見捨てないでくれて ありがとう
久々更新です
避難生活も だいぶ慣れてはきたものの
やはり いつも心
のどこかで思う
「福島に 帰りたい・・・
」
毎週 旦那は会いに来て 子供たちと いっ―――ぱい 遊んでくれます
でも 日曜の夜に 訪れる
別れの時
子供たちが 名残惜しそうに いつまでも見送る姿は
一番 悲しくなる時です![]()
子供たちも 涙
こそは見せないけれど
寂しい思いは 伝わってきます
でもやはり
線量計を持って 福島を歩くと
「まだ 帰れない・・・
」
と思う
家の前は 0.5μ
庭の芝生は 1.0μ
家の中は 0.1~0.3μ
自分の中の基準値は みんなそれぞれだけど
どうしても私は 0.2μ(通常の4倍)以上を 低いと思えないのです
もう少し・・・ もう少し 下がってほしい![]()
早く 庭を除染したいけど 保管場所無し
被爆検査すら まだ順番が 回ってきません
何にも 手付かずなのです
でも 月日とともに 世間から 忘れられていくような・・・
福島を 疎外され 見捨てられていくような・・・
そんな 被害妄想的な 気持ちになります![]()
そんな中 今日の大イベント![]()
「嵐のワクワク学校 福島」 は 福島中が 心から喜んでいると思います
来てくれる嬉しさ
開催してくれた ありがたさ
何より
福島を 見捨てないでくれて ありがとう
校歌 「ふるさと」 を聞いたら 号泣してしまう
気にかけてもらえるだけで 本当に嬉しい
苦しみを 聞いてもられるだけで 本当に嬉しい
寄り添ってもられるだけで 本当に嬉しい
ありがとう ありがとう
本当に ありがとう![]()
60万円
今年初めて経験した、雪国の生活


かなりハードでした
朝起きて雪かき
仕事終わりに雪かき
帰宅して雪かき
一日何回やるんだぁ
そしてキレイさっぱりさせた場所に、
除雪車がたんまりと積んでいく…
何度心折れたでしょう
でも、もうすぐ春
……ん
次は花粉だ
自主避難者に、子供一人につき、
60万円の賠償金が支払われることになった
県外の人は言う…
「すごいね
」
「よかったね
」
60万円
大金だ
一日3~4時間のパート勤めの私には、年収くらいある
しかも、我が家は3人
超大金だ

でも、嬉しさ、喜びが無いのは何故だろう
「虚しさ」が1番
一体その60万円は、将来子供が病気になったときに使うお金か
甲状せん癌、白血病、心臓病、流産、奇形、遺伝子由来の病気…
何が起こってもおかしくない。
それだけの危険と不安を抱え、今なお福島に住む方たちよりも、
安全な場所に避難して行った人のほうが
賠償金が高いのは、何故なのだろう
避難した人のほとんどは、二重生活を送り、
経済的に非常に大変だ
家族はバラバラになり、精神的にもきつい生活をしてる。
福島に残る人も、少しでも被曝を避けるため、
休みの日は県外に出たり、家やその周辺の除染を自費でしたり、
食生活にも気を使ったり、
学校生活にも大きな負担を受けている。
みんな同じなのだ。
それなのに、福島に残った子供は40万円で、
避難した子供が60万円。
この差は何だろう
この一年、みんなどれだけ不自由な生活を強いられたことか。
そして今後も何十年と続くのだ
一年経った今も、
自宅の除染を完了してる家なんて、
全くに等しいほど無い
優先順位があるし、
除染したものを置く場所が無い。
自分たちで重機を操り、庭や屋根をやるのは難しい。
何も始まっていないのだ。
何も変わっていないのだ。
変わったのは、私たちの生活。
「よかったね
」なんて言われると、少し怒りすら覚える。
そう言うのが身内だったりするから、ますます悲しくなる。
お金もらえたら、自分の子供を被曝させられますか
何が「よかった」のだろう
事故直後、20μシーベルト毎時以上も被曝した私たち。
お金よりも、平和だった日々、空気、土、水を返してほしい…



かなりハードでした

朝起きて雪かき

仕事終わりに雪かき

帰宅して雪かき

一日何回やるんだぁ

そしてキレイさっぱりさせた場所に、
除雪車がたんまりと積んでいく…
何度心折れたでしょう

でも、もうすぐ春

……ん
次は花粉だ
自主避難者に、子供一人につき、
60万円の賠償金が支払われることになった

県外の人は言う…
「すごいね
」「よかったね
」60万円

大金だ

一日3~4時間のパート勤めの私には、年収くらいある

しかも、我が家は3人
超大金だ


でも、嬉しさ、喜びが無いのは何故だろう
「虚しさ」が1番
一体その60万円は、将来子供が病気になったときに使うお金か
甲状せん癌、白血病、心臓病、流産、奇形、遺伝子由来の病気…
何が起こってもおかしくない。
それだけの危険と不安を抱え、今なお福島に住む方たちよりも、
安全な場所に避難して行った人のほうが
賠償金が高いのは、何故なのだろう
避難した人のほとんどは、二重生活を送り、
経済的に非常に大変だ

家族はバラバラになり、精神的にもきつい生活をしてる。
福島に残る人も、少しでも被曝を避けるため、
休みの日は県外に出たり、家やその周辺の除染を自費でしたり、
食生活にも気を使ったり、
学校生活にも大きな負担を受けている。
みんな同じなのだ。
それなのに、福島に残った子供は40万円で、
避難した子供が60万円。
この差は何だろう
この一年、みんなどれだけ不自由な生活を強いられたことか。
そして今後も何十年と続くのだ

一年経った今も、
自宅の除染を完了してる家なんて、
全くに等しいほど無い

優先順位があるし、
除染したものを置く場所が無い。
自分たちで重機を操り、庭や屋根をやるのは難しい。
何も始まっていないのだ。
何も変わっていないのだ。
変わったのは、私たちの生活。
「よかったね
」なんて言われると、少し怒りすら覚える。そう言うのが身内だったりするから、ますます悲しくなる。
お金もらえたら、自分の子供を被曝させられますか
何が「よかった」のだろう
事故直後、20μシーベルト毎時以上も被曝した私たち。
お金よりも、平和だった日々、空気、土、水を返してほしい…
帰りたい
今朝 何気なくテレビを付けると
『スッキリ
』で 福島の今 をやっていた
涙が止まらなかった
自主避難を選択したことに 後悔はない
むしろ 良かったと思っている
避難先の地域の方々は みな優しく受け入れてくれ
たくさんの援助や補助もしていただき
有り難く 感謝でいっぱい
でも ときどき ふとした時思う
「何で こんなことに なっちゃったんだろ……」
お米が美味しくて 野菜も立派なのに安くて美味しくて 果物は春~秋まで沢山楽しめて
内陸は山に囲まれ森林浴
や紅葉狩り
スキー
海側では海水浴や海の幸
どんな季節も 自然豊かで住みやすくて
大好きだった 福島
家の裏の田んぼでは 春はカエルが鳴き 夏はザリガニ釣り
秋の稲刈りにはスズメがやってきて 我が家の庭を歩くのを 子供たちが追いかける
庭に小さな家庭菜園を作り
イチゴ 小松菜 トマト きゅうり オクラ…
近所のおじさん おばさんから 育て方教わりながら 立ち話
その周りでは 子供たちが集まって
自転車
や なわとび ドッチボール
子供たちの笑い声 叫び声が響き渡る
そんな平和で 幸せだった日々
どこに行ってしまったのか…
外に出るたび 不安を抱え
子供が側溝の上や 水溜まりに近寄るたびに
「そこはダメよ
」と言い
土や石や葉を触らないよう 気を遣う
自主避難をするにあたり 子供たちは習い事をやめ 私は仕事を辞め
学校や幼稚園の友達と別れ
家族は 離れ離れ
どうして こうなっちゃったんだろ…
今ではもう 残る人 避難する人
それぞれに決断し それぞれの生活を進めているので
放射能の話も話題にならなくなり
避難の話は タブーな感じにさえなってる
福島はまだ何も終わってない
何も進んでいない
早く家族一緒に暮らしたい
『スッキリ
』で 福島の今 をやっていた涙が止まらなかった

自主避難を選択したことに 後悔はない
むしろ 良かったと思っている
避難先の地域の方々は みな優しく受け入れてくれ
たくさんの援助や補助もしていただき
有り難く 感謝でいっぱい
でも ときどき ふとした時思う
「何で こんなことに なっちゃったんだろ……」
お米が美味しくて 野菜も立派なのに安くて美味しくて 果物は春~秋まで沢山楽しめて
内陸は山に囲まれ森林浴
や紅葉狩り
スキー
海側では海水浴や海の幸
どんな季節も 自然豊かで住みやすくて
大好きだった 福島
家の裏の田んぼでは 春はカエルが鳴き 夏はザリガニ釣り

秋の稲刈りにはスズメがやってきて 我が家の庭を歩くのを 子供たちが追いかける

庭に小さな家庭菜園を作り
イチゴ 小松菜 トマト きゅうり オクラ…
近所のおじさん おばさんから 育て方教わりながら 立ち話
その周りでは 子供たちが集まって
自転車
や なわとび ドッチボール子供たちの笑い声 叫び声が響き渡る
そんな平和で 幸せだった日々
どこに行ってしまったのか…
外に出るたび 不安を抱え
子供が側溝の上や 水溜まりに近寄るたびに
「そこはダメよ
」と言い土や石や葉を触らないよう 気を遣う
自主避難をするにあたり 子供たちは習い事をやめ 私は仕事を辞め
学校や幼稚園の友達と別れ
家族は 離れ離れ
どうして こうなっちゃったんだろ…
今ではもう 残る人 避難する人
それぞれに決断し それぞれの生活を進めているので
放射能の話も話題にならなくなり
避難の話は タブーな感じにさえなってる
福島はまだ何も終わってない
何も進んでいない
早く家族一緒に暮らしたい
