら、死んだ方がマシ!もう何もやらない!私が可愛くないのね!もう何もできないもん!😠⚡️☄️🔥でした笑



その度に、母は『○○ちゃんかわいいって言ったけど、それよりも大前提として(私)が誰よりも何よりも宇宙で1番可愛いくて大好きなんだよ。(ハグ)今日たまたま○○ちゃんがちょっとだけ🤏かわいい髪型だっただけだよ。』と言ってくれました。



つまり、

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長いから省略(これでも足りない)

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ということを幼いながらに理解していきました。



まあ、いつ話してもこれは母が粘り強かったおかげだなと思います。

芯まで染み渡ってわかりきるまでこれを繰り返し続けてくれたからです。



例えるなら、

千と千尋の湯屋♨️でオクサレ様🤢になってしまった

河の神様からゴミを取り出すときに、湯婆婆を先頭に総出で応援する勢いです。🪭

下からなんとか煽いて煽いで、持ち上げて引っ張り上げての繰り返しです。(×♾️)





これを事あるごとに繰り返してもらっている+

幸い成長に伴って考える力がついていき、何かあると、

私≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫何か

ということを思い出します。



そして成長の過程で

これの思考の流れは、何かや誰かと自分を比較したり

自分を不必要に持ち上げたり相手を下げたりしている

ということに気がついていきました。


ずっと対象との比較にとらわれているのは問題ですが、

大人になるにつれて様々な情報や人との関わりの中で

対象ではない、比べるものではない、と分かるところ

まできて『存在に価値がある』とか『無条件の愛』を体感として理解できるようになりました。

※個人的にこれを伝える、その人が分かるように説明することが何より難しいと感じています🌚




これが深化していき、『自分自身の存在を肯定的に認識する感覚』になった気がします。

そして、これを気持ちが落ち込んだ時に瞬時に思い出し

繰り返す!🔁×♾️=✨

ここ1番大事です☝️

個人的にこの過程を思い出すスピードと繰り返すスピードが速い方が所謂『自己肯定感高い』と周りから思われる方ではないかと思っています。


途中、比較や無条件についての証明(数学的)を省略していますが、おおまかな流れはこんな感じです。




続く、、、🔜