私は自分も癌患者ですが、母が膵臓癌だったので膵臓癌患者の遺族でもあります。

母は私より12年前に罹患しました。

その頃はまだ誰もがスマホを持っている時代でもなく、ネットで情報を得るのも今程ではありませんでした。

母は糖尿病を長く患っていて、いつもの検査で数値に異常がある事からCT検査等をして膵臓癌であることが分かりました。

その少し前に食欲も落ちていないのに体重が5㎏減っていました。

本人には自覚症状は無かったようですが、ステージ4aであると伝えられました。

今は手術をしてからステージを判断しますが、その頃は手術前にステージを告知されました。

手術が出来るギリギリの状態ではあるけど、多くの人が手術が出来ないのでと手術を勧められました。

私や父の消化器内科の主治医にも相談しましたが、殆どの人が手術が出来ない状態なので手術をした方が良いと言いました。

他にも相談しましたが、治る為には他に方法が無いと言うので手術をする事に決めました。

手術は後から私も経験することになるのですが、朝から夜までかかりました。

まだコロナ禍前だったので、家族は朝から終わる迄病院の中で待ち続けました。

手術が終わると主治医から切除した臓器を見せてもらい説明を受けました。

とても丁寧で分かりやすい説明をしてくれたので、それが今の自分にも参考になっています。

目に見える癌は取り切れても、癌細胞は血液の中に入って体中を巡っているので、何処に癌が転移するのか分からない事もこの時教えてもらいました。

手術当日にICUにいる管だらけの母にも面会出来ました。

退院した母を自宅に連れてきていました。

抗がん剤治療に通いながら後から放射線治療もする予定でした。

最初は順調に回復して散歩などもしていましたが、ある日夜中にいつものようにトイレにも起きず、朝になっていくら起こしても反応がありませんでした。

主治医に電話をすると、救急車を呼んで直ぐに病院に連れてくるように言われました。

病院に着いて低血糖症を起こしている事が分かりました。

殆どの人はぶどう糖の点滴をすると意識が戻るのに全く戻りませんでした。このまま植物状態になるだろうと言われました。

予測もしていなかった状態になんてことだろうと不安でいっぱいでした。

随分と時間が経ってから意識が戻りました。

戻ったのは本当に良かったのですが、今の状態では癌の治療も出来ないので、提携病院に移るように言われました。

そこでは大学病院のような手厚い看護も無く、医師も少なくただ寝かされているような感じがしました。

退院してからも胆管炎を繰り返し、肝臓への転移も分かりました。

幻覚のような事ばかり言っているので検査をしてもらうと、脳に4箇所虚血状態の所があり、動脈瘤もありました。動脈瘤の治療をすると家族とコミュニケーションも取れなくなると説明され、そこまで可哀想な治療はしない事にしました。

大学病院での抗がん剤も放射線治療もする意味がなくなったので、転院を勧められましたが、本人が主治医に見捨てられたという気持ちが強すぎて、特別に形だけ診察をしてくれることになりました。

その後通院も大変になり、訪問医療にお世話になりました。

訪問医による痛みのコントロールが上手くいかずに余りに苦しかったので、最終的にはホスピスでお世話になりました。

ここでの看護は患者にも家族にも優しく、私もいずれはお世話になりたいと思っています。


膵臓癌の患者さんは糖尿病や予備軍の方も多いと思いますので、血糖値のコントロールが治療を出来なくしてしまったりするので、これは気を付けたいですね。


その後私も癌に罹患して手術の為に外科を受診すると、私の主治医は母の手術にも立ち合ってくれた医師でした。

母の事も覚えていて、私に手術の説明をする時に、「お母さんの場合は膵臓が元気が無かったので、切除した断面から膵液が大量に出てくることはありませんでしたが、あなたはまだ膵臓が元気なので膵液が大量に出て膵液漏になる可能性は大きいです。」と説明をされました。

言った通り私は膵液漏になりました。

「お母さんの時は管が6本でしたが、今は4本です。」とも教えてもらいました。

膵頭十二指腸切除がどんな手術なのか知識もあったので、どれだけ大変なのかも知っていたので、何も知らない人よりは覚悟を決めやすかったかも知れません。

これから悪化したらどうなるのかも良く分かっているので、色んな判断を自分で出来るようになれたらと思います。


もし、母が闘病中に患者や家族の会があったらと思います。

今はブログで色んな方と繋がったり、色んな治療を知れたりと有り難いです。