このところの急激な動き、特に陸自の一般市民監視について大変重要な情報のTBをいただき、ありがとうございます。

 (また、阿修羅にリンク していただき、ありがとうございました)

同感し、教えられたことが多く、熟読させていただきました。


初めてTB頂いた方に感謝のコメントやTBをお返ししたいのですが、なかなかままならなかったり、TBが通っていない方もいらっしゃるかと思います…。申し訳ありません。


TBいただいたうち、お二方のエントリーをリンクさせていただきます(重ねてお礼申し上げます)。


とりあえずガスパーチョさんの『自衛隊の国民監視は旧軍時代からの伝統芸 』が挙げてくださっていることは衝撃的で、とりわけ三島由紀夫事件(盾の会事件)ですが、この出来事は個人的には幼心にもインパクトがあったものでした。

三島氏が積極的な意味でそうした教育(洗脳)を受けていた可能性については、不覚にも思い至りませんでした・・・。

完全に余談ですが、かつて親戚に出版関係の「相当右寄り」の老人がいました(当然、戦争と軍隊大嫌いの祖母とは思想的に合うところはありませんでした)が、その老人も、市ヶ谷での事件映像が10年前の出来事として流れても、

  「クーデターだと。自衛隊やこの男は軍隊をなんだと思っているんだ、ばかやろうが」

とTVに向かって怒鳴っていました。

もはや聞くすべもないのですが、何らかを知っていたのかもしれません。


A tree at easeさんの『自衛隊による情報収集--その目的はLIC

本当に、公安や民間機関による調査があるのにあえてが市民の思想信条調査を行うことは、治安からの必然性やら縦割り行政の問題ではなく、軍としてのなんらかの明確な構想を準備する意図がなければ遂行され得ないであろうとわたしも考えます。

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軍隊が直接市民を監視すること自体が「程度問題」で済まされるべきではないという原則には常に敏感でありたいと思います。


今日は電車で移動の際、最新号の『世界 』を少しだけ読みました。

2回連載の予定の「自衛隊の実像」に関する記事に震えを覚えます。


・2004年に任命された現在の統合幕僚長 は、「国家革新を唱える右翼的な人物」として防衛庁内幹部からも目されながら登用された不可解さ(しかし、アベとは親しいそうです)

・制服組と背広組の逆転

・アベ内閣周辺の「国防キッズ」の暴走

・アメリカに当然のように共有される日本の重要機密とその扱いのぞんざいさ

 (片山さつき議員の財務省時代の論文が機密を一部もらしていたそうです)

一部ですが、いずれも息の詰まる思いです。

これらの傍証からすると、今回の市民監視資料を提供した者の背景にあるのは義憤ではなく、力関係での葛藤があったことも想像されます。

何もかもがやりきれないけれど、なんとかこの流れは止めなくてはなりません。


これらを許すどころか、煽っている「政治」にNOを突きつけることによって。


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官僚は(現代版科挙によって)選抜されたものであったとしても、政府は選挙で国民が選んだものであるという事実をあたためてかみ締めるべきだと考えています。


1つ前のエントリーでのコメントを紹介します(改行を一部変え、また強調を後からつけています)。

■権力にむきあう姿勢

Rolling Bean  さま

ヒューマンライツ・ナウの報告書を取り上げていただきありがとうございました。

市民を弾圧している国家は、中国とか北朝鮮ばかりではありませんね。以前の中南米の人権侵害も深刻でしたし、中央アジアの国の政府も強権的なところが多いように聞いています。

日本人がそういう国際的な人権問題に敏感であれば、権力によるたとえ小さな市民的自由の侵害であっても、自らの選んだ政府の行為として真剣に向き合うのかな、と思います。

JCJ機関紙部ブログ 2007-06-09 23:20:33


■人権感覚と政治へのスタンス

JCJ機関紙部ブログさま、ありがとうございますご指摘のように、政治に向き合うための情報提供として、もっと知っておくべきことがありますね。

日本の風土に、官僚を選べないように政府のあり方も「運命」として捉える空気があるのだろうかと時々考えてしまうことがあります。
(さらに無関心や冷笑を伴う政府への従属が進行してきたようにも感じられます…)

少しそれるのですが、鴎外の『最後の一句』という短編を思い出しました。父親が小さな過失による微罪で殺されることを知った娘が、身代わりになると奉行所に直訴します。父に会えないがそれでもよいのかと質問されたとき、「お上のなさることに間違いはございますまいから」と毅然と答え、その言葉が衝撃を呼び、裁定が再びなされ、家族の誰も命を奪われなかった、というものだと記憶しています。

このときの「お上のなさることに…」は、自己犠牲や権力への従属でも、正義感への期待でもなく、権力者へ強烈な批判と抵抗であったと考えます。

Rolling Bean 2007-06-10 00:40:37

この、『最後の一句』の該当箇所を、青空文庫(図書カード:No.45244 最後の一句 から、エントリーの後ろに引用しておきます。

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ヒューマン・ライツ・ナウの報告書『フィリピン調査報告書(中間報告) 2007年5月8日 』(PDF)の引用の際に、きわめて大事なneutralize(一般には中和、無害化)という言葉の定義に関する部分を追加引用します。

これら一連の文書は、合法的な左派組織およびメンバーをターゲットとし、そのターゲットを3カ月以内に “neutralize”する、という一連の作戦を示唆するものである。
この “neutralize”という言葉は、多義的な解釈がありえるものの、過去には疑いなく、暗殺・超法規的殺害を包含するものとして使用されてきた経緯がある。
このような意味を包含する用語が公然と使用され、同文書中に “neutralize”から暗殺を除外する旨の明確な定義づけがなされていないことは重大である。
オプラン・バンタイ・ラヤ作戦のトップの計画レベルか、実行レベルかは判然としないものの、結果的に実行の段階において、 “neutralize”という方針が超法規的殺害という形態で実行に移されてきた、という可能性を指摘せざるを得ない。38
この作戦は、2007 年1 月に、オプラン・バンタイ・ラヤとして刷新され、現在も従前の方針の延長線上の作戦として、展開中と考えられる。仮に、作戦の本質- ターゲットの“neutralization”が維持されたままであるとすれば、超法規的殺害は止まらないと予測される。

軍事的に都合の悪い思想を無毒化することは時間がかかり難しいとなると、「粛清」がもっとも容易な手段になります。

そして、わかりやすい粛清を避けたい場合には、巧妙な手口で同じ結果に追いやる操作が行われかねません。


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選挙に行きましょう。まだまだ気は抜けません。
東京新聞 参院選 世論調査 争点『社会保障』75%に  2007年6月10日 朝刊

 本社加盟の日本世論調査会は7月22日に投開票が想定される第21回参院選について、今月2、3両日、面接による世論調査を実施、争点(複数回答)として75%が年金・医療など「社会保障」を挙げた。昨年12月に実施した調査より23ポイント増え、2番目に多い「景気・雇用・格差」の39%を大きく引き離し、社会保険庁の年金記録不備問題などを受け、年金問題が参院選の一大争点となる見通しとなった。「憲法改正」は19%、「政治倫理」は3%だった。 

 焦点である、与党の非改選を合わせた議席数については「過半数を割った方がいい」が47%で、「過半数を維持した方がいい」の44%をわずかに上回り、昨年十二月の調査結果とは逆転。過半数割れした場合の与党の対応も「衆院の解散」が31%と最多で、「野党との政策協調」(22%)「政権の枠組み変更」(21%)「首相交代」(19%)ではなく、投票で民意を示したいとする有権者の意向がくみ取れる。

 参院選には「必ず投票に行く」「たぶん行く」が「小泉ブーム」だった二〇〇一年五月の調査時とほぼ同じ計90%となり、関心の高さをうかがわせた。

 参院選で投票する政党・候補者では、自民党が37%で昨年十二月調査時より4ポイント下落、民主党は22%で2ポイント減だった。公明党4%、無所属4%、共産党3%、社民党1%と続く。「投票したい政党・候補者はいない」は19%だった。

 特定の政党を支持する人の投票行動についてみると「支持政党と違う政党に投票したことがある」が51%で、有権者が争点や政治状況などによって、支持政党があっても投票先を変える実態が浮かび上がった。「ない」は48%。

 支持する政党のない無党派層に、支持政党を持ったことがあるかを尋ねると39%は「以前は支持する政党があったが今はない」としたが、58%は「持ったことはない」と回答。無党派である理由として「信頼できる政党がない」「政治そのものに期待できない」「政策を支持できる政党がない」が計67%を占め、政治や政党側の魅力不足を指摘した。

 投票に行くか行かないかを決める基準では「投票は権利、義務だから」が51%、「支持する候補者や政党がある」は18%だった。

 【注】小数点一位を四捨五入した。


先週はリアル界で、「日経BPあたりでいいんだけど、読み応えのあるサイトはある?」と聞かれたので、立花隆氏・森永卓郎氏の両氏のコラムを挙げておきました。


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【資料】

『最後の一句』の該当箇所(青空文庫図書カード:No.45244 最後の一句

「そんなら今一つお前に聞くが、身代わりをお聞き届けになると、お前たちはすぐに殺されるぞよ。父の顔を見ることはできぬが、それでもいいか。」
「よろしゅうございます」と、同じような、冷ややかな調子で答えたが、少し間(ま)を置いて、何か心に浮かんだらしく、「お上(かみ)の事には間違いはございますまいから」と言い足した。
 佐佐の顔には、不意打ちに会ったような、驚愕(きょうがく)の色が見えたが、それはすぐに消えて、険しくなった目が、いちの面(おもて)に注がれた。憎悪(ぞうお)を帯びた驚異の目とでも言おうか。しかし佐佐は何も言わなかった。
 次いで佐佐は何やら取調役(とりしらべやく)にささやいたが、まもなく取調役が町年寄(まちどしより)に、「御用が済んだから、引き取れ」と言い渡した。
 白州(しらす)を下がる子供らを見送って佐佐は太田と稲垣とに向いて、「生先(おいさき)の恐ろしいものでござりますな」と言った。心の中には、哀れな孝行娘の影も残らず、人に教唆(きょうさ)せられた、おろかな子供の影も残らず、ただ氷のように冷ややかに、刃(やいば)のように鋭い、いちの最後のことばの最後の一句が反響しているのである。元文ごろの徳川家の役人は、もとより「マルチリウム」という洋語も知らず、また当時の辞書には献身という訳語もなかったので、人間の精神に、老若男女(ろうにゃくなんにょ)の別なく、罪人太郎兵衛の娘に現われたような作用があることを、知らなかったのは無理もない。しかし献身のうちに潜む反抗の鋒(ほこさき)は、いちとことばを交えた佐佐のみではなく、書院にいた役人一同の胸をも刺した。

城代(じょうだい)も両奉行もいちを「変な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑(つ)いているのではないかという迷信さえ加わったので、孝女に対する同情は薄かったが、当時の行政司法の、元始的な機関が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した 。

*「原始的な機関すら自然に働かない」のがアベ内閣下の情勢です。
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