3/30晩のNHKニュースでも、最近になく扱いが大きかった(NHKのレジスタンスでは、と見る人もいるようです)、沖縄戦に関する高校教科書検定記事は、今朝(3/31)の東京新聞の一面トップです。


わが家のスキャナがまたまたストライキ状態で、データ転送ができないため、携帯で撮影したので画像がいまひとつですがインパクトはお分かりになるかと思います。


林博史氏のコメント(「最近になって新しい証言や新しい研究が出たわけでなく、政治的検定としか言いようがない」と締めくくっています)と、櫻井よしこ氏のコメント(「修正後の記述も旧日本軍の負の側面だけを取り上げており、フェアではない」)が左端に掲載されています。



070331東京新聞トップ



軍人だった個人の責任を取れという目的でなく、たしかに命令・強制をしたほうもされたほうもいずれも犠牲になる、という戦争の本質的な悲惨な真実を伝える必要があるからこそ、こうしたことを伝える必要があります。

櫻井氏は「現地の軍人も犠牲者なのでフェアではない」とおっしゃるけれど、どこまで削除すれば「自虐的でない」とコンセンサスが取れるのか、それは、強制に関わることはすべて伝えることをやめよ、としているように聞こえてしまいます。


さらにそもそも、「過去の反省と再発某押しのために、多少自虐的になること」が懸念されたとしても、それは、

・誤解を受ける恐れのある関係者に十分な説明を試みて、

また、

・情報を受け取る側が差別をしないよう、理解を求め、

双方に十分な礼儀を尽くして伝え続けるということが品格ある国家(というものが今後ありうるととすれば)の責任であるとわたし考えます。

それが難しいことだとすれば、まさに、臨む品格が問われるところとなるでしょう。


過剰な自虐的要素が「可能性としてある」こと自体を重篤な問題とみなすという論点、それが、わたしは、個人的にはいつものことながら、解せません。


軍の強制ではないと抗議した、元守備隊長の方が利用されているのでないとよいのですが。

(当然、その方には、座間味以外も含めて広く調査し、記述することを主張する自由はあると考えます)


ただし、この事件(と見ます)、中日新聞グループ全体で、なぜでしょうか、ネット記事が削除されています

  →全面リニューアルされたようです。『こちら特報部』などもネットでは見出しのみとなってしまいました(4/1追記)。


   ◆集団自決『軍の強制』削除 沖縄戦・高校教科書検定 (←リンク切れです)

   ◆【関連】『政府見解と同化』圧力 『慰安婦』記述 編集側自粛も  (←こちらもです)

そこで、中日新聞のキャッシュデータを引用しておきます。


沖縄戦集団自決「軍が強制」削除求める教科書検定

 文部科学省は30日、2008年度から使う高校用教科書(主に2年生用)の検定結果を公表した。第2次世界大戦の沖縄戦であった集団自決について、「近年の状況を踏まえると、旧日本軍が強制したかは明らかでない」として従来の姿勢を変更。旧日本軍の関与に言及した日本史の教科書に、修正を求める検定意見が付いた。一方で、学習指導要領を超えた範囲も教科書に載せることを認める「発展的内容」は、初めて認められた03年の検定時に比べ、理科を中心に増加した。

 近現代史中心の日本史A、通史を扱う同Bの教科書計10点のうち、8点が沖縄戦の集団自決に言及。検定結果では、「日本軍に『集団自決』を強いられたり」「日本軍はくばった手りゅう弾で集団自害と殺し合いをさせ」などと記述した7点に、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」と意見を付けた。

 いずれも、現在出版されている教科書と同じ記述だが、出版社側は「追いつめられて『集団自決』した人や」「日本軍のくばった手りゅう弾で集団自害と殺しあいがおこった」などと日本軍の強制に触れない形に修正し、合格した。

 集団自決については、作家大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などで、「自決命令を出して多くの村民を集団自決させた」といった内容の記述があった。これについて、沖縄・座間味島の当時の日本軍守備隊長で元少佐の梅沢裕氏らが、記述は誤りで名誉を傷つけられたとして、出版元の岩波書店(東京)と大江氏を相手取り、出版差し止めと損害賠償などを求めて2005年に大阪地裁に提訴した。

 同省は検定姿勢変更の理由を「梅沢氏が訴訟で『自決命令はない』と意見陳述した」「最近の学説状況では、軍の命令の有無より集団自決に至った精神状態に着目して論じるものが多い」と説明。発行済みの教科書で、同様の記述をしている出版社に情報提供し、「訂正手続きが出る可能性もある」としている。

 一方、「発展的内容」が全体ページ数に占める割合は、理科が4・3%(前回検定2・1%)、数学2・0%(同0・9%)と倍以上に。ただ、化学2で一番多かった教科書も9%で、分量の上限の目安とされる2割には達しなかった。

 現在、学力低下批判を受けて学習指導要領の見直しが進行中。現在より教える内容が増えるとみられ、「指導要領範囲内の内容が増えれば、次の改定では『発展』の記述がなくなるかも」(出版社)との見方もある。

万事、聖戦に際して強制はなかった、という決着が前提のようだな、と現代の一般国民すら思ってしまうのだから、説明責任は一日も早く果たさないと。


なにより被害者のためにも。

また、国際的な孤立状況を鑑みても。

これからの世代のためにも。


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いつか書こうとしていた低金利問題とこの春からのATM無料化について、理解を助ける記事があったので(また大前研一氏ですけど)引用します。


わたしも銀行に勤めている友人知人もいて、誠実に、かつ身を粉にして働いているのも存じ上げています・・・。


だからこれも(沖縄戦の問題提起が軍人個人を責めているわけでないのと同じように)、銀行にお勤めの方々への批判などではなく、経営陣および金融政策(政策といえるのかどうか)へのコメントです。

(強調は引用者によります。リンク先のサイトは、無償会員登録をしないとアクセスできないかもしれません)

日経BP 「産業突然死」の時代の人生論 大前研一氏

第71回 まじめな消費者に負担を強いる、サラ金/銀行の“不まじめ”

(4ページめ) ATM無料化で負担は誰が担うのか

 大きな被害が出ている消費者金融会社、信販会社などをしり目に、銀行ではATM手数料無料化を巡る動きが進んでいる。三井住友銀行では2007年10月から、郵便局、JR東日本に設置されているATMを平日の昼間に利用した手数料をタダにすると発表した。昼間無料で使えるATMの規模は、メガバンクの中では最大となる。三菱東京UFJ銀行はコンビニATM無料化に乗り出す。

 なぜATM無料化の流れが起こっているのだろうか。その背景には、銀行はもうけすぎという批判がある。ご存じのように不良債権を抱えた銀行は、税金が投入され、預金者に金利を払わないことによって危機を乗り切った。この人為的な低い金利によって家計が失った金利収入は総計331兆円であった、と先週日銀の福井総裁が公表しているこれが個人部門にわたっていれば景気刺激策など不要であった、と言っているに等しい。また自らが監督する責任がある銀行がこれだけのカネを個人部門から“利益移転”した、と白状しているようなものである。今の銀行は過去最高レベルの利益を上げている。それなのに累損などがあり税金は払わない。そこで銀行に批判が集まっているのだ。ATMの無料化は、批判の矛先をかわす目くらましの手段なのである。

 ここで「それはちょっとおかしいのではないか?」と思うのはわたし一人だけではあるまい。本来ならATM無料化なんて小手先の対応をするのではなく、ちゃんとした利息を支払って一般預金者に還元すればいいのである。よほど銀行は預金者に利息を払いたくないらしい。もちろんATM無料化も「やらないよりはマシ」とは言える。言えるのだが、無料化したとしても、その手数料を誰かが代わりに負担することになることは自覚しておきたい。【後略】


100兆円単位のお金が家計には入らない状態で、いざなぎ超え好景気といわれても納得できない。頷けます。


「今さらATMで親切さを装われたって」というとっても落ち着かない気分が、「儲けてるくせに」という怨嗟に聞こえないために、この記事のようにまとまった説明をしたいなと思っていました。


もしも利益移転が濡れ衣なのだとするならば、正確な説明をいただきたい。


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